第12回
「新北欧料理と懐石料理における食の共生デザイン」

Photo by Kensuke Nakajima

食通の方であれば、「noma」の名前を聞いたことがあるはずだ。英国レストラン誌のサンペレグリノ世界50ベスト・レストランで2014年ランキング1位に選ばれており(2010年~12年は3年連続で1位)、世界のセレブを唸らせ、今や予約に半年待ちという人気のレストランである。シェフは若干36歳のレネ・レゼッピ(Rene Redzepi)で、分子ガストロノミーという調理方法で斬新な料理を提供している。そしてこのnomaが来年の1月9日から2月14日までマンダリン・オリエンタル東京で開店する。コペンハーゲンの店を一時的に閉店し、すべてのスタッフが来日するという大掛かりなイベントだ。ただし残念なことに予約は既にいっぱいであり、受付開始1分後に完売したそうである。

デンマークでは長いこと料理といえばジャガイモ、豚肉、チーズなどの乳製品を中心としたもので、オーブンで焼く、鍋で煮込むというシンプルな調理方法が多かった。デンマーク人自身がフランス料理やイタリア料理などのように、食を特別なものとは位置づけてこなかったこともあり、北欧料理が積極的に世界に紹介されていたとは言い難い。しかし、nomaの成功を機にもう一度自分たちの歴史、文化、風土、豊かな自然から育まれる食材を見つめ直し、イノベーションを通じて食を見直す動きが高まってきている。特にエル・ブリ(elBulli)の流れをくむ分子ガストロノミーは、五感に働きかけ、顧客を驚かせるために飾り付けやデザインにも思い入れが強い。nomaをはじめデンマークにある新北欧料理(ニュー・ノルディック・フード/キュイジーヌともいわれている)レストランは日本料理と見間違うような美しい盛り付けで美食家を虜にしている。これはある意味当然のことで、今や世界のベストレストラン50の上位のほとんどが京都で旨味、出汁、盛り付けの研修や修行をしており、レネ・レゼッピも菊乃井の主人、村田吉弘氏に招かれるかたちで数年前に来日。日本の食文化の豊かさに心を打たれたと言っている。特に日本料理は、縁側に座り日本庭園を眺めるように立体的に盛り付けるなど、建築や家具のデザインにこだわるデンマーク人にはとてもわかりやすく、共感しやすいという特徴もある。

図-1 新北欧料理の飾り付け

こうした新しい調理法と五感に訴求する美しい料理、北欧デザインで統一された店内など、新北欧料理はどちらかというと、特別な体験に視点が当てられて紹介されていることが多い。情報が氾濫している世の中で、人々はより刺激を求めて世界中を旅している。特にそれが「食」に関係するとなると本質的な面は置き去りにされて、どうしても話題性のあるテーマが中心となるのは致し方ないことなのかもしれない。しかし、新北欧料理をこうした側面から捉えると、なかなか核心には辿り着くことは難しい。

1つの手掛かりは2004年に食のプロデューサーでnomaの共同設立者クラウス・メイヤー(Claus Meyer)が提案した「新しい北欧料理のためのマニフェスト」だろう。最終的に2004年に北欧5カ国を代表する12人の精鋭シェフがマニフェストに署名した。シェフたちはマニフェストのなかで、北欧料理はその美味しさと個性、そして地方料理の質の高さと魅力を追求しており、世界の料理と並び称される価値があることを表明している。マニフェストを読むと理解できると思うが、いかにもデンマーク的である。それはつまり新北欧料理を単に食文化という視点で捉えるのではなく、「食」を通じた価値理念、エコシステム、サプライチェーンを包含した概念として定義付けている点である。そして共生デザインに相通ずるのは「倫理観」「季節」「幸福」「生命」など、人間が自然と共生する際に考察すべき要素が新北欧料理マニフェストの中で明確に記されている点である。食文化と言えば聞こえが良いが、人間の五欲の1つである食欲を扱う料理は一歩間違えると際限のない刺激への追求が行われる傾向がある。その意味で新北欧料理を「単純に食する」という行為から一歩距離を置いて客観的かつ全体包括的(ホリスティック)に捉えているマニフェストは現在の料理業界に新たな価値提案を行っていると思う。

図-2 北欧料理マニフェスト

一方でレネ・レゼッピ自身、これからの新北欧料理のゆくえやそもそも新北欧料理とは何か?といった哲学的な問いについては、まだわからないと答えている。そして、恐らく来年来日した際には日本の食文化の底流にあるエッセンスを学ぼうとしているのだろうと考えられる。彼が修行したスペインのエル・ブリのオーナーであったフェラン・アドリア(Ferran Adria)も同様のことを言っていた。そもそもエル・ブリは日本の懐石料理からヒントを得て、数種類の小皿料理で提供したことが始まりであること。2002年嵐山吉兆での経験が彼にあるインスピレーションを与えたことと関係している。フェランは懐石料理で「食べることを超越した経験」をし、店を出た後に人生そのものを考えさせられるほどだったと後日述べている。これはどう言うことか? 恐らく彼自身の哲学である「境界線を越えること」を体験したのではないかと想像している。懐石料理は茶の湯の食事を源とし、茶の湯は日本に禅宗を伝えた道元らにより精神修養的な要素を含んでいる。そして、道元は「赴粥販飯法(ふしゅくはんぽう)」の五観の偈(ごかんのげ)で食事の作法を示している。これは先ほどのマニフェストの概念全体を網羅し、さらに食を摂ることで人間としての正しい道を歩む人生哲学までを提示している。料理は生存のために必要な手段であり、かつ食を通じた文化形成であるという一般的な認識を軽く凌駕し、人生そのものの問いとその道程であることを言っているのだ。

図-3 五観の偈

フェラン・アドリアもレネ・レゼッピも感性が鋭く天才であるからこそ、懐石料理の精神的な領域に触れることで、さらなる探究心が湧いてきたのだろうと思う。事実、フェラン・アドリアは2011年7月30日をもって世界一レストラン、エル・ブリを閉店してしまった。真の理由を明らかにしていないが料理研究財団(elBullifoundation)を設立し、今年から活動を開始。従来とは別の形態で料理研究を行いたいと説明している。これは、今までの五感を基に料理を創作していた彼が、京都を訪れて感じたインスピレーションが強烈だったため、料理そのものの概念を再構成せざるを得なくなり、新しい哲学体系を構築する必要性に迫られたことも要因の1つであろうと解釈している。

来年nomaのレネ・レゼッピが来日した際には筆者も道元の精進料理について説明しようかと考えている。しかし、もし彼が懐石料理における本質と料理における共生デザインを理解した場合、フェラン・アドリアと同じようにnomaを閉店して将来「食のイノベーション研究所」の様なものを設立してしまうのではないか。レネ・レゼッピが天才なだけに、そこが心配の種である。(文/中島健祐、デンマーク大使館 投資部門 部門長)

中島健祐/通信会社、コンサルティング会社を経てデンマーク大使館インベスト・イン・デンマークに参画。従来までのビジネスマッチングを中心とした投資支援から、プロジェクトベースによるコンサルティング支援、特にイノベーションを軸にした顧客の事業戦略、成長戦略、市場参入戦略等を支援する活動を展開している。デンマーク大使館のホームページはこちら