日本にも世界にも ファブラボがインフラになる日

FabLab Japan(旧)の発起人の田中浩也です。

2010年5月のFabLab Japan設立以降、2年半余りにわたる活動を通じて、日本でもファブラボ鎌倉、ファブラボつくば、ファブラボ渋谷、ファブラボ北加賀屋と4つの個性豊かなラボが立ち上がりました。各ラボは、マスターやメンバーの個性と地域の文化的特性が掛け合わさって、それぞれが多様な展開を行っています。拙著『FabLife』で伝えたかったように、「ファブラボはコンビニではない」「地域のリソースを集めて、1つ1つユニークなラボをつくる活動である」という世界の状況が日本でも体現されたかのようです。また、「グッドデザイン賞」や「日本のコ・クリエーションアワード2012」を受賞し、ファブラボの提唱する「つくる文化」や「つくる技術」を広めていくことにも一定の成果を出すことができました。そして最近では「自分たちの地域にもファブラボを作りたい」という声を耳にするようにまでなってきました。

『FabLife ―デジタルファブリケーションから生まれるつくりかたの未来』

これらの状況から、日本にファブラボを根付かせるための、最初の土壌整備のような活動を行ってきた有志団体「FabLab Japan」は、当初の目標を達成したと考え、新たなフェーズへと移るべく、メンバーで話し合った結果、2013年1月4日をもって「FabLab Japan Network」へと名称を変更しました。各ファブラボはこれまで通り、独立した運営体制の下に活動をしていきますが、その一方で、FabLab Japan Networkでは「国内外のファブラボとものづくり活動をつなぐネットワーク」という役割を中心に据えて再スタートすべく、現在はその体制について議論を行っています。

ビル・フォスター議員と筆者

奇しくも、同じような変化が他国でも起こっています。米国では一昨年より、草の根で増えてきた各地域・各州のファブラボを横に繋ぐための「US FabLab Network」が活動を始めました。そして今年に入って、さらに国策として、米民主党議員ビル・フォスター氏が中心となって、「National FabLab Network」の設立が宣言されました。「70万人に1つ」の粒度でラボを整備する、といいます。いよいよ草の根の時代から、国の施策として「つくる公共施設」=ファブラボの整備が始まったといえると思います。ロシアでも1,000カ所のファブラボを設立する準備を始めているとも聞きます。私は今年の2月に米国を訪れ、教育、産業、経済、雇用とあらゆる角度から、ファブラボの未来を語る場に参加させてもらえるという幸運に恵まれました。

そこで大切にされていたのは「ファブラボは次世代の発明家の集まる、そして育てる場である」そして「創造的な社会をつくるための基本インフラである」というコンセプトでした。こうした動きから、インターネットの黎明期のことが思い出されました。草の根で回線を繋げていた時代から、国策として情報ネットワークが整備されるまでになった90年代前半。それと同じような変化が、今全地球上で起こっているような気がしてなりません。ファブラボは、インターネットと同じように、新しい「インフラ」になれるでしょうか。

ただ、現在日本でファブラボを巡る言説には少し混乱があるようにも思います。例えば、「パーソナル・コンピュータとインターネットが全人類の道具になったように、3Dプリンタやレーザーカッターがすべての人の道具になる」といった論考。これは決して間違っているわけではないのですが、議論の焦点が「機器」だけに寄り過ぎているようにも感じます。実際、ファブラボは「機器」というより、それを包含する「場」のことなのです。

「ファブラボがインフラである」と言った場合、たとえとして最も適切なのは、「図書館」であると言われます。「文字の読み書きができる」ことがリテラシーとされた時代、1つの町に1つの図書館が整備されていきました。そして20世紀後半には、各地域の図書館をつなぐ図書館情報システムが誕生し、ネットワークでつながれ、連携が始まりました。図書館は施設として地域社会のハブであり、かつネットワーク化されて、その役割は万人のリテラシーを育むことであり、その意味で文化や文明のインフラだったのだと思います。

同じように、ファブラボは、クリエイティブなものづくりが誰にでも求められる現代において、地域社会のハブとなり、同時に地球規模のネットワークで各国の施設群がつながれた状態をつくり上げようとしています。つまりローカルであり、かつグローバルなネットワークを構成しようとしています。その目的は新しい創造的なリテラシーを育むことであり、次の文化や文明をつくっていく基礎になる場になることなのだと思います。

そうした意味で、いまファブラボを展開していく際に求められているのは、機械を購入するだけでなく、こうした新しいリテラシーを実践的に開拓して先導していく「ひと」なのだと思います。ニール・ガーシェンフェルドの『ものづくり革命』を新装再版した『FAB―パーソナル・コンピューターからパーソナル・ファブリケーションへ』(オライリージャパン刊、2012)にも詳しく書かれていますが、ここでいう「ひと」は、芸術家と親方と職人という3つの要素がひとりの人格の中に体現されているような、いわば産業革命以前のルネサンス的な存在なのかもしれません。

『Fab ―パーソナルコンピュータからパーソナルファブリケーションへ 』

そうした存在が中核にいれば、ファブラボの周りには自ずと独自のコミュニティが生まれ、これまで結び付かなかったもの、ひと、ことが有機的につながり始めて、イノベーションが起こり始めます。そしていまさらに、世界各国のファブラボを渡り鳥のように転々と移動しながら、ものづくりをする、「ファブラボノマド」と呼ばれる人が活躍するような状況にまでなってきているのです。これはまるで、ライブハウスとツアー・ミュージシャンの関係のようでもあります。こうした「ノマド」が常に、ともすればローカルな地域だけに硬直してしまいがちなファブラボの活動に風穴を開け、世界をつなぐ新しい風を運んで来てくれるのです。ファブラボノマドの第一人者、イェンス・ディヴィクが2年かけて世界のファブラボを回りながら撮影した映画「Making Living Sharing」はそんな新しいデザイナー像、クリエイター像を、リアリティをもって伝えてくれます。トレイラームービーを是非ご覧ください。

世界のファブラボでは、こうした新しい動向が次々に生まれ始めています。1つ1つを詳述するには紙幅が足りないのですが、代わりに、1つニュースを発表させてください。現在、世界50カ国200カ所にまで増殖した世界のファブラボは、普段はPolycomというビデオ会議システムで連絡を取り合い、遠隔でありながらもお互いに連携してプロジェクトを行っています。そうしたファブラボの代表者が年に1度、顔を合わせる合宿があるのですが、その9回目となる会議が今年は日本(横浜)で開催されることになりました。

そして、ファブラボ代表者のみで行われる1週間の会期中、8月26日(月)のみ、一般も申し込み応募のできる大々的なシンポジウムを開催することになりました(これは世界のファブラボの大半がおおむね週1回の「オープンアクセスの日」を設けていることのアナロジーでもあります)。詳細はこちらをご覧ください。

このシンポジウムでは、世界のファブラボネットワークの最新プロジェクト、そして先にも述べたイェンス・ディヴィクの映画のフルバージョンを上映する予定です。具体的な申し込みについては、ウェブサイトをチェックしていただければ幸いです。

本連載をこれまで読んでくださっていたみなさん、どうもありがとうございました。これからも、日本各地のファブラボ、世界各地のファブラボ、そして世界ファブラボ会議のシンポジウム、これからのファブの活動、ファブがつくり出す社会、すべてに対して、応援、そしてご参加のほど、どうかよろしくお願いいたします。FabLabJapanの連載としてはじまった本企画は、今回で一応の締めとさせていただきますが、Fab Lab Japan Networkの組織が固まり次第、また次の展開についてもアナウンスさせていただければと思います。では8月26日に横浜でお会いしましょう!!(文/第9回世界ファブラボ会議 実行委員長 田中浩也)

この連載はFabLab Japanのメンバーの皆さんに、リレー方式で、FabLabとその周辺の話題についてレポートしていただきました。