第1回
「吉田守孝と錦山窯 工業デザインと伝統工芸は別世界ではなく、つながっている」

▲「酒具-Shugu」シリーズ。徳利、片口、盃など、文様と形のバリエーションを揃えた。

さまざまなクリエイターの作品に潜む背景や活動そのものに注目し、インタビューを踏まえてお届けする連載コラム。第一弾は、ヨシタ手工業デザイン室・吉田守孝氏のプロジェクトを紹介します。

展示会場の中で、ひときわ異彩を放っていた。伝統工芸でもなく、クラフトでもない、プロダクトデザインだと感じられた。フォルムの潔いラインのせいなのか、凛とした佇まいのせいなのか、あるいは文様がそう思わせるのか。

2月に発売された工業デザイナー吉田守孝氏のデザインによる「酒具-Shugu」シリーズ。しかし、型を用いた量産品ではない。フォルムのデザインや文様の構成は守孝氏が考えたが、ひとつひとつ職人の手によって土から生み出され、文様は一筆一筆、手作業で丹念に描かれる。

石川県の九谷焼であると聞くと驚くかもしれない。九谷焼とは、多種多様な色と文様を駆使して、1つの器の中に小宇宙のような世界観を描き出す伝統工芸品だ。けれど、この酒具に使用されている唐草文様の「白盛」と「金盛」も、実は九谷焼の技法の1つである。

▲「釉裏金彩牡丹唐草文鉢」。作/吉田美統 写真/高野尚人 スタイリング/フジヤ奈穂 『九谷 錦山窯の仕事』より(以下すべて)

守孝氏の父、美統(みのり)氏は、百年余り続く九谷焼の錦山窯の三代目であり人間国宝。長男で兄の幸央(ゆきお)氏は四代目を継ぎ、いずれも作家として活躍する。

守孝氏は、金沢の大学を卒業後、柳 宗理氏の事務所に入所。2011年にヨシタ手工業デザイン室を設立し、日々、手に触れる暮らしのものづくりを行う。家のなかでひとり工業デザインの道に進んだが、「いつか実家の仕事を、何かのかたちで一緒にやりたいとは思っていました」と話す。

▲「金襴手彩色大皿」。作/吉田幸央 写真/高野尚人 スタイリング/フジヤ奈穂

九谷焼は、明治20年代に輸出陶磁器第一位になるなど、海外にも名声をとどろかせ、栄華を誇った時代がある。しかし、現在では生産量も従事者も減少の一途を辿り、他の伝統工芸と同じように、後継ぎや技法の継承といった問題を抱えている。

四代目の幸央氏もそれらを危惧し、貴重な遺産を次代にどのように受け渡していくかを模索。5年ほど前から伝統的な技法を見直し、現代の暮らしに即した製品開発に取り組み始めた。そして、デザイナーであり、さまざまな地場産業のデザイン開発を行う古庄良匡氏をブランディングディレクターに迎え、3年前に立ち上げたのが、この「酒具-Shugu」プロジェクトだ。文様だけでなく、器の形状から開発することを考え、それを守孝氏に委ねた。

▲ 蔵には、代々受け継がれた貴重な器の数々が眠っている。写真/高野尚人 スタイリング/フジヤ奈穂

守孝氏と古庄氏は、まず酒具に採用する技法や文様を選ぶために、スタッフらとともに蔵に眠る大量の器をひとつひとつ撮影。皆で情報を共有できるように、画像をコンピュータに取り込んでアーカイブを作成していった。それは図案や技法、製法の参考品として、代々、錦山窯に遺されてきたものだ。

「今いる若いスタッフは、デザイン科を卒業した人が多いのですが、古い伝統工芸に触れるのは初めてという人もいます。実際に手に触れて見ながら『これはどうやってつくるのか』『こういうものをやってみたい』という声がさまざまに上がり、最終的に技法や文様はスタッフたちが興味を持ったなかから決定しました。ゆくゆくは外部の人の手を借りなくても、内側から自発的に製品が生まれ出るようになればと願っています」。

守孝氏がそう語るのには理由がある。錦山窯では近年、年長者が次々に引退し、現在は30代から40代の若いスタッフが大半を占める。そのため、このプロジェクトでは後継者育成も目的とされた。

▲「酒具-Shugu」の模型。フォルムは「どこか日本の伝統を感じるかたち」というコンセプトで考えられた。

一方で守孝氏は、柳氏に学んだ手の感触を大事にした実寸大の模型で、フォルムの検討を重ねた。

「九谷焼は、色絵の華飾の美を追究する世界です。器の形は描きやすいことが優先され、用途や使い手のことはあまり考えられてこなかったように思います。今回の酒具では、造形だけでも魅せられるフォルムをと考えました。装飾を削ぎ落としていったときにも、美しい佇まいが感じられるものにしたかったのです」。

▲「酒具-Shugu」シリーズでは、高い技術による華やかな装飾を施した高価な器も制作し、価格帯の幅を持たせた。現在は受注生産で販売する。

現代の暮らしに馴染むデザインと使い手のことを考えた形、そして、価格帯に幅を持たせたこと。こうしたデザインプロデュースを踏まえていることから、プロダクトデザイン的な印象を受けたのだろうか。そのとき、守孝氏の言葉にはっとさせられた。

「私は大学卒業後、実家の伝統工芸とは異なる、工業デザインの世界に入ったと思いました。ところが、柳先生の手仕事でつくる器から歩道橋までさまざまな仕事を見て、また、いろいろな産地に行く機会をいただいて、すべてのものづくりは同じだということを知ったのです」。

かつて柳氏も、父である柳 宗悦氏の民藝の思想に背を向け、それとは異なる工業デザインの道に進んだと思っていた。転機となったのは、1940年から輸出工芸指導官として、たびたび来日したシャルロット・ペリアンの視察への随行だった。日本各地を周るなかで、伝統工芸や民藝に強い関心を示すペリアンの姿を目前にする。そこで改めて父の思想を見直し、「伝統」と「創造」は通底しているということに気づかされたという。

かつては、それぞれの分野間に隔たりはなく、人間関係もつながっていた。ものづくりの根っこは同じでありながら、いつしかバラバラに考えられるようになってしまったのかもしれない。そういう意味で、このプロジェクトは伝統工芸とデザインを未来につないでいく、大事な使命を担っているともいえるだろう。

▲ 吉田氏は製品模型のほとんどを自身のデザイン室で自らつくる。「酒具-Shugu」の模型もすべてここから生まれた。

今年はちょうど九谷焼が開窯してから360年という節目の年を迎え、北陸新幹線も開通した。それを記念し、夏から冬にかけて東京ステーションギャラリーを皮切りに、石川県の小松市、加賀市、能美市の美術館で、九谷焼の大規模な展覧会が予定されている。守孝氏は言う。

「もし伝統工芸を遠くの海の向こうのものだと思っている方がいたら、この機会に少しでも触れていただけたら嬉しいですね。この酒具についても、ぜひご意見を伺いたい。それを窯の人間が知ることが、次の一歩を踏み出すうえでとても大事なことではないかと思うのです」。

「酒具-Shugu」に始まったプロジェクトは、これからの100年をイメージして続けていくという。蔵のアーカイブの作成は、ようやく5分の1が終わったところだそうだ。そこからまた新たに発掘された宝を、どのように生かしていくのかが楽しみだ。(インタビュー・文/浦川愛亜)


吉田守孝/工業デザイナー。1965年石川県生まれ。88年金沢美術工芸大学工業デザイン専攻卒業。柳工業デザイン研究会に入所し、柳 宗理に師事。デザインと民藝を学ぶ。「柳宗理デザイン」シリーズのステンレス鍋、フライパン、キッチンツールなどの製品デザインを担当。2011年ヨシタ手工業デザイン室を設立し、手で考えるデザインを実践。ステンレス材の「ラウンドバーシリーズ」をはじめ、コド・モノ・コトでは磁器「くーわん」と漆器「ふーわん」をデザイン。多摩美術大学非常勤講師。


◉製品に関するお問い合わせ「錦山窯」
http://www.kinzangama.com

◉『九谷 錦山窯の仕事』(エクスナレッジ刊)
錦山窯、「酒具-Shugu」について、親子三代のインタビューなどを収録。
http://www.xknowledge.co.jp

◉金沢美術工芸大学「柳宗理記念デザイン研究所」
柳 宗理氏の貴重な資料を見ることができる。企画展示、レクチャーなども開催。石川県に行かれる際は、ぜひ足を運んでみてはいかがだろう。
http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/www/contents/yanagisori/index.html