第9回(最終回)人を夢中にさせるデザインの力

アイシン精機は、創業時の原点である家庭用ミシンを通して、ものづくりの楽しさを体験できる参加型展示をミラノデザインウィークで行った。

同社は「Imagine New Days」というテーマの下、“これからの人の暮らしを考えていこう”というプロジェクトを進めている。インハウスデザイナーが中心だが、さまざまな分野のクリエイターも参加している。その1つが、ミラノでの展示として発表された。

それは、同社の家庭向け“お絵描きミシン”「OEKAKI50」を使用し、来場者がミシンを踏んでステッチ刺繍をするというフィジカルなものづくり体験の場でもあった。この展示は、イタリア文化協会elitaが主催する「ミラノ・デザイン・アワード2016」において、来場者を夢中にさせたインスタレーションに贈られる「Best Engagement by IED」を受賞した。 

会場入口では、現在の主力製品である自動車のトランスミッションギアをモチーフに、デザインエンジニアの吉本英樹氏が歯車と光による空間を創出。来場者が樹木の幹に見立てたパネルに触れると、センサーを通して天井面に広がる歯車が回転。それぞれの動きを伝達していくとともに、歯車の間から足元に落ちる光が移ろい、変化していくというインタラクティブなインスタレーションだった。

▲ モチーフとなっているギアは、ミシンから自動車部品まで、アイシン製品を動かす心臓部品。そのギアを象徴する歯車が、来場者が木に触れることで動き出すという、クルマのメカニズムを人の手で動かす感覚を伝えることになった。

▲ 精緻に回転する歯車の動きを通して、自動車部品という普段目にすることの少ないアイシン製品の持つ世界観を伝えた。Photo by Daisuke Ohki


入口を抜けると、テキスタイルデザイナーの鈴木マサル氏による原っぱのような空間が広がる。「OEKAKI50」でステッチ刺繍をしたカーテン芯地が天井から吊るされ、円形のアトリウム空間「STITCH FIELD」をつくり上げていた。

▲ 1,000枚以上のカーテン芯地にステッチされた曲線は、鉛筆のフリーハンドのようなリズミカルさ。
Photo by Daisuke Ohki

▲ 草原にステッチで描かれた羊と思しき輪郭が見え隠れする。


この展示で最も人気があったのが、ミシン体験。「OEKAKI50」を使って布地に自由な線をステッチし、でき上がったものを持ち帰ることができるとあって、ミシン待ちの列ができていた。はじめは思い通りにできなくても、コツをつかむと誰もが上達する。うまくなれば楽しくなり、工夫することを覚え、なかなか手を止めることができない。印象的だったのは、普段、歩きながらヘッドホンで音楽を聴いている若者たちが、このときばかりはヘッドホンを外して、真剣にミシンを踏んでいたことだ。

▲ 伊藤 節と伊藤志信のふたりがデザインした“お絵描きミシン”用テーブルとスツール「TORTA」は、カットケーキのトルテをイメージ。ひとり作業ではなく、ミシンテーブルの周りに自ずと人が集まりたくなる形は、ミシン作業を誰かと一緒にするというこれまでにない発想。スツールの座面を取り外し、中にミシンを収納できる。


1,000円代で浴衣が買える時代。若者のなかには浴衣で花火見物に行き、帰り道には浴衣を捨てる人もいると聞く。そこに後ろめたさはなく、使い捨ての紙コップと同じ感覚。おそらく中国かアジアのどこかの国でつくられた浴衣だろうか。しかし、どれだけ安い衣服でも全自動でできるわけはなく、人の手がミシンを動かしている様子を想像したら、やすやすと捨てることはできないだろう。

自分が夢中になってつくったものは、たとえ下手でも愛着が湧く。簡単には捨てられない。ものがどのようにしてつくられるのか、そして、夢中になってつくることの喜びを知るという意味で、“お絵描きミシン”はデザインの力を見せてくれた展示だと思う。(文/長谷川香苗)