▲ カール・ハンセン&サンの「OW2000 EGYPTIAN CHAIR」。デザインは島崎氏が師と仰ぐ、デンマーク王立芸術アカデミー家具科の教授であり、家具デザイナーのオーレ・ヴァンシャー。
1958年にデンマークに渡り、3年後の帰国から現在までの56年にわたって、北欧のデザインや考え方を日本に広めてきた第一人者。それが島崎 信氏だ。 建築家、デザイナー、武蔵野美術大学名誉教授など多くの肩書きを持ち、今年は日本・デンマーク国交樹立150周年の親善大使に任命された。
▲「一脚の椅子・その背景 モダンチェアはいかにして生まれたか」(建築資料研究社)。雑誌や書籍の企画は、いつも自ら出版社に提案するという。
取材の記録をまとめた「島崎メモ」
島崎氏は、家具を中心にした雑誌への寄稿や書籍を数多く刊行している。長年にわたって国内外の名だたるデザイナーや建築家、家具メーカーの技術者などに会い、話を書き記したものは、後世に受け継ぐべき貴重な資料だ。
取材にあたっては、通称「島崎メモ」と呼ばれる記録用のノートやメモ帳があるという。いつもどのように取材をしているのかに興味を持ち、また自分自身の勉強のために島崎氏の事務所を訪れた。
▲ 築90年以上の趣のある木造建築の事務所にて、島崎 信氏。
縁があったことを記録する
現在は、執筆業のほかに講演会やセミナー、民藝運動の研究や佐渡の太鼓芸能集団「鼓童」の活動などにも携わり、週に1度は地方出張という多忙な日々を送っている。なんと今年で85歳を迎えるという。
さっそく「島崎メモ」について尋ねると、デンマークに渡ったときから現在まで数え切れないほどの量になっているそうだ。
「子どもの頃、引き出しの中に曲がった釘とか、変なものをお宝としてとっておくのと同じでね。人から見たらたいしたものではないかもしれないけれど、自分と縁があったことは書き記してとっておきます。みなさん方は案外、記録というものをとりませんよね。人間は自分の考え方でさえ、しょっちゅう振れますから、やはりちゃんと今の記録をとっておいたほうがいいと思うんですね」。
▲ 太鼓芸能集団「鼓童」を支え、公益活動を行う鼓童文化財団の特別顧問を務めている。写真提供/公益財団法人鼓童文化財団
事前調査であらゆることを調べる
「やれるだけのことをします。それが取材する相手に対する礼儀ですからね。それと私は人が好きなんですね。椅子ひとつ取材するのでも、デザイナーの出自、家族や親子関係、趣味や個性、あらゆることを調べます。柳 宗理さんからは、『うちの家系のことは、島崎くんのほうが詳しいから』と。昔から親しかったんだけれども、柳さんを取材するときには事前に『柳宗悦全集』(全22巻25冊、筑摩書房)を、はす読みしていきました。調べていくと、人柄や人間性の底流には共通しているところがたくさんあるものなんですよ」。
さらに、柳氏の椅子をつくる工場にも足を運び、製作工程や技術を取材し、その会社が株主に提出するアニュアルレポートを過去10年分も取り寄せ、売り上げや資本などを調べたうえで市場の動向も探るというから驚きだ。取材相手の心に寄り添った温かさを感じさせる文章は、そうした綿密な調査のもとに生まれていたのだ。
▲ コンパクトサイズで携帯にも便利な文庫本「美しい椅子」シリーズ(エイ出版社)。
立体をやりたかった
島崎氏は、1952年に東京藝術大学 美術学部 工芸科図案部に入学し、デザイン、すなわち、生活に関わるものについて学んだ。まだデザインという言葉がなく、東京藝大と京都藝大のふたつしか学べる場がなかった時代だ。最も興味があったのは、自分の身辺にあるもの、生活に関わるものづくりだ。
「子どもの頃から、手を動かしてものをつくることが好きでした。高校生の頃は木版画の年賀状や当時、流行ったエクスリブリス(蔵書票)をつくったりしました。でも、自分は人よりも才能がないし、人よりも勤勉ではないから、人に踏みつけられないように、これから世の中で生きていくにはどうしたらいいか、長く続けられることは何かと考えていました」。
大学の授業では、筆を使って浴衣に柄を描いたり、平安時代末期の絵巻物「信貴山縁起」を模写したりした。同級生には、福田繁雄氏や仲條正義氏がいた。けれども、島崎氏は、本当は「立体をやりたかった」と言う。
「大学では教えてくれる人がいなかったので、自分で調べた東京・深川の家具職人のところに行って、横に張り付いてずっと見ていたこともありました。誰もがやりたいことをできる時代ではなかったですし、便宜を図ってくれる人もいない。自分自身で考えて人生を組み立てていかなければならなかったんです」。
▲「椅子の物語 名作を考える」(日本放送出版協会)。海外での取材は、レンタカーを自ら運転して取材先を訪れ、撮影も自分で行う。
2つのミッションを掲げて
大学を卒業後、東横百貨店(現・東急百貨店)に就職し、家具デザインを担当する。2年が経ち、自分には勉強が足りないと考えていた矢先、JETROがデンマークに派遣する留学生の試験をすると知った。今のように自由に海外に行くことなどできなかった時代だ。
島崎氏は藁をも掴む気持ちで試験を受け、見事に合格。1958年に産業意匠研究員としてデンマーク王立芸術アカデミーに留学した。家具デザイナーのオーレ・ヴァンシャーに師事し、彼の生き方そのものからさまざまなことを学んだそうだ。
1960年デンマークから帰国する際には、ふたつのミッションを自らに課した。ひとつは、デンマークのものづくりや生活デザインを日本に広めること。それもただ紹介するだけでなく、技術も広め、日本のものを良くしていくこと。
もうひとつは、デンマークが国の制度や福祉、教育、デザインの改革を行い、1920年から1950年の30年足らずで素晴らしい国を成し遂げたように、日本の国もデザインによって変えていくこと。それは、人々が幸せで豊かに思える国をつくるためには、どのようなデザインが必要かを考える思考力を広めることである。
「当時は、日本を背負っていたような気持ちだった」と振り返り、「それが今もずっと続いているような感じですね」と語った。
▲ 日本・デンマーク外交関係樹立150周年の公式ロゴマーク。
縁を感じたらやってみる
デンマークに渡ってからこれまでを振り返って、現在の日本のデザインを島崎氏はどのように見ているのだろうか。
「北欧の暮らし方やデザインについては、ある程度、日本の日常に定着したのではないかと思います。けれども、ふたつ目のミッション、国をデザインすることについては、これまでも一生懸命に努力をしてきましたけれど、志半ばどころか、まだ全然だめですね」。
そのことを含めて、「しなければいけないことが、まだまだある」と言う。「生きているということ、自分が存在しているということは、しなければいけないことがあるということ。だから、縁を感じたら、人に会ってみたり、とにかくやってみる。それも一生懸命やることです」。
▲ 2016年に開催された「座って学ぶ 椅子学講座 –ムサビ近代椅子コレクション400脚−」の会場風景。
勉強したい人は代価を払うべき
これまで多くの縁に導かれて、世界中のさまざまな椅子に触れ、つくり手に会って話をしてきた。そんな島崎氏とともに椅子のデザインを考えるセミナーが、2016年に続いて今年も開かれる予定だ。約400脚の椅子を所蔵する(最初の1脚から島崎氏が系統立てて収集に関わってきたもの)、武蔵野美術大学 美術館・図書館の企画で、2016年は「座って学ぶ 椅子学講座 –ムサビ近代椅子コレクション400脚−」と題して、8回にわたって開かれた。
受講希望者は、参加理由を800字にまとめて提出することや、半年ほどのすべての講座に連続して出席するなどの条件がある。
「そんな先までのスケジュールなんて組めないという人は、来なくていいと言っています。勉強したい人は、時間、能力、労力を代価として出さなければいけないんです」と島崎氏は言う。
教科書には書かれていない、生きたデザインの話を聞くことのできる貴重な経験になるだろう。縁を感じたら、ぜひ参加していただきたい。(インタビュー・文/浦川愛亜)
カール・ハンセン&サン http://www.carlhansen.jp
公益財団法人鼓童文化財団 http://www.kodo.or.jp
デンマーク王国大使館 http://japan.um.dk
2017年日本・デンマーク外交関係樹立150周年記念 http://www.denmarkjapan150.jp/ja/feed-ja/
武蔵野美術大学 美術館・図書館(※椅子学講座は、下記ウェブで5月上旬に詳細発表予定) http://mauml.musabi.ac.jp
島崎 信/デザイナー、建築家、武蔵野美術大学名誉教授。1932年東京生まれ。1956年東京藝術大学卒業後、デンマーク王立芸術大学建築科修了。東横百貨店(現・東急百貨店)家具装飾課入社。1958年JETRO海外デザイン研究員として日本人で初めてデンマーク王立芸術大学に所属、1960年同建築科修了。帰国後、島崎信デザイン研究所(現・島崎信事務所)を設立し、現在に至る。国内外でインテリアやプロダクトのデザイン、東急ハンズ、アイデックなどの企画立ち上げに携わる。日本フィンランドデザイン協会理事長、北欧建築デザイン協会理事、公益財団法人鼓童文化財団特別顧問、NPO法人東京・生活デザインミュージアム理事長。