新しい衣服のあり方を模索して、
「STORE」デザイナーの國時 誠

▲カラフルな配色のキッズ用Tシャツ。前身頃と後ろ見頃の配色は異なる。

約10cm幅にカットした短冊状の生地を、およそ100色のなかから組み合わせる。すると、そこには世界にひとつだけの服が生まれる。既成の枠にとらわれない衣服のあり方を模索し、「STORE」というブランドを展開するデザイナーの國時 誠(くにとき・まこと)氏に話を伺った。

▲東京・西荻窪にある「STORE」ショップ。

工業製品的なつくり方

ショップの前を通りかかったとき、色とりどりの衣服に目を奪われた。話を伺うと、シーズンごとに新作が投入される普通のファッションではないようだった。

そのボーダーの服の素材には、コットン100%のニット生地が使われている。染色して特別な色をつくっているのではなく、一般に流通している既成の生地。100種類ほどの色数があり、多様な組み合わせができることから選んだという。

襟ぐり、袖、前後の身頃の生地を、ひとつひとつ選んで組み合わせる。裁断、縫製、仕上げ加工という3つの工程は、国内のそれぞれ別の工場で行っている。

流行やシーズンにとらわれないというスタイルは、一般的なファッションの概念には当てはまらない。また、量産品ではなく1点ものということから作家ものと思われがちだが、毎年、既存の素材を使って同じ形に組み立て、同じ方法でつくり続けていることから、むしろ、とても工業製品的な印象を受けた。

▲メンズの半袖Tシャツ。

ベルギーファッションに刺激を受けて

國時氏が服に興味を持ったきっかけは、洋裁学校で学んだ経歴を持つ母親の存在があった。自らや知り合いの服、子どもの頃の國時氏も服をつくってもらった。高校生になるとコートをデザインして母親に縫ってもらったり、シャツをつくったりしながら、既製品ではない、人と違ったオリジナルの服を着る喜びを感じていた。

中学・高校時代の90年代には、マルタン・マルジェラをはじめ、ベルギーの王立芸術アカデミーを卒業した「アントワープの6人」と呼ばれたドリス・ヴァン・ノッテンらがファッション界で旋風を巻き起こし、話題になった。

マルジェラでは、カビが増殖するドレスや割れた皿のベストなどが有名だが、彼らがつくる服は、新しい時代を切り開こうとするエネルギーに満ち溢れていた。國時氏もその刺激を大いに受け、彼らのように今までにないものづくりをしたいという思いを抱いていたという。

▲コットン50%、モダール50%の生地を使用したチュニックドレス「50/50」。

大学時代に生まれたSTOREブランド

大学は、自然に服の道を選んだ。武蔵野美術大学空間演出デザイン学科ファッションコースである。学園祭のときに2年生がチームに分かれてファッションショーを行うのが恒例で、スポンサーや学生の参加費を募り300万〜400万ほどの予算をかけて、照明や音響なども駆使して大々的に実施する。

國時氏は建築や彫刻、テキスタイル、同じファッションコースの仲間8人とチームを組んで「STORE」というブランド名とロゴをつくり、ショーを開催。けれども、「普通に服を着たモデルが、ただランウェイを歩くのは面白くない」と、服がまったく登場しないショーを考えた。

▲大学時代のSTOREのショー。

1点ものの服を販売

ショー会場の床に、約300kgの大量の輪ゴムを円形に並べ、それを舞台とした。頭の長い人、お腹が出っ張っている人、髪の毛がもじゃもじゃの人など、それぞれのモデルが機能を持つ鉄製フレームのオブジェを服と見立てその中に入り、会場内を歩くという内容だった。このショーは大成功を収め、8人は一躍有名になった。

その後もSTOREとして活動し、卒業後は服を販売した。例えば、ガラスの粒子を混ぜた生地を使い、水に濡らすとその部分だけしばらく濃い色になるというシャツ。同じ形の白いワンピースを20着ほどつくって、ジャクソン・ポロックのようにペンキを振りかけて、一枚一枚、異なる模様をつけたものなど。けれども、友人や知人には好評だったが、扱ってくれるセレクトショップはひとつもなかった。

▲キッズ用のワンピース。ポケットがアクセントに。

トランクを持って行商の旅に出る

やがてメンバーは抜け、2004年から國時氏はひとりで活動を始めた。そして、デザインしたメンズのシャツをトランクに詰めて、寅さんのように「行商」の旅に出た。

最初は知り合いのデザイナーや建築家の事務所を訪ねて回り、さらに、そこで紹介された人のもとに足を運んだ。アメリカ・サンフランシスコで販売する機会も得た。

パターンメイキングなどの技術面を支える妻の里織氏が加わり、2008年10月1日に西荻窪の現在のショップをオープン。ふたりでSTOREブランドを展開していく。ボーダーの服のアイデアを思いついたのは、翌年の2009年1月のことだった。

▲背中のラインの部分が、少し光沢のある朱子織(しゅすおり)の生地。

ボーダーの服の誕生

量産品ではなく1点もの。ファッションの既成概念からも、メインストリームからも外れた位置にいる。普通のショップでは扱ってもらいにくかったが、それは國時氏が服づくりを始めたときから核として持っていたこと。店をオープンしたときに、改めてそのやり方を大事にしていこうと考えた。

その究極の製品とは何かと考えていくうちに、生地を細かく切ってつなぎ合わせることで、ひとつとして同じもののない、多彩な組み合わせの服が生まれた。ボーダーの服の始まりだ。

▲Vネック7分袖のシャツ。

動機や買い方が変化している

今年、ボーダーの服をつくり続けて7年目を迎えた。これまでを見直し、今後のやり方を考える時期に来ているのではないかと感じていると言う。

そのきっかけとなったひとつが、個人の発信するSNSの影響だ。「人がものを買う動機に明らかな変化を感じる」と言う。

「以前は雑誌媒体に掲載されると、その情報を頼りに来店される方が多かったのですが、最近はもっぱらインスタグラムの情報がそれに変わっています。STOREは毎シーズンデザインを変えるのではなく、何年も同じコンセプトで商品をつくり続けているので、ある意味変わらないことが価値だと考えていますが、ブランドコンセプトだけではもはや服は売れない時代なのかもしれません。自分の核とした部分を大切にしながら、そういう時代の変化にどう向き合っていくか、それが今の課題です」。

▲最新のミニトートバッグ。この配色もひとつひとつすべて異なる。

オンラインショップをスタート

見直しを図ろうと考えたもうひとつの要因は、ネット販売だ。それまであえて取り組まなかったのは、トランクを持って販売を始めた頃の、手渡しで商品を届けるという思いからずれてしまうのではないかと懸念していたからだ。3年近く迷ったが、昨今のネットビジネスの高まりや客からの問い合わせが増えてきたことから、いよいよオンラインショップをこの9月からスタートさせることにした。

「ここ1、2年感じていることですが、商品は気に入ったけれど、店頭では即決されず、家でじっくり考えてからオンラインショップで購入したいという方が増えている印象です。直接手渡しをしたいという思いは変わらずありますが、STOREの商品はバリエーションが豊富でシルエットもシンプルなので、お客さん目線で考えるとオンラインショップでカタログ的に選ぶことが楽しいと思ってもらえるのではないかと考えが変わってきました」。

さらに、國時氏は7年が経過してSTOREとしての服のメッセージは、ある程度、人に認知されるようになったことから、「次のメッセージを考えるときに来ているのかもしれない」と語る。

ネット販売の世界に足を踏み入れていくことで客層がワールドワイドに広がり、さらなる展開が開けるのかもしれない。今後も注目していきたい。End


國時 誠(くにとき まこと)/デザイナー。1975年群馬県生まれ。武蔵野美術大学空間演出デザイン学科ファッションコース卒業。ファッションブランド「STORE」主宰。代表的なアイテムは、100色以上のコットン生地から1着ずつ色を組み合わせ配色した「ボーダーシリーズ」。シンプルでありながら1点ものであることが特徴となっている。直営店のほか、全国の美術館などで開催するポップアップショップ、ギャラリーでの個展などで販売する。舞台衣裳のデザインでは、ハナレグミのツアー衣裳(2016)や東京国体(2013)の開会式パフォーマンス衣装を担当、出演した森山開次氏をはじめ約2,000名の衣装デザインと監修を手がけた。

STORE/JR中央線・西荻窪駅から徒歩7分の場所にある直営店。1階の「STORE」ショップでは、キッズ、レディース、メンズのTシャツやチュニック、ワンピース、シャツ、バッグなどを販売。2階のコーヒースタンド&ギャラリー「HATOBA」も運営し、展示やイベント、ライブなども開催している。http://www.storestore.net