パステルの魅力に突き動かされた画家たち。
目黒区美術館
「日本パステル畫(が)事始め」展

▲目黒区美術館ではこれまで、海外留学をした日本人画家と、画材(絵具)の研究を活動テーマに据えてきた。そんな同館ならではの開館30周年記念展だ。

パステルとは、粉末状にした顔料を固めた画材のこと。発色がよく、創作中の乾燥が不要で、パレットや筆を用いず描けることから携帯しやすいという利点があり、印象派のエドガー・ドガやオディロン・ルドンも愛用したという。現在、東京・目黒区美術館で開催中の「日本パステル畫(が) 事始め」展では、海外でパステルに魅了され、国産化や普及に貢献したふたりの近代画家を取り上げている。

パステルの国産化を目指す

明治から大正にかけて、多くの日本人画家が西洋画を学ぶためにヨーロッパに留学した。東京美術学校(現・東京藝術大学)で黒田清輝に師事した矢崎千代二(1872−1947)もそのひとり。絵を描くためにわたったアメリカやヨーロッパでパステル画に傾倒していったという。パステルは紙に定着しにくいという弱点はあるものの、油彩や水彩と違って速写性や携帯性に優れ、各地で絵を描きながら旅していく画家にとっては大変便利に感じられたことだろう。帰国すると矢崎はその国産化に乗り出したという。

▲矢崎千代二 《マルセーユ》 1925 パステル・紙 目黒区美術館蔵

国産化を目指した理由について、目黒区美術館の山田敦雄学芸員は、「矢崎自身がユーザーとしてパステルを改善したかったようです。実際、矢崎は『輸入パステルは硬すぎて描きにくい』と語っていました」と説明する。「また、関東大震災後から昭和にかけてのこの頃、資材や原料価格の問題を含めてあらゆる分野で国産化の動きがあり、そうした時代背景も関連しているのかもしれません」。

▲矢崎千代二「残照 印度ダージリン」1920年頃 星野画廊蔵。矢崎は古美術と仏教美術を学ぶために2年ほどインドに滞在し、パステル画の創作を本格化させた。

矢崎は知人から紹介された間(はざま) 磯之助(1888−1965)にパステルの製造を依頼。もともと絵を描くのが趣味だった間が、当時、水彩固形絵具を製造していたからだ。著名な画家から持ちかけられた話は、31歳の若者の好奇心や野心をさぞ掻き立てたことだろう。すぐさま顔料を入手しやすい京都に「王冠化学工業所」を設立(1919年)し、開発をスタートさせた。

現在の王冠化学工業所は、日本で唯一のパステル専門メーカーだ。4代目の山登(やまと)大輔は、「当時、矢崎が特に要請したのは色のことでした」と語る。基本的にパステルは油彩や水彩のようにパレット上で混色しないため、1枚の絵を完成させるにはたくさんの色数が必要になる。「ヨーロッパの色は日本の風景画を描くのに適していない、と矢崎は言いました。そして、日本の自然風土に合った色を揃えてほしいと創業者である間に依頼したのです」(山登)。

間は、色づくり、サイズ、硬さ、色の並べ方などについて矢崎の意見を取り入れ、まず154色のセットをつくり上げた。その後、創業から約10年をかけて、ようやく完成させたのが240色の「ゴンドラパステル」である。開発から100年を経た今でも当時とほとんど同じ製法でつくられている。

▲開発当時の色票や色見本、試作なども展示する。

▲「ゴンドラパステル」の156色セット。

▲王冠化学工業所での、現在のパステルの製造風景。

ファッション用語の由来はパステルにあり

矢崎の情熱は製品開発にとどまらなかった。入門書「パステル画の描き方」(1929年)を刊行したほか、パステルの講習会や展覧会を開き、国産パステルを日本で普及させるために力を注いだのである。初心者向けに吟味した126色セットや、屋外写生に使える箱も販売し、必要な色を1本から買える仕組みをつくるなど、流通についても配慮した。

▲パステル画の入門書「パステル画の描き方」。

矢崎らの懸命な活動によって画材店が「パステル画報」を出したり、各地にパステル画会が設立され、多くの人々がパステルを手にした。しかし戦争によってその活動は中断され、結果的に一定の層までしか広がらなかった。実は、パステルという名称が一般化するのは第二次世界大戦以後のこと。しかしそれは、ファッション業界がつくり出した「パステルカラー」「パステルトーン」といった、新時代の感性を表現する言葉としてだった。

ものづくりにおける衝動

本展では、矢崎千代二と同様に海外でパステルに魅せられ、日本での普及に貢献した武内鶴之助の画業も紹介されている。英国にわたった武内は当初、油彩の練習のためにパステルを使っていたようだが、徐々にパステル画が中心になっていく。雲を描いた連作では、気流にのって刻々と形や色を変える雲をとらえ、パステルが持つ速写性を存分に生かしているように思われる。世界各地の風景を力強く印象的に描いた矢崎に対して、武内は日本の山村の景色を写実的かつ繊細に描くなど、表現者によって大きく異なるパステルの表現の多様性を本展では楽しむことができる。

▲武内鶴之助 《雲》 1908 〜 12 パステル・紙 目黒区美術館蔵

▲武内鶴之助「稲妻」制作年不詳 目黒区美術館蔵

染織家が糸から紡ぐように、料理家が食材から育てるように、画家もまた与えられた材料を使いこなすだけでなく、それをイチからつくりたいと考えるのは自然なことだ。さらに、こだわってつくったものであれば、ほかの人にも薦めたい。そんな情熱に巻き込まれるように、開発者が試作に没頭していく。ユーザーとメーカーという異なる立場から、理想のプロダクトに向けられた探求の足跡が興味深い。何をつくるべきかは誰かに教えられるものではなく、突き動かされるような自身の衝動から生まれるものなのではないか。ものづくりにおけるそんな衝動や情熱を今一度見直してみたい、そう思わせてくれる展覧会だ。End

▲日本パステル画の先駆者、矢崎(手前)と武内(奥)の作品が同列に並ぶ。

日本パステル畫 事始め
武内鶴之助と矢崎千代二、二人の先駆者を中心に

会期
2017年10月14日(土)〜11月26日(日)午前10時〜午後6時、月曜休館
会場
目黒区美術館
詳細
http://mmat.jp/