「トウキョウ建築コレクション」の作品「Memory as Matter – Hybrid-Mutation Design Methodology(形而下的記憶 混成変容設計手法論)」が、強いインパクトを放っていた佐野勇太さん。同世代の今野敬介が尋ねるインタビュー続編です(前編はこちらへ)。
インタビュー・文/今野敬介
建築家を目指すきっかけはありましたか?
佐野勇太 僕の父親は大工なんです。おじいちゃんの代からの大工。つくるとか生み出すところを近くで見てきて、関心を持ちました。じゃあ、なぜ大工にならなかったのかというと、単純なきっかけで。小学6年生ぐらいのときに村上 龍さんの『13歳のハローワーク』という、自分の興味をチェックしていくと「君はこういう職業に向いています」と教えてくれる本を読んだんです。何度やっても建築家とかデザイナーという部類に行き着いちゃう。ああそうなんだ、そうしようって思いました。
▲ 三菱一号館美術館。工学院大学の在学時に展覧会を見に訪れ、海外へ留学するきっかけとなった建築物の1つだと話す。復元設計は三菱地所設計が担当した。
就職活動では、海外にいると会社情報を得ることが難しくて、三菱地所設計に知り合いの先輩やOBの方もいなかったため、大学の夏休みを利用して採用面接を受けながら相性を見るという感じでした。
なぜ三菱地所設計に入ったかと言ったら、その面接のときの雰囲気とか、対応してくれた方とのコミュニケーションがとても心地良かったこと。三菱地所設計には堅いイメージがあったけど、良い意味で裏切られました。僕が「英語でプレゼンしても良いですか」と聞くと、現在の私の上司である大草徹也さんが「どうぞどうぞ」と盛り上げてくれました。入ってみると、やっぱり柔軟性を持った人が多いと感じます。
海外で就職することに目を向けなかったのは、先に内定をいただいたこともあるんですが、「三菱だからクルマの工場のデザインをするの?」と言われたりして、三菱地所設計がオーストラリアであまり認識されていないことが悔しかったんです。ますますここで、いろんなことに挑戦してみたいと思うようになりました。
影響を受けた建築家はいますか?
2016年3月の国際コンペの表彰式でバーナード・チュミさんにお会いしました。そのとき彼が「建築をやる以上、さまざまなシーンにおける“当たり前のこと”に常に疑問を持ちなさい。そういう姿勢を忘れないでほしい」と言ってくれました。そうすることでソリューションを高められるし、また別のソリューションも考えるようになる。これまで当たり前とされてきた概念に疑問を呈するという姿勢は、どんな場面においても必要だと感じます。
ほかにセドリック・プライスにも影響を受けました。プライスはたくさんのコンペに挑戦したけれど、審査員に受け入れ難い考えを持っていて、建物にならなかった作品が多いんです。その中で「The Fun Palace」は面白い構想で、シアターの概念を変えようとしていた。この会議室は会議室なのかって疑問を持つように。彼は1960年代、芸術運動を支える舞台の考え方を提唱しました。それはパフォーマーがオーディエンスにもなるし、オーディエンスがパフォーマーにもなり得るような環境をつくり上げる建築がシアターであると。小さなエレメントが混ぜ合わさることで多義性が生まれるという可能性をプライスから教わりました。
あとはピーター・クック。彼の『Drawing』という本を日本の大学に通っていたときに読みました。僕のドローイングの根底にあると思います。
▲ 左から、ピーター・クック『Drawing』、『トウキョウ建築コレクション2016 Official Book』、アミーエ・ソルタニ『(Non-) Essential Knowledge for (New) Architecture』。
将来的にどんな建築家になりたいとか、今後のことを伺っていいですか。
なんだろう、難しいですね。ありすぎて難しいので、言わないでおきます(笑)。
日本の建築家はすごいパワーを持っています。尊敬の念しかないんですが、でも自分がそこを目指すということではないんです。僕ら世代は、ひとりが主導する建築のやり方では今後につながっていかない、と気づいていると思います。建築は建築だけを考えればいいというわけではなくて、いろいろな領域の人とコラボレーションし、多くの人の考えやコミュニケーションを通してつくられます。
実は、新入社員研修のときに上司の松井章一郎さんが、「今の建築は、ふんわりとしたゆるやかな個性が集まったものから形づくられる」っておっしゃって、まさか初っ端からそんなことを言われると思っていなかったので衝撃でした。というのは、僕も全く同じことを考えているからです。世界に目を向けてみると、OMA、BIG、SHoP、MVRDVといった個性的な集団が、未来を示しはじめています。
日本では社会も、建築の世界も、新しいものが受け入れられにくい環境なのかなって思います。それが顕著だと気づいたのが教育で、日本では概念や思考の似通った人たちから教えられることが多いんです。学生は教授の研究室で仕事の手伝いをして、もったいない時間を過ごしていると思います。
メルボルンの大学は、僕ら世代の25〜27歳の人たちも教鞭を執っています。なぜなら、その人しか持っていない思考やアイデア、技術があるから。1つの学期の間で教授がテストされる緊張感のある環境だから、新しいものを吸収しようと必死に取り組んでいますし、建築に限らないさまざまな意見を通して建築をつくり出すことを重要視しています。
人をかたちづくっていくのが環境だから、本当に教育の意義は大きい。日本は価値観や多様性をもっと受け入れられる社会になってほしいと感じています。
インタビューを終えて
柔らかい口調で話す佐野さんに、僕は何度も大きく頷いた。彼が作品で試みたのは、時代を超えるアプローチだ。記憶から建築をつくるだけでなく、今の時代の記憶を止め、後世へつなごうとしている。また、他者の記憶を共有するということは、個々の小さなものも見逃さないということだろう。記憶をテーマにした研究はこれからも続けていくのだろうか。今後さまざまな領域とコラボレーションを図り、新たな建築像を探っていく試みに期待したい。
▲ 三菱一号館美術館の前にて。美術館が面する丸の内仲通りも同社の設計で、歩道の幅員を拡げたり植栽を施したりして、快適な歩行者空間を実現している。
佐野勇太 Yuta Sano/1990年山梨県生まれ。工学院大学工学部建築デザイン学科西森陸雄研究室を卒業し、豪州留学。メルボルン大学大学院では、ザハ・ハディド建築設計事務所を経たポール・ロー氏に師事し、デジタル建築の可能性を研究。学生時代から多くの受賞歴を持ち、2015年に開催された国際建築大学生コンペティション「UIA-HYP Cup 2015」において最優秀賞を受賞。修士制作の「Memory as Matter ー Hybrid-Mutation Design Methodology」はメルボルン大学のみならず、世界各国の大学教授や学生から注目を集めた。現在は三菱地所設計に勤務し、コンペをはじめ、ロボットと人間が共存する未来都市の計画、ホテルやオフィスビルなどのプロジェクトに取り組む。
今野敬介 Keisuke Konno/1991年宮城県生まれ。神戸芸術工科大学デザイン学部プロダクトデザイン学科卒。同学科のプロジェクトinfoguildにおいて米国で映像を制作。同じく同校のDesign Soilプロジェクトではミラノデザインウィーク時の展示をサポートした。韓国留学を経て、現在はデザインジャーナリストを目指して活動中。