この20年ほどの間に、世界的に、そして日本でも非常に人気を高めたのが、アイルランドの音楽だ。もちろんU2をはじめとするロック・バンドからボーイゾーンのようなポップ・アイドルまでを送り出してきたが、アイリッシュ・ミュージックと呼ばれる伝統音楽(トラッド)とそれを発展させた音楽も広く親しまれるようになった。
人口470万ほどの小国アイルランドが、音楽においては世界に影響を与える重要な国となった理由のひとつは、ケルト文化に源を発する伝統音楽が今も生活と共に息づき、現代社会の中でも重要な位置を占めているからだ。例えば、コアーズのような人気ポップ・グループが当たり前のように伝統歌も歌うように、アイルランドでは伝統音楽とポップ音楽の垣根がとても低いのである。
欧州最西端で発生する音楽の波
そんなアイルランドは小さい国ながらも、地域毎に音楽の特色があり、伝統音楽に関して言えば、概して国の西部の方に根強い伝統が残っている。その中でも、近年最も注目すべき場所となっているのが、南西部ケリー州の西部にあるディングルだ。大西洋に向かって南西に突き出ている半島であり、人口2千人ほどの小さな町がある。ここはアイルランドで最西端、ということは欧州最西端に位置する。その美しい風景で有名で、多くの観光客を引き寄せているが、アイルランド語(ゲール語)が日常的に話される「ゲールタハト」と呼ばれる地域でもあり、アイルランドの「フリンジ(外縁)」ゆえ、古くからの伝統の多くが保持されている。
音楽においても、シェイマスとブレンダンの兄弟を輩出したベグリー・ファミリーの出身地であり、元々伝統音楽の盛んな土地柄で、町のパブでは毎晩のようにたくさんのセッションが行われているが、近年はさらにミュージシャンが集まる地となっている。
日本にもファンの多いアイリッシュ・ミュージックのバンド、ルナサのギタリストだったドナ・ヘネシーがバンド脱退後にスタジオを構え、プロデューサー業に忙しい。彼は日本にも一緒にやってきたことのあるアコーディオン奏者のダミアン・ムレーンなどの有望な若手を送り出してきた。名曲〈ウェスタン・ハイウェイ〉の作者であり、シャロン・シャノン他、多くの歌手や奏者の伴奏を務めてきた名ギタリストのジェリー・オバーンも長年この地を拠点にする。伝統に加え、こういった才能を育て、支援できる人たちの存在もミュージシャンを引き付けているのだ。
ダブリン出身の国民的人気歌手メアリー・ブラックもケリー州内に家を建てて、近年は多くの時間を過ごしているそうだが、彼女はこの地域の魅力をこう語っていた。
「あの地域の音楽もセットダンスもアイルランド語も大好きだし、素晴らしい土地よ。息を呑むような風景が広がっている。あそこに住むのが完璧に理にかなうと思えたの。それとセッションが恋しくてね。ケリーではセッションが生活の一部なの。ダブリンでもセッションを見つけられるけど、同じじゃない。あそこで人びとが集まるのは、誰かに向かって演奏するためでも、お金をもらうためでもない。ただ演奏するためだけに集まる。ケリーでは今もそういったセッションが行われている。そういった場所に戻りたかったの」(拙著「ヴォイセズ・オブ・アイルランド」から)。
「ケルティック・タイガー」と呼ばれた90年代後半の好景気は世界におけるアイルランドの存在感を大いに高めた一方で、あの国を、特にダブリンなどの都市を大きく変えてしまった。バブルが弾けてしまったあと、人びとは本来のアイルランドを求めて、その最西端にまでやってくるのかもしれない。
さて、今月のプレイリストは、そんなケリー州ディングルを拠点にするアーティスト4組の曲をお届けする。
今月のプレイリスト
ムウイラン・ニク・オウリーヴはケリー州西部のゲールタハトで育った歌手でフルート奏者。人気バンド、ダヌーに13年間在籍したが、昨年脱退。ソロ活動に専念しての最初のアルバム(通算3作目)「Foxglove & Fuschia」が今月発売になる。
シャーン・ノス(古いスタイルの意)と呼ばれる伝統的な歌唱を受け継ぐも、伝統歌だけでなく、現代のソングライターの英語曲も歌うし、スコットランドのゲール語歌手、ジュリー・ファウリズとよく共演するなど、柔軟な姿勢で歌手活動に取り組んでいる。新作からのこの曲はアルタンからコアーズまでが歌っている有名な伝統歌だ。
バーニー・ファイドはディングル出身の歌手で、当然地元の伝統歌を歌うが、大学で伝統音楽を専攻し、アイルランドだけでなく、スコットランド、イングランド、さらに大西洋を渡って、アメリカ南部アパラチアの音楽にも強い興味を持つ。アメリカの古い歌もレパートリーに取り入れ、アメリカのフォーク歌手でギタリストのジェファスン・ヘイマーと組んでライヴを行ったりもしている。彼との演奏を含めたマイルス・オライリー監督の11分ほどの映像があって、ディングルの町の風景が美しくとらえられているので、是非ご覧になっていただきたい。
このゲール語で歌われる曲は子供をあやすときに歌われてきた伝統歌だ。彼女の2作目のアルバム「Síol」から。
それでは、ここでチューン(インスト曲)を1曲。ディングルで活動するアイリッシュ・ハープ奏者ディードレ・グランヴィルの演奏で、彼女のデビュー・アルバム「IMRAM」から。アルバムにはスティーヴ・クーニー、ジェリー・オバーンらの名手に、アイリッシュ・フルート奏者の妹イーファ・グランヴィルらが加わっている。
ポーリーン・スカンロンは00年代半ばにシャロン・シャノンのバンドのヴォーカルを務め、日本にやってきたこともある。近年は出身地のディングルに腰を据え、ソロと、アイリス・ケネディとの女性歌手デュオ、リュミエールの活動を並行して行なうのに加え、客演も多く、この地域の音楽シーンの中心にいる。
「Gossamer」は、リュミエールの2枚のアルバムを挟み、10年ぶり、通算3作目のソロ・アルバムとなる。シネイド・オコーナーとの仕事で知られるジョン・レイノルズのプロデュースだ。彼女も伝統歌と現代のソングライターの曲の両方を歌う歌手だが、この〈False False〉はスコットランドの伝統歌で、多くの歌手に歌われてきた。
ゲール語のクリスマスソング、「Coinnle an Linbh Íosa」
さて、今回は年末に向かう時期ということで、ボーナス・トラックとして、ゲール語で歌うクリスマスソングを紹介しておこう。
シェイマス・ベグリーはディングル半島の伝統音楽の象徴ともいえる存在。有名な伝統音楽一家出身で、アコーディオンの歯切れ良い演奏もゲール語地域の伝統に育まれた暖かく優しい歌唱も素晴らしい。14年に一緒に来日したスライゴー州のバンド、テーダのリーダー、フィドル奏者のオシン・マク・ディアルマダと共に制作したクリスマス・アルバム「An Irish Christmas Soundscape」からの曲で、娘さんのメイヴと一緒に歌っている。
また、ここでギターを弾くティム・エディは元々は英国出身だが、長らくアイリッシュ・ミュージック界で活躍し、シェイマスとのコンビでもアルバムを発表している。ギターだけでなく、たくさんの楽器をこなすティムは超売れっ子で、11月23日から始まるアイルランドの大御所バンド、チーフタンズの来日公演にも参加する。
ティム・エディ来日情報
- イベント名
- ザ・チーフタンズ来日公演2017
〜祝・結成55周年! Forever Tour〜 - 日程・会場
- 2017年11月23日 所沢市民文化センターミューズアークホール、25日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール、26日 兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール、30日 Bunkamuraオーチャードホール他 全国各都市で公演予定
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