リトグラフ工房
「イデム・パリ」に恋したアーティストたち、
「君が叫んだその場所こそがほんとの世界の真ん中なのだ。
」展

パリ・モンパルナスのリトグラフ工房「Idem Paris(イデム・パリ)」と、その場に魅了されたアーティストたちが制作したリトグラフを紹介する展覧会が開催中だ。

リトグラフとは18世紀末に確立された版画の技術で、石版や金属板に描いた絵を水と油の反発作用を使ってプレス機で紙に刷るもの。かすれたような細かい線や筆の跡もそのまま転写できるのが特徴だ。リトグラフ工房「イデム・パリ」がある場所は、1881年にリトグラフのプレス機を設置するために誕生した印刷工房であり、1930年代からは地図専門の印刷工房、70年代後半以降は「ムルロー工房」という名でシャガールなどの巨匠のリトグラフを数多く制作してきた。

▲ デヴィッド・リンチ「idem paris」(2012年、約8分)よりリトグラフの制作風景
Courtesy of the artist


90年代にオーナーが代わってから現在の「イデム・パリ」となり、外部から依頼されるオーダーメイドに加え、工房がアーティストと協働してオリジナルのリトグラフを制作するプロジェクトを積極的に展開。これまでにジャン=ミシェル・アルベロラ、グザヴィエ・ヴェイヤンといったフランス人アーティスト、映画監督のデヴィッド・リンチ、李 禹煥、辰野登恵子、森山大道、やなぎみわも、イデムでリトグラフを手がけている。

▲ ブリュンヌ・ヌーリー「テラコッタの娘たち」(2013年)
©Prune Nourry

▲ ジャン=ミシェル・アルベロラ「リトル・ユートピアン・ハウス」(2002-2003年)
Courtesy of the artist / Courtesy Item éditions, Paris


この展覧会では、イデムで制作されたオリジナル作品のアーカイブのなかから厳選した現代アーティスト20人による約130点のリトグラフを展示する。日本でも知られるフランス人アーティストJR(ジェイアール)も、この「魔法にかかったような場所」に魅了されたひとりだ。写真を元にした数多くのリトグラフをここで手がけ、2013年には工房で保管されている大量の石版にピカソの目の写真を貼るという、イデムへのオマージュを込めたインスタレーションも制作した。JRと同じようにイデムを愛するデヴィッド・リンチ監督とのコラボレーション作品も展示されている。

▲ JR「『テーブルに寄りかかる男』の前のポートレート、パブロ・ピカソ、パリ、フランス」(2013年)
©JR-ART.NET

▲ デヴィッド・リンチの作品。同監督は2007年から200点以上ものリトグラフをイデム・パリで制作したという
Courtesy of the artist / Courtesy Item éditions, Paris

▲ JR×デヴィッド・リンチ「頭の修理II」(2014年)
Courtesy of the artist / Courtesy Item éditions, Paris


これらの版画作品から伝わってくるのは、アーティストたちの創作に対する純粋な喜びだ。版画の上には今までに見たことのない作風もにじみ出ている。写真なり映画なり自分が専門とする領域から少し離れ、パリの空気に触れながら歴史ある工房でリトグラフにじっくり取り組む。特別な環境や技法は新しい想像を掻き立ててくれることだろう。リトグラフでは、作家がすべてをコントロールすることはできない。絵を描いたら熟練の職人に委ね、プレス機が作品を完成させる。高い技術を持つ彼らと協働することこそ、アーティストたちがイデムに熱中する理由の1つなのかもしれない。

▲ やなぎみわ「無題I」(2015年)。同氏は今年6月に初めてイデム・パリで制作した
©Miwa Yanagi 2015 / Courtesy Item éditions, Paris

▲ やなぎみわ「無題I」(2015年)の原版。展覧会が終わるとイデム・パリで再び真っ白な石となり別のアーティストの作品がつくられる
©Miwa Yanagi 2015


生き生きとしたリトグラフの数々を眺めていると、イデムがアーティストにとってどれほど素敵な場所なのだろうと想像したくなる。実際に行ってみることはできないが、現地の雰囲気を伝えてくれるのが原田マハ氏の小説『ロマンシエ』だ。実はこの展覧会にはユニークな仕掛けがあって、イデムを舞台にした小説『ロマンシエ』とリンクしているのだ。

本展の企画者でもある原田氏もまた、イデムを訪れて以来すっかりその魅力の虜になってしまったのだという。「4年前にパリの友人に『面白い場所がある』と連れられたのがイデムでした。100年以上も前から脈々とリトグラフがつくり続けられている本当に素晴らしい場所。『ここでリトグラフを現代アートの1つの表現として提供したい』というオーナーの話に共感し、私もこの場所を舞台にした小説を書きたいと強く思ったのです」(原田氏)。オーナーの厚意でイデムの一室を借り、そこに滞在しながら執筆したのが本作というわけだ。

小説はパリの街を走り抜けていくような疾走感と、クリエイティブな仕事に従事する人たちの悩みや恋愛事情が散りばめられ爽快な内容。常にたくさんのアーティストたちが工房に出入りし、腕利きの職人たちと一緒に作業をしている活気ある様子が描かれ、読者もイデムにいるような気分を味わえることだろう。小説のエンディングは、本展の会場である東京ステーションギャラリーでのオープンニングレセプションの場面となっており、フィクションの世界が現実に飛び出してきたような体験ができるのも新鮮だ。(文・写真/今村玲子)

▲ ピエール・ラ・ポリスの作品
Courtesy Item éditions, Paris



「君が叫んだその場所こそがほんとの世界の真ん中なのだ。」
パリ・リトグラフ工房idemから―現代アーティスト20人の叫びと囁き

会 期 2015年12月5日(土)~2016年2月7日(日)

開 館 10:00〜18:00(金曜日は20:00まで)

休館日 1月11日を除く月曜日、年末年始(12月28日〜1月1日)、1月12日

会 場 東京ステーションギャラリー

詳 細 http://www.ejrcf.or.jp/gallery/



今村玲子/アート・デザインライター。出版社勤務を経て、2005年よりフリーランスとしてデザインとアートに関する執筆活動を開始。現在『AXIS』などに寄稿中。趣味はギャラリー巡り。