▲ 竹とアクリルという、異素材のモダンな組み合わせの「SKランプ」。50年以上の時を経た今も不変的な魅力を放つ。Styling by Yumi Nakata
近藤昭作氏は、今年で89歳を迎える。戦後のまだデザインという言葉のない黎明期に、独自の製法によって竹製照明器具を創造したデザイナーで、自らの手で製作してきた工芸作家でもある。
▲ 近藤氏の工房にて。
最初は材料づくりから
近藤氏が1960年代に手がけた照明器具の1つが、2015年に復刻発売された。職人の高齢化により生産中止となっていたが、国内外の歴史あるデザインプロダクトを扱うメトロクスが新たに「SKランプ」と名づけて復刻したのである。6月には、近藤氏が新たにデザインした製品も発売される予定だ。
現在、自身で製作は行っていないという。その理由を尋ねると、「仕事? もういいじゃない、もうじき90になるんだよ」と笑って答えられたが、背筋もぴんと伸びていてとてもお元気だ。
「僕の仕事をしてくれていた兄も義理の弟も職人さんも、みんないなくなっちゃいましたしね。デザインの仕事だったら、お手伝いさせていただきますけれど。竹は材料づくりからしないといけないですから、相当な体力仕事なんですよ」。
工房の棚に目をやると、今も太い丸いままの竹材が何本も並んでいる。素材に使用するのは、竹の産地で知られる大分県別府市のもの。細工に適した、強度があって繊維の細かい真竹だ。市販されているものは、1本10メートルほどの長さがあるそうだが、宅配便のトラックに入る4メートルほどにカットして送られて来るという。
「それでも工房に入りきらないから、到着したら玄関先で半分の2メートルぐらいの長さに切り揃えるんです。それを1日がかりで行っていました。竹を切り終えたら、今度はナタで短冊状に割いていきます。それを年に3回行っていたんですよ」。それらを終えてようやく製作に取りかかれるというのだから、本当に大変な作業だ。
▲ 2007年、ジュエリーデザイナーの石川暢子氏のオフィスのガレージを会場に開かれた「竹のあかり」展。
Photo by Shosaku Kondo
竹と道具と腕さえあればいい
近藤氏は、1927(昭和2)年に新潟で生まれた。竹細工店で修行を積んだ兄と、竹製品問屋に勤めて販売や卸しを勉強した父親が、その後移り住んだ東京で竹の花かごをつくる仕事をしていたそうだ。
その当時は竹細工をやる気はなく、工学院の造船科に入り、卒業後は三井造船に入社して造船設計部に配属となった。戦後、兵役を終えて帰ってから、兄に竹細工を学び、東京の花器屋に花かごを納める仕事をした。
「そんなのやりたくないなどと言える時代ではありませんでしたからね。生きるための手段でした。でも、まあ、ものづくりが好きだから、つくっていたんだと思います。焼け野原の東京では、つくれば何でも売れました。花かごも、つくるそばから売れていきました」。
花かごを買うのは、主にアメリカ人だったそうだ。竹材は、東京郊外の竹やぶを所有する人に花かご1つと引き換えに譲り受けることができたため、材料費はただ同然だった。「工業製品のように、動力や火力もいらないですからね。道具もノコギリ、ナタ、包丁、ハサミぐらい。後は腕さえあればいいのですから」。
▲ 2013年開催の「荒井アトリエ・ギャラリー」の展示にて。空間に織り成す
光と影の模様も考えてデザインしている。Photo by Shosaku Kondo
原点は、イサム・ノグチ
戦後の東京は、新橋や柳橋にある料亭などから復興し始めた。近藤氏は京橋の漆器を扱う栄屋の紹介を受けて、料亭に照明器具を納めることになった。それが初めて手がけた竹と紙を使った照明器具だったという。
当時はデザインという言葉もない時代。デザインされた照明器具などもなかった。「大正から昭和の初め頃までの照明器具の笠はガラス製だったので、割れないよう保護するために編んだ竹を上からかぶせて、また当時の電球はそのままでは少しまぶしかったので、竹に和紙を貼っていたんですよ」。
その頃、1952年秋にイサム・ノグチの展覧会が神奈川県立近代美術館で開催され、大きな話題を呼んだ。近藤氏も訪れ、なかでも竹と紙という、自分が使っているのと同じ素材でつくられた「AKARI」を見て触発されたという。
そして、ライフワークとなる「竹のあかり」シリーズの照明づくりに本格的に取り組み始める。照明に興味を抱かせてくれたイサム・ノグチは、「自分の原点」と近藤氏は言う。
1961年にはYAMAGIWAから「竹のあかり」シリーズが商品化された。60年代半ば頃からは、内面に白色塗料が塗布してあるホワイトボールという新しい電球を採用。それが過度な光の放射を抑え、和紙を貼る必要がなくなったことから、近藤氏は竹のみを使って自由な形状の照明器具を編み出していく。「竹のあかり」シリーズは、その後も次々に商品化され、ロングセラーとなった。
▲ 2013年開催の「荒井アトリエ・ギャラリー」の展示にて。一部に和紙を貼ったり、電球の種類を変えるなどして、光と影の効果を駆使した。Photo by Shosaku Kondo
分業や量産を可能にした木製図面
近藤氏の製作方法は、独創的である。それは以前、従事していた造船所のやり方を応用したものだという。造船所では100メートル以上の長さのある船の原寸図を床板一面に描き、それをもとに木型をつくった。平面の図面から立体物をつくるというわけだ。今のようなコンピュータやCADのない時代である。
近藤氏が考案したのは、1枚のベニヤ板に独自に算出して原寸大の展開図を描く手法。そのうえで、型を用いずに立体造形を編んでいく。やり方を教われば、描かれた図面に従ってつくっていくだけなので誰でもできるという。図面の内容は企業秘密ということで詳しく書けないが、1枚の板にこれまでデザインした照明器具の全データが入っているそうだ。
▲ 2015年にメトロクスで開催された「bamboo works 世代と国境を越える竹工芸」展で展示された「竹のあかり」シリーズ。
遠く離れた別府でも、図面を複数つくれば分業や量産が可能だ。少量生産の工芸の世界に、工業製品に近い仕組みを取り入れたという、その発想は実に革新的である。現在、メトロクスで復刻した照明器具は、近藤氏の指導のもとで新たにつくった図面を使って、別府の若手職人が製作を担っているという。
その若手職人らは、別府にある「大分県竹工芸・訓練支援センター」(4月より「大分県立竹工芸訓練センター」に改名 http://www.pref.oita.jp/site/280/)」で学んだそうだ。ここは竹工芸の職業訓練施設であり、技術支援や貸工房としての機能も併せ持つ。毎年、定員を超える応募があるほど人気だ。近藤氏は、今、竹を使ってものづくりをする若い作家についてどう思っているのか。
「発想は面白いんだけれど、もっと素直につくればいいのにと思うことが多いですね。人ができない、面白いことをやろうと思っているのかもしれないね。技巧的に凝ったものが多い。それじゃあ、1個つくるだけで大変だと思うんですよ。逆なんですよね。私は誰にでもできて、誰にでも教えられるけれど、誰も考えないようなことを考えて、誰もやらなかったことをした。本当は、もっといろいろなことができると思うんですよ。昔はざるとか、家の中にたくさん竹製品があったけれど、今はあまりないですよね。若い人なりの考えで、自分たちの生活の中で今、どういうものが面白いと思うか、欲しいかということを考えればいいんじゃないかと思いますよ」。
▲ 6月に発売される新作は、1月に行われた日本クラフト展に出展された。
6月に発売される新作は、まだいろいろと検討している最中だそうだ。新作について話される姿からは、ものづくりが楽しいという気持ちが伝わってくる。これからもまだまだ新しい製品を、竹のさらなる魅力を私たちに見せてほしいと願う。(インタビュー・文/浦川愛亜)
近藤昭作/デザイナー、工芸作家。1927年新潟県生まれ。43年に工学院造船科卒業後、三井造船に入社。終戦後、兄のもとで竹工を学ぶ。60年日本デザイナークラフトマン協会(現 日本クラフトデザイン協会)会員になり、その後、理事や副理事長を務める。70年よりYAMAGIWAから「竹のあかりシリーズ」の販売がスタート。82年国井喜太郎産業工芸賞受賞。近藤氏の50年間の仕事をまとめた1冊『竹のあかり 近藤昭作の仕事』(里文出版)。
メトロクス/国内外の優れたデザインプロダクトを扱うインテリアブランド。製品の企画開発や名作の復刻を手がけ、ショップでは企画展示も行う。近藤昭作氏の新作は、6月に展示販売を予定している。http://metropolitan.co.jp