建築家・隈 研吾×more treesーー建築にもつながる現代の
「つみき」

建築家・隈 研吾がつみきをデザインした。いわゆる木のブロックではなく、厚み1センチほどの板をAの字型に組み合わせたピースは安定感があり、どんどん積み上げてさまざまな形をつくることができる。それは日本の木造建築の軽やかさに通じる。

「つみきは僕にとって特別な存在」と話す隈氏。日本における林業の課題を背景に、国産材を活用して数々のプロダクトを世に送り出してきた森林保全団体 more trees(モア・トゥリーズ)とともに開発した「現代のつみき」に寄せる思いを語ってもらった。

文/今村玲子
Photos by HiroseShinya (SPREAD)
※9月4日、more trees開催の合同会見で取材


つみきは僕の人生にとって重要なものです。建築を志すきっかけになったのも、子供の頃ひとりで延々とつみきで遊んでいた体験が大きい。いつか自分のつみきをつくりたいと考えていたので、more treesから話があったときは願ってもないチャンスだと思いました。

今の子供たちは幼い頃からゲームやネットに触れて、それらを自在に操る自由さを獲得しましたが、子供の頭をいちばん自由にしてくれるのは、つみきだと思うんです。フランク・ロイド・ライトという米国の建築家も幼い頃に没頭したつみき遊びでその想像力を養ったと言います。つみきの持っているリアリティというのは、ひとりの子供が人間としてどんな方向に向かうかにおいて、ひじょうに大切な役割を担うと考えています。ですから、今の子供たちが楽しいと思える現代のつみきを、どうしてもつくりたかった。


軽やかさと拡張性を持つ現代のつみき

いわゆるクラシカルなつみきは木の塊なので重く、大きなものをつくるには数もたくさん必要です。組積造と呼ばれるヨーロッパの建築のように石を積み上げていくつくり方。そのため全体として重量のある構造物になってしまう。レゴブロックも基本的には組積造です。

このつみきは2枚の板でAの字をつくり、中が空になって抜けています。これは日本の建築で柱梁構造と呼ばれる、柱があって上に梁を載せるものに近い。軽いのでどんどん積み上げて大きなものまでつくれます。この軽やかさと拡張性こそ僕が考える現代のつみきの条件を満たす。日本的な軽快さと透明性を達成できるシステムができたんじゃないかと思っています。

中が抜けている、いわゆるヴォイドのある形に取り組んだのは「CIDORI(チドリ)」(2007年)というシステムをつくったときが最初。柱と梁でできたピースを積んで構造をつくるのですが、子供がつみきとして遊ぶにはバランスのとり方が少々難しい。A型なら安定しているので、同一面上に90度にずらしても積むことができます。面を合わせてZ型に積んでもいい。僕らは普段から「木を組む」というテーマでいろいろな建築の方法を考えているので、そうした訓練が今回のつみきに生かせたと思う。

▲「CIDORI(チドリ)」2007年
写真提供:隈研吾建築都市設計事務所

▲スターバックスコーヒー 大宰府天満宮表参道店 2011年
Photo by MASAO NISHIKAWA


軽やかさと同時に強度もほしい。2枚の板を接合している部分が肝です。1つの案として頂点の内側部分を小さな三角形の部材で埋めるというやり方がありましたが、それではAのシャープさが失われてしまう。そこで2枚に切り込みを入れ、小さな部材をはさんで接着しました。これは高度な職人技があるからこそできたのです。

そしてこのピースの面白いところは、構造でありながらスキンであるという両面性を持ち合わせている点。通常、建築をつくる際には、まず構造をつくってからスキン(外の被膜、壁)を張るわけですが、このピースは構造であると同時にスキンです。木材のメリットはまず軽くて強いことだけど、スキンとしてもとても気持ちよく僕ら人間のそばにいてくれる。このつみきは木が持っている二面性を生かしているんです。


コンクリートよりも木のほうが優れている

つみきの材料は、宮崎県諸塚村のスギを利用しています。豊かな森を守るための活動が評価されるFSC森林認証を取得した村で、工房もあるので、採れたスギをその場でつみきに加工します。

僕は、スギって特別な木だと思っているんです。柔らかくて傷つきやすく、ある種の弱さを持っている。建築強度や耐久性だけ見るならヒノキに軍配があがります。でも日本の家屋にはスギがたくさん使われているし、日本人はスギが好きなんじゃないか。僕が特に好きなのは、赤身と白身がはっきりしているところ。パーツ単位で見れば「ばらつき」と消極的に呼ばれるかもしれないけれど、大きな視点で遠くから見れば優しげな色になる。僕自身がそうした性質に惹かれて、今いちばんよく使っている材料がスギなんです。僕が建築に求めている弱さや優しさみたいなものを体現してくれるからです。

世界的に見ても、ここ20年くらい木造ルネッサンスと呼べるほど建築に木を利用するケースは増えています。動機としては環境問題がある。地球温暖化防止のためには木を活用して、それを長持ちさせることが大切だとすでに知られています。近年は不燃化や耐久性など技術的課題も数多く乗り越えられ、木材こそ最先端の素材だと捉えられつつあります。

実際、コンクリートよりも木のほうが優れていると思う。木が傷み腐れば、はっきりそうとわかる。わかるということが、実は耐久性なんです。法隆寺が世界のどんな建築よりも長く保存されているのは、木の弱っていたところを取り替えてきたからです。弱っていることに気づかず、ある日突然崩壊してしまうほうが、よっぽど社会のシステムとして不完全。もともと日本は木のデザインに強い国だったのですから、まだまだこれからも頑張らないといけません。


つみきの思い出

僕が木という自然素材に関心を寄せる理由は、自分の育った環境が木造の家だったので、それを現代に取り戻したいというところにあるのかもしれない。子供の頃の思い出は、畳の部屋でずっとつみきをして遊んでいたこと。なかでも印象深いのは匂いや音なんですよ。畳と木がこすれて匂ったり、木と木がぶつかる音。それと手触り。もしそれが鉄やプラスチックだったら、記憶にはあまり残っていないんじゃないかな。

このつみきも手触りにはこだわりました。汚してもいいからと、あえて塗装は施していません。僕が使っていたつみきは赤く塗られていたけれど、使ううちにはげて無垢材のようになって。その状態がいちばん気持ちよかったわけ。これも使っているうちに色が変わって、子供たちの手垢がつけばいい。

僕はつみきをつくっては、威勢よく壊していたらしいです。つみきは自由に積めることも楽しいけれど、それを御破算にできる楽しみもある。人生にはいろいろと取り返しのつかないことがあるけれど、つみきなら取り返しがつくじゃない。これって最高だと思うんですよ。建築を設計していても、僕はわりと最初の案にこだわらない。クライアントに「変えてほしい」と言われたら、その条件に基づいて「じゃあ、もっと面白いものつくってやろう」って思います。一度つくったものをすぐ御破算にして考えられるのはつみきのおかげ。完成形がなくて絶えず途中。それがつみきの醍醐味でしょうね。

それから、木というのは産地から使う人まで、たくさんの人やものをつなげる素材だと思います。木を植える人、育てる人、斬る人、運ぶ人、加工する人など、多くの人が絡んでチェーンみたいなものができ上がる。つみきで遊ぶ子供もそのチェーンの中に入っていて、「この木は大きなつながりの結果として自分の目の前にあるんだ」ということを子供たちに教えたいと思う。そして、その子の次に別の人が加わることでチェーンがさらにつながって、ということまで想像できるような子供になってほしい。


東京ミッドタウンの展示について

このつみきのシステムはこのまま建築としてつくれるので、実際にやってみようと思っています。東京ミッドタウンで開催される「Tokyo Midtown DESIGN TOUCH 2015」(2015年10月16日・金~11月3日・火祝)ではmore trees の協力の下、大小さまざまな大きさのつみきを使ったインスタレーションをつくる予定です。詳細は検討中ですが、想定と現実とのギャップが生まれれば生まれるほどいい。こちらの想定をはるかに超えたものがつくれるようなオープンシステムができたなら、このつみきの本当の成功だと思っているんです。

建築って建築家の頭の中で考えた範囲で収まったらダメだと思う。僕の建築は自分の想像を超えたものになるように、わりとゆるくつくっているんですよ。隙間があれば思わぬところから光が洩れたり、風が抜けてきたり、いろんなことが起きます。このつみきはとてもよく考えられている一方でルーズさもあって、どんなふうにも積み上げられる。やり方が1つじゃない。子供たちってルーズなほうが喜ぶでしょ。これも正解、あれも正解、どれでもいいんだよ、という元気づけ方があってもいい。

今、編集でもデザインでも、コンピュータでなんでも自分でできちゃうじゃないですか。まだ建築だけはちょっと大変だけど、本当はみんなも自分でつくりたいんじゃないかと思う。これはつみきが建築化していく1つの実験です。建築の民主化というか、建築をひらくって感じですかね。そんなラボみたいなものが東京ミッドタウンにできるわけですから、僕自身とても楽しみにしています。



今村玲子/アート・デザインライター。出版社勤務を経て、2005年よりフリーランスとしてデザインとアートに関する執筆活動を開始。現在『AXIS』などに寄稿中。趣味はギャラリー巡り。