INTERVIEW | プロダクト
2013.07.17 10:07
BMWのデザイン部門で活躍する日本人カーデザイナー、永島譲二氏。3回にわたってお送りしたインタビューの最終回では、ものづくりのアイデンティティやカロッツェリアの現状などについて聞いた。
写真(ポートレート)/藤井 真
インタビュー・文/編集部・上條昌宏
キドニーグリルに変わるものとは?
——個人的な見解と前置きして、キドニーグリルは永遠ではないと話されています。多くの人がBMWのデザインを認識するアイコンとして捉えているキドニーグリルが仮になくなってしまったとしたら、別の新たな記号は何だと?
まず1つ言えるのは、それが見つかるまではキドニーグリルを使い続けるということです。つまりキドニーグリルがなくなってから、次にどうしようと考える状況にはならない。キドニーグリルに代わるものが見つかったときにキドニーグリルの役目が終わるかもしれないということなのです。そのうえで一貫して守らなければならない価値が何であるかというなら、それはジャーマンクオリティに他なりません。それがなくなると、BMWの存在価値はほとんど消えてしまうと思っています。
——ジャーマンクオリティとは?
日本のクオリティとは、おそらくドアの隙間が6mmじゃなくて4mmで、それが上から下まで並行にきちんと走っていることを指します。
——精密さや正確さですね。
それがきちんと確保されていることで、作業を行っている人が真面目に働いていることを連想させたりもします。ただ、そうやって正確につくられたものが、折り紙であっても日本のクオリティとしてはいいわけです。しかし、ドイツのクオリティは折り紙では出せない。ドーンとしたものでないとダメなのです。先ほどiシリーズについて“軽さ”の話をしましたが、それはBMWの標準に照らしたうえでの軽さであって、日本のクルマの中にはもっと軽い印象に映るようにつくられたクルマがたくさんある。でもドイツでそうしたクルマを見ると、どうしても紙でできているようにペラペラして見えてしまう。日本のクオリティを意味する正確さが、ドイツではクオリティとして認められないのです。フランスでも微妙に違うはずです。
ドイツのクオリティは、もちろん正確にできていることは大切な要素ですが、同時に面倒くさい仕事を1つ1つ積み上げてでき上がったものをクオリティとして尊ぶところがあります。作業的にはすごく単純であっても、それを愚直にコツコツと繰り返すことで達成されるような作業です。そういう意味ではあんまりお利口にならないデザインと言いましょうか。ドアを閉めたときにクルマでも家でもズドーンと閉まるようなものがドイツのクオリティではないでしょうか。
▲ 来日時に行われたプレゼンテーションでジャーナリストらを前に話をする永島氏。
——それはドイツ人のクオリティに対する考え方とほとんど一致した見解ですか?
あまりズレていないはずです。
これはオペルにいたときのエピソードですが、ある日本のメーカーがオペルと提携しようとしました。そのとき日本で売っているリッターカーをドイツに持ち込んで、一般の人に評価してもらうテストリサーチを行った。そのクルマは十分日本的なクオリティを有したクルマでしたが、リッターカーだったこともあり、こちらの人にはひじょうに薄っぺらな印象に映ってしまったようなのです。当然、リサーチの結果は散々で、品質が良いと答えた人は全体のわずか3%。97%の人が良くないと答えたのです。折り紙のような正確さで、きちんとつくられたクルマだったにもかかわらず。ドイツの人たちはそれをクオリティとは認めないのです。
私はクオリティとは何かということを国ごとにかなり真剣に考えてきました。私の認識はドイツ人の感覚と近いはずですが、フランスのクオリティとは何か? イタリアのクオリティとは? その答えをそれぞれの国のクルマから見出すことはなかなか難しいですね。
——確かにそうですね。フランスのクオリティが日本やドイツで考えられているものと違うことはわかるのですが。
フランスではクオリティを“カリテ”と言いますが、私がフランスにいてわかったのは、彼らには、人がたくさん手をかけるものを良いものと見なす習慣があるということです。料理でも刺身の逆で、グジャグジャと手を加える。そうすることでどんどんクオリティが良くなると考えている。フランス庭園も本当に植物なのかわからないぐらい植栽を真四角に切りそろえ、わざわざ模様を描いたりしますよね。自然の物とは思えないぐらい手をかけることで、カリテが生じると信じているのです。フランスの会社でデザインをしていたときに、もっと手を加えろと頻繁に言われました。そんな彼らの習慣に気づいたときにとても新鮮な感覚を覚えました。
——最近は料理のスタイルもシンプルな方向に変わりつつあるようですが。
それは、ほんの一握りの人たちに見られる変化でしょう。長年染み付いた習慣や感覚がそんなに簡単に変わるはずはありませんから。
▲ 来日中の永島氏がどこへ行くにも携帯していたのがこのエコバック。聞けば、自宅のあるミュンヘンで天然素材を使用したBIOパンを扱うHofpfisterei(ホーフプフィスタァライ)のものだという。
ピニンファリーナとの協業、カロッツェリアの行く末
——永島さんの直近の仕事に、5月末にイタリアで発表されたグランルッソクーペがあります。ピニンファリーナ社と共同で手がけた作品ということで、昨年秋から頻繁にトリノ通いが続いたようですね。そこでお聞きしますが、ピニンファリーナに止まらずカロッツェリアという存在自体が今存続の危機に立たされているように見えます。ピニンファリーナでいえば、昨年セルジオ・ピニンファリーナ氏が亡くなったニュースを見て、カロッツェリアの終焉を感じた人も多かったはずです。これからの時代を生き抜くために今、カロッツェリアに求められているものがあるとすればそれは何だと考えますか?
その質問に答えられると、彼らも喜ぶのでしょうが。
▲ 今年5月に発表されたグランルッソクーペは、BMWとピニンファリーナが初めて共同開発したモデルでもある。V型12気筒エンジンを搭載し、タイヤには21インチのホイールを装着。車内のウッドトリムにニュージーランド産の樹齢48000年のカウリマツを使用するなど、ワンオフカーとしての魅力が細部にまで及ぶ。
——彼らも悩んでいるということですか?
もちろんです。今存続しているカロッツェリアはほとんどが、崖の一歩手前に立っている状況です。他の国にもかつてはありましたが、それが全部なくなってしまった。イタリアに残っているのが奇跡なのです。
ピニンファリーナについては、ある時期に大きな工場を建設し、プロダクション分野に進出しました。そこでフィアットのスパイダーを生産するわけですが、結果的にそれが仇となってしまった。そういう副業から手を引き、規模を縮小して、デザインスタジオとして特別なクルマをカスタマイズするという原点に立ち返ることでしか、もう生き残れないような気がします。
生前セルジオ氏と話をした際、カロッツェリアの置かれた状況について説明を受けたのですが、いかに厳しい環境にあるのかを知らされ私自身とても驚きました。フィアットがどういう状況にあって、それに対してイタリアの政府がどうしようとしているのか。フィアットのオーナー一族であるアニエリ家は、完全にビジネスを手放したがっている。もう辞めたいと。年に200万台強のクルマをつくった結果が赤字なら銀行にお金を預けたほうがはるかに効率がいいわけです。だからアニエリ家は一時GMに身売りをしようとしましたが結局うまくいかなかった。彼らの支配権は現在だいぶ低下しているようですが、この先どうなるかは誰にもわからない。しかし、なくなってしまっては政府も困るわけです。
最悪の状況を回避するためには、本当に細々とでも、他の国やメーカーには絶対できないことをやっていく。それが、生き残るための手段だと思います。
——デザインの業界にいる人間からすると、カロッツェリアの火が消えてなくなることには一抹の寂しさを感じ得ません。
寂しい気持ちは確かにあります。でも、どうも業界内に長く居過ぎたからかもしれませんが、今の状況はある意味で仕方がないとも思います。
▲ グランルッソクーペの製造工程。カロッツェリアならではの美意識や知恵に裏打ちされた技術が、クルマの魅力をいっそう引き立てる。
——永島さんは09年から3年間、京都精華大学で客員教授を務められました。海外で仕事をしてきたキャリアや経験を学生に伝えたいという気持ちで教鞭に立たれたと聞いていますが、学生と接して思いは伝わったと感じましたか? また、今の日本の学生に伝えたいことがあれば、一言いただけますか。
彼らに自分の思いが届いたかと言われると難しいですね。私は海外にもきちんと目を向けたうえで社会に出ていってほしいと思っています。しかし、今はあまりに日本の常識と世界の常識が乖離してしまい、若い人たちがいきなりヨーロッパで働くことに対してひじょうに危険に感じています。もし、友人から海外に行きたいのだけれど、どう? とアドバイスを求められたなら、行かないほうがいいと答えるでしょう。それぐらい、日本の若者の現実と世界の若者の現実には溝がある。自ら捨て石になる覚悟で始めるぐらいでないと、きっと大けがをするでしょう。もちろん、どんどん捨て石になって、後に続く人たちの橋をつくってくださいとは言いたいですが、知っている人には止めておいたほうがいいと忠告しますね。
——なぜそういう状況になってしまったのでしょう? 一昔前に日本人が座っていたポジションは、今やすっかり韓国や台湾など他のアジ人デザイナーの指定席に変わってしまいました。
理由はわかりませんが、現象としてそうなってしまった。どうしたら良いのでしょうね?
——同僚のアジア人デザイナーを見ていて感じることはないですか。
彼らにあって、日本人にないものの1つにハングリー精神があります。日本は国内だけで何とかなってしまう状況がありますから、どうしてもそういう気持ちが育ち難い。でも世界を見渡すと、そういう環境にない国のほうが圧倒的に多い。アジアだけではなく、東ヨーロッパなどもそう。そうした環境による厳しさから、違いが生じてしまったように思います。
——永島さん自身はあとどのくらいBMWで仕事をされる予定ですか。BMWの定年はいくつなのでしょう。
確か定年は65歳だったと思います。でもドイツ人の大半は定年を待たず、60歳ぐらいで辞めていきます。
——永島さんもそういうつもりですか?
さて、どうしましょう(笑)。
永島譲二/1955年東京生まれ。武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科卒業後渡米。ミシガン州・デトロイトのウェイン州立大学にてマスター・オブ・アート修了。1980〜86年アダム・オペル(ドイツ)、1986〜88年ルノー(フランス)に勤務し、生産車などのデザイン開発に関わる。1988年11月ににBMW デザイン部門に移り、現在はエクステリア・クリエティブディレクター。Z3(1996)、5シリーズ(1996)、3シリーズ(2005)を手がけるほか、多くの生産者やコンセプトカーのデザイン開発に携わる。直近では、イタリアの「コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラデステ」において披露されたBMWとピニンファリーナによる初のコラボレーションカー、グランルッソクーペのデザインに関わった。