2016年にスイスのローザンヌ美術大学(ECAL)を卒業し、同年の東京デザインウィーク中に「Re-Importation」展を主宰しつつ自らも出展した岩元航大さん。デザイン大学を卒業した日本人の多くがデザイン事務所や会社に勤めるなか、彼は帰国と同時にフリーランスのデザイナーになる道を選んだ。精力的に見える活動の裏で、どのようなビジョンを持ち、どのようなルールを自らに課しているのか。ECALへの留学を振り返りながら、今の想いを尋ねる。
インタビュー・文/今野敬介
鹿児島出身ですが、日本では神戸芸術工科大学に入学されましたね。
岩元航大 普通科の高校に通っていて、美術部に入りながら、芸大に行くための勉強をしていました。画塾に通っていたんですが、そこの先生が神戸芸工大に知り合いがいて、関西のいい大学だからと勧められ、調べたのがきっかけです。
受験で大学を訪れたとき、プロダクトデザインの学科棟のエントランスに卒業制作が置いてあり、そのなかのフィッシングリールに目が止まったんです。父親が漁師だったからかもしれないんですが、メタリックの、今までなかったような洗練された形で、かっこいいなーって思いました。こんなものをつくれる学生が育つなら、勉強したいと思いました。入学後は、木工の実習助手をされていた馬場田研吾さんと仲良くなって、基礎から教えてもらいました。それが、手を動かしたものづくりを大切にする、今の自分につながっています。
神戸芸工大では教員と学生有志が集まり、当たり前に思えることを超えていくための実験的なプロジェクト「Design Soil」に参加しました。
僕は基本的にライバル意識が強くて、同級生よりも変わったことがしたい、何をしたら抜きん出ることができるかを模索していました。そのときに、Design Soilのコンペ告知を見て、挑戦したんです。「工房から世界へ」というコンセプトを掲げ、大学の工房の限られた機材という制約を逆手に取ってプロダクトをつくり、海外で展示しました。
▲ Design Soil(http://www.designsoil.jp)の制作拠点となった大学の木工工房。ディレクターを務めたのは、同大学の田頭章徳助教。©神戸芸術工科大学
作品を海外で発表するとなると、輸送の問題が生じます。1年目の全体テーマは「SOUVENIR」で、機内持ち込みサイズのスーツケースに収まる家具という課題だったので、ノックダウン式のコートスタンドをつくりました。そのデザインを考える過程で、徐々に自分のつくるものがミニマルになっていった気がします。
初めてミラノサローネのサテリテで展示したときには、あまりに情報量が多く、刺激が強すぎて、戦意喪失みたいな気持ちで帰ってきたのを覚えています(笑)。ただただ、他の学生の作品や企業の展示のクオリティに驚かされた。サローネはそれくらい衝撃的でした。
▲ Design Soil 2011より。機内持ち込みサイズに収まる家具としてつくったコートスタンド「SLASH」。
その衝撃から留学を考え始めたんですね。ECALに決めた理由は何だったんでしょう?
ECALは、制作物の最終ゴールを商品化としているのでビジネスを学べると思ったし、突飛な作品を生み出すところではないと感じていたんです。僕はものを生み出し、量産することに興味があったので、それならECALかなって思いました。
入学のための試験はどのようなものでしたか。
大学院の一次試験は、ポートフォリオと、入学後にどんなことをしたいかというA4で1、2枚くらいのプランをデータで提出しないといけなくて。二次が面接。面接時はプリントしたポートフォリオを提出しなくてはいけなかった。
面接時間は10~15分くらいだったんですが、あまり英語に自信がなくて、印象の強さで勝負しないといけないと思った。なので、Design Soil 2013でつくった4段のシェルフ「Half-Throttle」を分解して、スーツケースに入れて持っていきました。
道中、シェルフの重さでスーツケースの車輪が壊れて、引きずりながら向かったんです(笑)。面接時に組み上げて見せました。ほかに「誰に憧れているか」と聞かれ、作風が好きなこともあって「トマス・アロンソ」と答えたら、面接官から「ちょうど授業をしているから挨拶して行きなよ」と言われて(笑)。実は3、4年前に、DESIGN EASTでお会いしたときに、後に「ECALに留学したい」と伝えていました。会いに行くと当時のことを覚えてくれていて、ECALを勧められました。
▲ Design Soil 2013で制作し、ECALの面接時に持参した「Half-Throttle」。その後、伊千呂との開発を重ね、オンラインショップ(http://www.ichirodesign.jp/shop/)で販売されている。Photos by Akihiro Ito
▲ スイス・ローザンヌにあるECAL。2017年2月現在、日本人は4名が在籍している。©ECAL
ECALの授業はどのような感じでしたか。
当時の講師は、トマス・アロンソやBIG GAMEのオーギュスタン・スコット・ドゥ・マルタンヴィル、アレクサンダー・テイラー、大学院長のティロ・アレックス・ブルーナ。全員の求めるクオリティがとても高かった。
学生の作品に対して、「果たして商品として売れるのか」をとても気にするんです。制作物を提出する最終プレゼンでは、びっくりしたんですけど、「どこのメーカーがつくるのか」「どこの工場でつくるのか」「どのくらいのコストでつくるのか」「100個、1,000個、10,000個のとき単価はいくらか」などを調べて提出しなくてはいけない。そこまで求められます。
作品をつくるプロジェクトでは、学生とチューターの1対1で、2週間に2回のミーティングがあります。大学院1年目からフリープロジェクトと産学協同のブリーフプロジェクトの2つを抱え、1つのプロジェクトに半年をかける。僕のブリーフプロジェクトは、プンクトというスイスの携帯電話などのエレクトロニクスメーカーで、チューターはジョン・ツリーでした。
授業のほうは完璧にカリキュラムが組まれています。その1つにディベートの時間があって、例えば「これぞ完璧なデザイン」というテーマで討論したり。当たり前ですが、授業は英語なので、毎日英単語を覚えました。感情を表現するような単語を数多く覚えるのに苦労したんですが、それでもほかの人との差は埋められなかったので、ひたすら手を動かしてモックアップを数多くつくったり、プレゼンボードをたくさん用意したり。プレゼン能力は、日本にいたときと比べてかなり上がったと思います。
▲ フリープロジェクトで制作した「Shade Vase」と、そのリサーチの一部。日本的な美しさとヨーロッパ的な美しさの違いをイメージから探った。
卒業制作の「Chochin」はどのような考えから生まれたのか教えてください。
卒業制作は2年目の後期のプロジェクトで、それまでのプロジェクトと違って、これだけに集中して取り組みます。今まで以上にクオリティが求められ、リサーチも徹底的にやる。
僕がつくったのは、アジア市場向けのカーボンヒーターです。なぜこの市場にしたかというと、卒業後は日本に帰ることを決めていて、継続して取り組めるものであること、そしてヨーロッパであまり使われていないものにしたかったから。遠赤外線はヨーロッパの国によっては熱効率が良くないという理由で規制されていたり、禁止されたりしていて、使われていないんです。調べると効率の悪さはフィラメントに由来していました。
▲ 卒業制作の「Chochin」。持ち運びを考え、頭部にフックを採用した。Photo by Anna Karaseva
講師は、ティロとオーギュスタンだったんですが、この熱効率が良くないという見方を覆すような説明が求められました。フィラメントのリサーチでは、4つのカーボンヒーターを分解し、構造を調べました。欠かせない構造については、日本のメーカーに問い合わせました。故障の原因の一つに、本体に余分な熱がこもって断線してしまうことが挙げられるのですが、その熱を放出するために金属のワイヤーで覆って、構造のスタディを繰り返しました。最終的にはアイコニックな提灯をモチーフに制作し、コードはフレームに干渉しないように下から出すようにしました。提灯にしたのは、アジアの人々に馴染みやすいようにという考えからです。
→後編に続く
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Photo by Satoshi Watanabe
岩元航大 Kodai Iwamoto/1990年鹿児島県生まれ。神戸芸術工科大学プロダクトデザイン学科在籍時に、デザインプロジェクトDesign Soilに参加し、ミラノサローネやアビターレなどに出展。卒業後はフィリピンのセブ島に語学留学し、2014年にスイスのローザンヌ美術大学(ECAL)プロダクトデザイン修士コースに進学。トマス・アロンソやBIG-GAMEのオーギュスタン・スコット・ドゥ・マルタンヴィルらの下で学ぶ。現在はフリーランスデザイナーとして、国内外のメーカーとプロジェクトを進める。
Kodai Iwamoto Desgin: http://www.kohdaiiwamoto.com
岩元航大のECAL日記: http://kodaiiwamotoecallife.tumblr.com
今野敬介 Keisuke Konno/1991年宮城県生まれ。神戸芸術工科大学デザイン学部プロダクトデザイン学科卒。同学科のプロジェクトinfoguildにおいて米国で映像を制作。同じく同校のDesign Soilプロジェクトではミラノデザインウィーク時の展示をサポートした。韓国留学を経て、現在はデザインジャーナリストとして活動中。https://m.facebook.com/keisukekonnokk