「METABORISM | 変貌する街」
ーーデザインのあしもとより

昨年9月にスタートした「デザインのあしもと」も、7月25日に開催した第8回で最終回を迎えた。この勉強会は、公共インフラの、しかも生活に身近な問題について、つくる側の土木業界だけで考えるのではなく、道路を使う側のさまざまなメーカーとともに議論し、解決の方法を導くことを目的に始めたものだ。これまでに、舗装、歩道空間、自転車、クルマ、広告、景観、マナーといった、文字通り日常生活の「あしもと」から始め、道路や人の行動にまでいたるさまざまなテーマで議論を重ねてきた。最終回では、その集大成というべき街を題材に、テーマを「METABORISM | 変貌する街」として森ビル株式会社・東 一郎氏を招き、「再開発」の視点から新たに街をつくるうえでの思想、考え方について話し合った。

再開発では、これまでとは姿が異なる全く新しい街が突然現れる。そして、これまでとは異なる人が集まり、さまざまな形態の生活が新たにスタートする。物理的な観点だけで言えば「スクラップ&ビルド」という言葉で片付けられるが、そこには歴史や地形といった土地の記憶があり、しきたりや習慣といった文化的なルール、活動も存在する。特に土地と人との関わりに強い意識を持つ日本人に、再開発という行為はどのように受け入れられるのだろう。

まず初めに、新陳代謝を繰り返し成長する都市とそこで生活する人との関わりにおける再開発という行為の位置づけや意味について東氏に聞いた。その答えの1つに東氏は「開発=付加価値」を挙げた。東京のような大都市における再開発は、国際的な経済論理の上に成り立ち、当然ながら経営的視点で街の姿を捉える。このため、その時代ごとの「資産価値の再評価による価値の保全・再生・創造」という視点が大切となるという。もともとの土地が持つ価値にさまざまな要素を組み込むことで、これまでの価値を保全しながら失った価値を再生し、新たな価値を創造するということだ。

その価値には、伝統や歴史といった土地の履歴に関わるものもあれば、さまざまな社会活動を行なううえでの安心・安全や利便性も含まれるし、最近では特に防災の視点が街の重要な価値となる。東氏は、これらの価値を「都市経営(社会、経済、環境)の要望に即した役割・機能」と表現する。

六本木ヒルズでいえば、ファッションや飲食の店舗に加え、映画館、美術館という複合的な文化・商業施設という根幹の要素は、都市に求められる役割・機能の価値化である。また敷地計画において、もともと高低差のある地形にうまく建物を取り入れつつ、昔の道の場所とそこから眺める風景を意識したプランニングとしていることなども、土地の履歴の継承という社会的背景の価値化といえる。さらに、住民同士が関わりを持つためのコミュニティ形成の仕掛けや、街中に配置されたアート、道路デザインの統一などもすべてが同様の価値化であり、これにより街全体のイメージが醸成されていく。

一見、経済論理に基づく合理的なまちづくりの中にも、土地の履歴や生活者の視点など土着的で文化的な視点が組み込まれている。こうした価値は日常的には意識されないこともあるが、新しい活動や発見を誘発する仕掛けとして人の無意識に働きかけることが、その土地の価値を高める上で重要なことなのだろう。

次に、まちづくりでは重要なキーワードである「コミュニティ」について意見交換を行なった。

六本木ヒルズは、業務、商業、観光、居住といった多様な顔を持ち、さまざまな人種が集まる。このような極めて特徴的な街で、コミュニティはどのように成立しているのだろう。ここで、街の性格として「居る場所(住む場所)」と「行く場所(目的地)」という2つの分類から考えてみた。「居る場所」と「行く場所」とでは、街の成り立ち方やその場所に求める条件も違えば、人との関わりやコミュニティのあり方も当然のように異なる。

「居る場所」のコミュニティは、住むことによる土地のつながりが大きい反面、個々の生活スタイルについては、趣味嗜好、経済力、世代、価値観もさまざまであり、とても複雑だ。特に、マンション開発が進み転入者が増える都市部では、土地への愛着はますます希薄となっていて、「隣り近所」という精神的つながりも失われつつある。そして、会場からは「コミュニティの意味や捉え方は世代によって異なる」という意見が挙がった。この発言者に「住んでいる地域で何かコミュニティに参加しているか」と質問したところ、「地域のコミュニティには興味がない。むしろ、東京ではあちこちでイベントがあって、そこに行けば誰かしらとつながっていると感じることができる。」という答えが返ってきた。物理的な人とのつながりはなくても、意識として街やそこに集まる人とつながっていると感じるということだ。

東京には、さまざまな特徴を持つ街が集積していて、それぞれの街で性格は異なるが、街の性格や雰囲気といったものが統一したイメージや価値観を生み、これを人々が共有することでさらなるイメージの伝播を生む。そして、街に参加することが一種の満足感やステイタスを生むこともある。そうした満足感が、街や集まる人たちとの無形のつながりを感じさせる1つの要因となる。

ちなみにこの発言者は、僕と同世代の40代前半だ。たしかにこの意見を聞いてどこか納得してしまった部分がある。都市部のように、インフラも行政サービスも十分な状況で何不自由なく暮らせる環境では、何かと面倒が起こりやすい「居る場所」には人とのつながりを求めず、「行く場所」における極めて合理的、機械的なつながりで十分満足できるという傾向にあるのだろうか。しかし、この合理的なつながりの中から、また「居る場所」にある精神的なつながりに回帰する可能性も考えられる。

こうした議論から、精神的な人とのつながりが希薄になることに危機感を覚える中、会場から「コミュニティは放っておいてもつくられる」という意見が挙がった。この参加者は、東日本大震災の復興活動を通じてこのように感じたという。災害のような非常時には、そうした潜在的な意識が行動に現れるという証明である。この意識を非常時ではなく平常時においてどのように顕在化させるかが、共同体としての本質的なつながりを生むことのきっかけとなるのだろう。

前回も話題に挙がったが、合理的で論理的な意識が高まれば「利己の意識」が強まる。「利他の意識」を広めるためには、より家族的で本質的な共同体としての意識が必要になるのだと思う。そのきっかけとバランスをどのように生み出すかが、再開発やまちづくりに求められている。

最後に、過去の回で議論した道路やモビリティを含め、都市における道路の存在について改めて議論を行なった。

まず、東氏の話によれば、六本木ヒルズの開発では道路に「多機能性」と「多層性」を持たせたという。「多機能性」については、アーティストやデザイナーによるストリートファニチャーの配置、デザイナーの監修による道路施設のデザインの統一、近隣住民との関わりを生む植栽帯の配置など、本来の交通機能だけでなく多様な機能や価値を埋め込むことで、通行者や住民と道路との新たな関わり方を生み出した。このような道路の多機能化については、最近ではいろいろな取り組みが見られるが、やはり通行機能と安全性が最優先されることが当然で、なかなか広まっていないのが現状だ。

しかし一方で不必要なものが道路空間を占拠していることも認識すべきであり、道路の使い方についてもう少し柔軟に考える必要がある。

一方、「多層性」については、土地の元来の地形を活かしつつ、一般道(国道)、アプローチ道路、歩行者通路(広場)という利用形態に応じて多層性を持たせることで、縦方向に動線の区分を行った。再開発では、道路を新しくつくることができるため、目的や移動形態によって動線を区分することも可能だ。東京のような大都市では、自転車を始めとした道路空間の領域区分が大きな課題となっているが、起伏の多い東京の地形を読み取りながら、都市全体に多層性を持たせることも課題解決に向けてのヒントになるかもしれない。

移動するためには道が必要であり、生活をするためにも道が必要である。自然の川が「水路」という機能一辺倒の形に変わってしまったように、道も「道路」という機能一辺倒になってしまった。自然の川に生物多様性があるように、道にも人間の多様性が反映されるべきだと思う。通行という本来的機能だけでなく、コミュニティや街のイメージ形成にもっと有効に活用されるべきだし、移動するシークエンスを楽しませるしかけや、街の魅力づくりを担うという視点からも道路を見直す必要があるだろう。ただ、行政や道路管理者が何もしていないわけではない。いろいろなプランが検討されているが、なかなか姿には現れてこない。

この変化の速度を遅らせている1つの理由に、利用する多くの人たちの無関心があると僕は思う。街も道路も、物理的、精神的な「つながり」をつくる役割を担っている。しかし、無関心や無意識によってその「つながり」が希薄になると感じるのならば、街と道路のあり方とともに人とのつながり方を考え直さなければいけないのかもしれない。

全8回の勉強会を通じて、僕自身も改めて日常生活を「あしもと」から考える機会を得ることができた。道路には、クルマ、バイク、自転車、ベビーカーなどさまざまな移動体が存在し、歩行者だけとってもお年寄りから子供までさまざまな人たちが利用している。モビリティをとりまく環境は今後ますます複雑になるだろうが、それぞれの安全性や快適性を守るためには、区分ばかりでなくすべてをフラットに考え共存させることが大切であると感じた。そのためには、物理的な整備だけではなく、個々の立場の主張を抑えてお互いにモラルを持って関わり合う精神的なつながりを構築することも大切なのである。

そして、日常で何が起きているかをもっと意識する必要があり、「共同体」としてのつながりの中でよりよい環境を考えて行く必要があるのではないだろうか。「あしもと」を見つめ直してみれば、身の回りには日々の生活を豊かにするたくさんの可能性がまだまだ潜んでいる。

最後に、各回のゲストの方々、活発な議論にご参加頂いた皆様、そしてこの機会を設けていただいたAXISの皆様に、この場を借りて感謝を申し上げたい。またいつか、より多くの方々とこの議論の続きができることを願っている。(文/御代田和弘)

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