▲ 悲鳴が上がりそうな曲芸状態の食器棚。笠間焼の佐藤剛さんの土瓶。内田鋼一さんに「植物の器」展の時に出品してもらった、ひびの入ったマグカップ。山形のおばあちゃんが作り続けている藁人形。
世の中には山ほどモノがある。
モノに埋もれて過ごしているのに、なぜか、モノは増えていく。
展覧会の企画などをした場合には接客もする。
接客して初めて知ったのは「自分の家に置けるかどうか、スペースを考えてからモノを買う人」がいる、ということだ。私はモノを買うとき、そんなことは考えない。欲しければ買ってしまう。
置く場所がなくて困るより、「あのとき、買っておけば……」という後悔のほうが怖い。以前、テレビである推理小説家が壁一面の書棚を公開していて、もう1冊も置けないような状態でも「根気と愛情」があればモノは収まる、と言っていた気がする。
いいモノでも世の中の無情でつくられなくなることは多々ある。仕事柄、雑誌や新聞にモノを紹介することがあるが、決まって「買えるモノを紹介してください」と言われる。当然だ。もし、今つくられていないものを見せびらかされても、欲求不満が溜まるばかりだ。気になったら調べるインターネット検索の時代。検索して出てこないモノはストレスかもしれない。
▲ 記憶力の悪い私の外部記憶装置。工芸に関する本だけだが、どんどん、増え続けている。本棚は、私の物量を見かねた、LUFTの真喜志奈美さんが、引っ越し祝いに10台送ってくれたもの。
この2月にショップ&ギャラリーのサボア・ヴィーヴルで開かれていた「過去10年間ニューヨークで集めた我楽多市 vol.1」は、稲垣小太郎さんがピンときたテーマに沿ってロサンゼルスとニューヨーク滞在中に蚤の市やオークションなどで根気よく探し出したモノの大放出だった。
vol.1は陶器メーカーのアラビアやダンスクの白のモノと木工のカトラリーやボウルだけ、というストイックなラインナップだった。vol.2以降はまた、別のテーマだという。
この展覧会を見て「根気と愛情」があれば、モノは探せるのかも……、検索時代なら見せびらかしは楽しい出会いの道標になるかもしれない、と閃いた。
正直、新しいモノをつくり続けるつくり手にとって、「前のあれ、よかったよね。もうつくらないの」と言われることほどの屈辱はない。私のような、モノを売る人間も同様だ。廃番になったモノを「あれ、よかったのにもうないの」と言われることは、自分が責められているようで、とても辛いものなのだ。
この連載で紹介することで、もしかしたら「今更、そんなモノ、蒸し返さないで」とつくり手から言われるかもしれないが、「つくり手に甘い」と常々言われる私に言わせてもらえば、工場やつくり手には廃番にした事情があると思うので、それは仕方ない。悪いのはそのとき、買う判断をしなかった人だ。
だから販売に立つとき、「今買わないと、あとで後悔するかもしれませんからね……」とよく口添えする(あんまり言うと、嫌がられるが)。決して売りたいからではなく(もちろん、売りたい)、それ以上に自分の後悔をお客様にはさせたくないから、という親心なのだ。とはいえ、それを続けるとわが家のようにモノが山積みになるのだけど……。
▲ 「玄関は風通しよく」と言われるが、我が玄関には永遠にありえない。ピーナツマンは帽子にピーナツを入れて、ハンドルを回すとピーナツバターが出てきて、左肩のトレーに乗る優れもの。
言い訳のような前段が長くなったが、次回以降山積みのモノの中から少しづつご紹介したい。
そのモノを気に入ったあなたが、どこかでそれらに出会えることを祈りつつ……。