「ミッフィー」の作家、
ディック・ブルーナが手がけた本のデザイン

▲ 展覧会会場のエントランスを飾る「ブラック・べア」。

多くの人が幼い頃、そして親になったときにお世話になった絵本「ミッフィー(うさこちゃん)」シリーズの作家、ディック・ブルーナさんが今年2月に亡くなった。親しみを込めて、あえて「ブルーナさん」と呼びたい。現在、東京・松屋銀座で、ブルーナさんのグラフィックデザイナーとしての側面を紹介する展覧会「シンプルの正体 ディック・ブルーナのデザイン」が開かれている(5月8日まで。その後、福岡へ巡回)。

▲ 1927年、オランダ・ユトレヒト生まれのディック・ブルーナさん。

仕事と創作のはざまで

ブルーナさんは出版社「A.W.ブルーナ&ズーン」の経営者の家に生まれた。芸術家になることを夢見ていたが家業を継がねばならず、入社前の2年間だけ遊学を許されたという。ロンドンとパリで1年ずつ書店や出版社で働きながら、たくさんの美術に触れたブルーナさん。特にアンリ・マティスやレイモン・サルヴィニャック、フェルナン・レジェからおおいにインスピレーションを受けたと言われ、後に手がけた作品にその影響を見ることができる。

▲ 会場では、ペーパーバックやポスターデザインなど約500点を展示する。

入社4年後の1955年には、A.W.ブルーナ&ズーンの人気シリーズとなるペーパーバック「ブラック・ベア」がスタート。当時のオランダでは手軽なペーパーバック(文庫本)が人気で、駅の売店にたくさん並んだという。ブラック・ベアは推理やミステリーのシリーズで、ブルーナさんが装丁や駅貼りポスターのデザインを担当。1975年までの20年間で計2,000冊、平均して1日3冊のデザインをたったひとりで手がけていたことになる。

▲ 初期のペーパーバック「ブラック・ベア」シリーズ。

▲ ローレンス・ブロック「怪盗タナーは眠らない」1972年。

シンプルになっていくプロセス

一方、1953年には初めての絵本「りんごぼうや」、1955年にはミッフィーの原型となる「ちいさなうさこちゃん」を制作、絵本作家としても活動した。会社から与えられる仕事のブラック・ベアと、数多くの下書きを経たうえでつくり上げる絵本(約60年間で124作)では、アプローチも表現も異なっているはず。ブルーナさんは双方をどのようにとらえていたのか。

「ブルーナさんにとってブラック・ベアはサッカーの“練習”みたいなものだったのではないか」と話すのは、長年にわたって交流し、日本で数多くの展覧会や執筆を手がけている朝日新聞社の森本俊司さんだ。

「なにしろすべての本を読み、内容を理解してからデザインに取り掛かっていたので、ひじょうに忙しかった。1963年から1970年くらいまでミッフィーのシリーズが止まっていた期間があり、その間は多忙を極めたとか。しかし、ブルーナさんは絵本と同じくらいブラック・ベアの仕事を楽しんでいたようです」。

▲ 1冊ごとに様ざまな書体や構成を試している。

森本さんがブルーナさんの装丁デザインを「練習」と表現する理由は、実際にブラック・ベアの表紙を見ていくとわかってくる。小さなフィールドで、とにかくいろいろな技法を試している、という印象を受けるからだ。写真とイラストのコラージュ、ちぎり絵、手描き文字、オプアートの影響と思われるような幾何学的なデザインまで、実に自由闊達である。

▲ ちぎり絵の技法はブラック・ベアのキャラクターにも使われている。

▲ 幾何学的なデザインの表紙。

しかし、ペーパーバックの経験を積むうちに、ブルーナさんの装丁デザインにも一定のルールらしきものが見えてくる。例えば、「シャドー」「セイント」といったシリーズごとにアイコンとなるビジュアル(キャラクター)を設計することで、タイトルの書体や背景を変えても、ひと目でシリーズ続編だとわかる仕組みを確立している。たくさんのペーパーバックが並んだ駅の売店でも、早足に移動する人々の一瞬の視線をとらえて「ジャケ買い」してもらうための工夫だ。文字要素は削ぎ落とされ、ミッフィーに通じる「シンプル」が感じられる。

▲ ハファンク/テルプストラ「シャドー」シリーズは人気の推理小説。

▲ レスリー・チャータリス「セイント」シリーズ。

▲ ジャン・ブリュース「OSS117号」シリーズでは、コートのポケットに収めたブラック・ベアのマークに遊び心が感じられる。

▲ ジョルジュ・シムノン「メグレ警部」シリーズ。トレードマークのパイプがキービジュアル。

▲ ポール・ケニー「コプラン」シリーズ。写真とのコラージュもある。

「膨大な数をこなすペーパーバックの仕事では、面白そうだと思ったことをまずやってみる。そうしながら、ブルーナさんのなかで『これはない』『これはあり』と感触を確かめていったのでは。削ぎ落とされて凝縮し、絵本につながっていったのではないでしょうか」(森本さん)。

▲ 代表的な絵本のシリーズ。

シンプルの正体。それは決して、最初からそこに「シンプルがある」のではない。思うままにたくさんのインスピレーションや情報を抱えて実験を重ねるなかで自分だけのルールを見つけ、余分な要素が削ぎ落とされた結果として「シンプルになる」のではないだろうか。

そして、もうひとつ忘れてはならないのは、ブルーナさんのシンプルとは、カラカラに乾いた無機質なそれではなく、ユーモアとおおらかな眼差しによって潤う「豊かなシンプル」であるということ。だからこそ、世界中の多くの人たちから愛され続けているのかもしれない。

▲「クマくんがしんだ(de beer is dood)」(仮題)の表紙。

▲ ベースとなったブラック・ベアのポスター図案(60〜70年代)。

ブラック・ベアの目が赤いのは「本の読みすぎ」によるものだそうで、このキャラクターが実はブルーナさん本人なのではと頭をよぎるが、本当のことはわからない。絵本のサイズもミッフィーシリーズの15.5×15.5cmよりひと回り大きく、色もホワイト&ブラックが基調となるなど、ブルーナさんの絵本の「ルール」から逸脱している。

「ブラック・ベアはブルーナさんの出世作ということもあり、ミッフィーと同じくらい愛していました」と話す森本さんは、「いろいろな想像ができる不思議な絵本です」と微笑む。ブルーナさんが遺してくれた最後の「シンプル」。さあ、私たちはそこにどんな想像を巡らせたら良いだろうか。(文・写真/今村玲子)

「シンプルの正体 ディック・ブルーナのデザイン」

会期 2017年4月19日(水)〜5月8日(月)

会場 東京・松屋銀座8階イベントスクエア

詳細 http://bruna-design.jp

巡回 5月13日(土)〜、福岡・三菱地所アルティアムにて。

内容
200冊を超えるペーパーバック、約40点のデザイン原画やスケッチ、絵本原画約30点にポスターの複製などを加えた約500点を展示。KIGI、groovisions、中村至男、ミントデザインズによる、ブルーナ作品からインスピレーションを受けた新作も紹介。