平野敬子(デザイナー)書評:『天才の栄光と挫折―数学者列伝 』『国家の品格』

『天才の栄光と挫折―数学者列伝 』

藤原正彦 著(文春文庫 540円)

『国家の品格』
藤原正彦 著(新潮新書 714円)

評者 平野敬子(デザイナー)



「美しき魂の源」

2005年は、ライブドアの報道に日本が揺れ動いた。

あきらかにアンフェアな方法による企業の敵対的買収であるにも関わらず、拝金主義むき出しの品性の感じられない人物を時代の要請のように論じ、ヒーローもしくはアイドルのように取り上げるマスコミ報道と世論。
「何という時代なのだろう」と、怒りがこみ上げてきた。

同年8月、郵政民営化法案を巡り、国会が解散した。

小泉内閣はわかりやすい簡略化した言葉を使うことによって、あたかもそこに未来の希望の種があるかのようなイメージづくりに成功してきた。その小泉首相が靖国参拝問題に対し、「個人の自由だから」と行動の正当性を堂々と語る姿に、わが目、耳を疑った。
一国の首相の行動規範が、個人として成り立つわけもない。怒りが諦めの気持ちに変わった。

2005年11月、混迷の時代に光明を見た。
藤原正彦氏の『国家の品格』が出版され、ベストセラーとなった。
数学者である藤原正彦氏を初めて知ったのは、2001年に放送されたNHK人間講座の「天才の栄光と挫折 数学者列伝」という番組で、それ以降、藤原正彦氏は、私にとって憧れてやまない存在となった。番組で紹介される歴史上の偉業を成した天才数学者たちの、魂の崇高さを称え、それを総括する言葉の前段に、なぜか、毎回、「かつての日本人がそうであったように」という言い回しが使われた。
全く唐突にも思えるこのフレーズは、国を想う切なる訴えと受け取れた。力強く、美しく、そして悲しみを含むこの一節に、どれほど心動かされたことだろう。

藤原正彦氏の発言には一貫して迷いがない。確信のみである。

問題を解析するために、歴史的な史実や文学の造詣といった多様な知識を駆使し、さまざまな角度から筋道を立てて証明されていく数学者としての思考のプロセスは、われわれの想像が及ばぬレベルで、矛盾なきように緻密に組み立てられており、発言の前提に、論理的な根拠がある。

その筆者が、「数学者のはしくれである私が、論理の力を疑うようになったのです。そして“情緒”とか“形”というものの意義を考えるようになりました」「日本人一人一人が美しい情緒と形を身につけ、品格ある国家を保つことは、日本人として生まれた真の意味であり、人類への責務と思うのです」(『国家の品格』本文より)と結論を出していることは、驚きをもって人々に受け入れられたはずだ。
そして、近代的合理精神の悪しき呪縛から、われわれを開放してくれた。
 
筆者は、品格ある国家の指標の1つとして「天才の輩出」という項目を挙げている。
「天才が輩出するためには、役に立たないものや精神性を尊ぶ土壌、美の存在、跪く心などが必要です。

市場原理主義は、これらすべてをずたずたにします」。『天才の栄光と挫折』で学んだ数学者の美しく崇高な生き方。天から与えられた才能を、魂の声に偽りなく生命を燃焼させ、個人的な幸福は得られずとも人類に貢献するという生き方のなんと美しく、誇り高きことか。

そして、それが国家の品格の指標であるということが、2冊の本を横断し、理解できた。創造者にとって、福音の書である。
(AXIS 123号 2006年9・10月より)