パリで数日間の慣らし滞在を終えて向かったのは、スイスのフランス語圏にある人口14万人ほどの小都市、ローザンヌです。パリからはTGVとスイス鉄道を乗り継いで約4時間。ここには、ヨーロッパのみならず世界でも指折りの美術大学との呼び声高いECAL(Ecole Cantonale d’Art de Lausanne:ローザンヌ州立美術大学)の視察、また、デザイナーである友人のスタジオ訪問のために訪れました。
今回は、実際にECALを訪問し、東京とは比較にならないほど小さな街(ローザンヌは東京の人口の約100分の1)で学ぶクリエイターの卵たちがどのように創造性を高めているのか、教育における環境と体系づくりを見てきました。
1821年創立の小さな街の由緒ある美術大学
さて、ECALに関してざっと説明すると、ローザンヌ駅から電車で5分ほど乗った隣のルナン駅という場所に位置し、全学生数は約700名、学士と修士合わせて12の学部から成り立っており、日本の一般的な美術大学がおおよそ3,000~4,000人であるのと比べると、規模としてはそれほど大きくない大学です。
設立は1821年と古いながらも、2011年新たに建築家のベルナール・チュミ(Bernard Tschumi)によって古いストッキング工場がリデザインされ、各所に散らばっていたキャンパスが新設された一つの校舎に集結しました。
そのような小さな街の小さな大学が、世界的な視野を持って活動し一定以上のクオリティを保ち続けているその理由を、それぞれの学部のプロフェッサーに課題採集としてインタビューをしてきました。
着いて早々に学校の施設を案内してくれたのは、プロダクトデザイン学部ディレクターのステファンです。サバティカル休暇を取ってリサーチをしていることを告げたら、家族丸ごと迎えて入れて学校施設を案内してくれました。
ゆとりある空間と充実した設備が創造性を育む
ここではひとりひとりに作業を行う十分なスペースがあり、何よりも、学内のホールから廊下、プロフェッサー陣のオフィスの空間構成、学生の使うデスクや椅子、ゴミ箱等のプロダクトの隅々までに、信じられないくらいにデザインの神経が行き届いた空間であることに驚かされます。
また、多くの大企業と協働プロジェクトを通じて信頼関係を築き、学校のレベルを後押しするためにIKEAなどの企業がスポンサーとして大型の聴講ホールなどの設備投資に協賛をしています。
プロフェッサー陣と学生の関係性から見て取れるのは、上下関係や国籍の多様さなど、人間関係においては非常に寛容である一方で、この設備投資の裏には、一流の企業と対等にコラボレーションを進め、学生が社会で通用するレベルを卒業時に得ていること、そのためには、学校もプロフェッサー陣もクリエイティブにおける視野を広く高く保ち妥協しない厳しさを随所で感じました。
現役デザイナーが学校運営の要職を担う
さて、学校案内を終えて、最初のインタビューの相手は、ECALディレクターのAlexis Georgacopoulos。彼は35歳でディレクターに就任し、現在で6年目。元々はフリーランスのプロダクトデザイナーです。学校の総指揮官であるポジションにデザイナーを据えるところからも、クリエイティブファーストの志がはっきりと見えます。
そんな彼は、ECALで3つのコンセプトを掲げているそうです。
- 世界情勢やクリエイティブな領域でどのようなことが起きているかを把握しつつ、企業とのマッチング、海外の美術館・研究機関での展示、プロジェクトのファンディングなどを、総体的に推し進めること。
- 学生が積極的に国外に出向いて活動し、様々な国で違った価値観に出会えるよう、世界中のミュージアムや各地のメーカーなどと新しいことに取り組むコラボレーションの機会を提供すること。
- 在学中に学部間の交流のみならず、社会に出ていく上で必要な横の繋がりを学生自身が世界中につくり出すこと。
これらを具現化するために、学校側としては学生のためにデザインの質を常に感じることができる作業環境を整備し、ありとあらゆる経験を提供できる場づくりに注力しているそうです。そして、学生たちに対しては「その期待を背負いながら相当数のプロジェクトを同時にこなさないといけないため、大変だと思う。」とのこと。
今後については、ただ単に教える場所として機能する学校ではなく、行政との連携をより強めて、世界に対してスイスの文化を打ち出していくための教育機関にしていきたいとのことでした。
スイス文化を打ち出すための教育施策
Helvetica発祥国スイスのグラフィックデザインを礎とする教育
スイスでは大学入学して1年目の学生は、学部を問わず基礎を徹底的に学ぶファウンデーションコースに入ります。そしてECALの場合、初年次の集大成としてつくるポートフォリオは、校内の設備をフル活用しながら手を使ってブックレットをつくりあげます。これには、グラフィックデザインへの強いこだわりを感じました。
実際、校内のサインはもちろん、ローザンヌの街中のあらゆる場所でグラフィックデザインの力を感じます。
ちなみに、フォントのヘルベチカ(Helvetica)の名称はラテン語で「スイス」を意味するヘルベティア(Helvetia)が由来になっているそうで、その言葉通りタイポグラフィーの技術と誇りはスイスという国全体に血肉化しているとも思えました。
学内への設置を義務化された調査機関が学校運営をより円滑にする
また、特徴的なのは、スイスの大学でここ10年ほどで設置の義務化がされたというリサーチャーセクター。こういったクリエイティブを支えるための組織の仕組みに非常に興味があったのでECALのリサーチャーセクターであるリサーチ&デベロップメント(通称R&D)学部長のDavideに色々と教えてもらいました。
Davideが考える、ECALにおけるR&Dの役割は2つあるとのこと。
- 学校全体のプロジェクトがそれぞれどういう目的で取り組み、どのような課題があるかをデータベース化し、それらをシステムとして運用することで、目的に応じたファンディングの申請などを各学部が連携して円滑に行えるようにすること。
- プロジェクトを進める上で参考となるケーススタディや関連機関などのリソースを調査し、プロジェクトを脇から支えること。
これらは表舞台には出てこないけども非常に有意義なシステムだと感じました。
そんなリサーチャーであるDavideにさっそく僕のテーマである「課題採集」について話したところ、コンセプトに合った書籍をサクサクっとリサーチしてくれました。
アナログからハイテクまで ーー学びの幅を広げ、未来のコラボレーターを育てる学部
もう一つ興味深かったのは、ビジュアル・コミュニケーション学部という、「フォトグラフィ学科」と「グラフィックデザイン学科」の2つのコースが融合し、視覚伝達的なアプローチを活動の中心に据えた学部の存在です。ここでは、フォトグラフィ専攻の学生とグラフィックデザイン専攻の学生が常にコラボレーションしながら、作品の展示や印刷物、カタログ制作などを進めます。最近では、新たにエンジニアリングなどの要素と手法を交えてインタラクションデザインの領域にも教育の幅を広げようとしているそうです。
ここで特筆すべきなのは、テクノロジーを軸に進めるのではなく、常に人間らしくあるべきことを重視しているそうで、フォトグラフィ学科のディレクターMiloは、「授業では、校外に出て、自然の中でスープをつくりながら、テクノロジーで何ができるかをみんなで考えるよ。」との弁。発想を引き出すための開かれた環境づくり、そこから学生のインスピレーションを導くことは、今僕が求める型に囚われない「課題設定」の力に通じることかもしれません。
このように、異なる学部が協働するようにしているのは、学生がそれぞれの役割を理解しながらお互いを「未来のコラボレーター」として意識できるように、という狙いがあるそうです。各学部で必要な非常にアナログ的な手法からハイテクノロジーの技術、両面を教え、それぞれの学部間で知識や知恵を共有し合いながらプロジェクトを進めることで、学生にもかかわらず、プロ顔負けの制作力を発揮しています。
旅のメモ「ローザンヌECALにて」
今回、ECALの面々から話を聞く中で、教育とはまだ見ぬ次世代の環境(土壌)を整えることなのだと感じました。また、その意識を彼らが一様に持っていることでした。
実際に多言語で授業を受ける学生と話してみると、母国語以外でのコミュニケーションやプレゼンを推し進めた経験があり、自分で考えて行動することが多いせいか精神的にも成熟している印象を受けました。簡単に言うと、創造性を発揮するには様々なバックグラウンドを持つ人たちとコミュニケーションをし、多様性をお互いに認識すること、が始まりにあるのではないかと思います。
日本人として重要なのは、国を軽々と飛び越えて、自国のアイデンティティをアップデートし続ける意識なのだろうなと改めて強く感じた視察になりました。