岩竹 徹 x 脇田 玲
「本能で学ぶ」

『x‐DESIGN―未来をプロトタイピングするために』(慶應義塾出版会)の著者による連載第3弾の今回は、コンピューターミュージックを専門とする岩竹 徹教授とマテリアル研究の分野で活躍する脇田 玲准教授による対談。人間の本能から日本の教育への思い、SFCの学生についてなど話が尽きなかったふたり。これからのテクノロジーと教育について語った。

子宮をつくるテクノロジー

脇田 玲(以下、脇田)
岩竹先生の原稿を読んで、純粋に知的な喜びを感じました。以前から岩竹先生は、学生が言葉にできずにいることをずばっと言い当てるところがすごいなと 思っていたんです。何万年も前から人間は音楽を楽しむ可能性を本質的に持って生まれてきたんじゃないか、というところから始まって、ご専門のコンピューターミュージックだけではなく創作の歴史まで内容は多岐に渡っています。言葉の背後にある知性を文章を読んで感じました。

岩竹 徹(以下、岩竹)
いやいや、年の功ってやつですけどね(笑)。脇田さんの原稿にも、共感することが多かった。使っている言葉は違うけれど、これから先は、すべてインタラクティブな環境に進化すると僕は確信していますね。僕が思うに、赤ん坊のとき、母親の子宮はとても居心地が良かった。必要なときに、必要なものを提供してくれる、そういうところが人間は本能的に好きなんだよね。テクノロジーが進化するというのではなくて、自分を受け入れ、理解し、応答してくれる快適な環境が欲しいという本能に従っているのだと思う。

脇田
テクノロジーの進歩自体も実は本能にかなりひっぱられている。テクノロジーを止めることができないのは、それが人間の性(さが)であり本能だからですよね。私の論考で扱っている自己複製するマシン、というのも究極の生命のアナロジーじゃないですか。例えば、岩竹先生のつくられている曲であっても、生命的なものを考えられていますよね?

岩竹
そういうものを目指したいよね。かつての人間の定義は「知能」を持っていることだったけれど、今は「感情」があるかどうか。人間的というのは、感情とか感動とか感覚とか、そういうところにある。僕の場合、最終的にはコンピューターによる音楽で機械は感情を持っていないけれど、それがない音楽はつまらないよね。

脇田
本能の中に、信義というか真理を感じ取ると思うんですよ。もともと人間は動物の毛皮をはぎ取ってきて、それを纏っていた。生理的に体温維持が必要という事実以前に、本能的にあったかいと感じる暖かいものに守られたいんですね。僕の研究はその本能に訴える「素材」そのものをつくろう、再構築しようというものです。

▲ANABIOSIS((辻 航平, 脇田 玲) [2011]

動的な色彩変化と対話性を紙に付与する独自技術を用いた絵画作品。リスボンで開催されたインタラクティブ技術の国際会議 ACE 2011 にて Interactive Art部門 Gold Award を受賞

▲Blob Motility(脇田 玲, 中野亜希人, 小林展啓) [2010]

自己組織化するプログラマブルな高分子素材を用いた作品。オーストリア・リンツのアルス・エレクトロニカ・センターにて2014年3月まで展示中

何を学ぶか、どこで学ぶか

岩竹
僕が不満なのは、現在のテクノロジーがあまり洗練されていないこと。よくテクノロジーが世の中を悪くするって言う人がいるけれど、それは間違っていると思う。テクノロジーがまだ十分に洗練されていないだけで、これから10年、20年経てば、生きていてよかったなぁって思えるものが出てくるよね。

テクノロジーを洗練させるというためにも、アートやデザインの試作品をつくることが大事。それを実践している有名なところは、MITやスタンフォードですよね。例えばMITの1つのチームには、数学者、物理学者、生物学者、社会学者、哲学者、心理学者がいる。そういうところがどんどん新しいものを出している。ひとりの中で多面性を持っていることも大事だけど、多面性を持ったいろんな人が集まってなんかやるってことも大事なんじゃないかと思う。もともとSFCもそれを実現するために、文理の壁を壊そうとできたもので、もっとそういう自由なマインドを持った学生が入ってくるといいなって気がする。僕はSFCの教員の最初のメンバーなんです。SFCはそれまでの大学のアンチテーゼとしてできている。偏差値じゃなくて、面白い人やクリエイティブな人が 集まるところをつくろうと。

脇田
最近はコラボレーションが多いですけれど、僕はひとりでやるほうがいいんじゃないかと思うこともよくあるんですね。やっぱり日本って、もともとは有機論的な全体観を持っていたと思うんです。そうだとすれば人間の能力というものも文系理系とに分けるんじゃなくて、いろんな多次元的な能力面がひとりの人間の中にある、同時に成立しうると考えられる。そこをずっとやってきたのがXDであって、SFCであると思うんです。

岩竹
アメリカの有力大学はみんなリベラルアーツ。日本みたいに最初から「あなたは文学部」と決めないから、卒業する人のマインドはめちゃめちゃ広い。そういうところから自由なマインドは生まれてくるけれど、SFCは結果としてそれと似ていると思うの。 若いときに、どんどん外に出たほうがいいよ。異文化を体験しているかいないかっていうのは、大きいと思うんだよね。僕は小さいとき親戚から「君はちょっと世間的にずれているから、直したほうがいい」って言われていたけれど、アメリカに行ったら「君は人と違っているよ、もっと伸ばさなきゃ」って言われた。

同じ事実から出発しても、直せっていう文化と伸ばせっていう文化とがあることを知って、僕は「これでいいんじゃん」ってアメリカへ行ったおかげで解放されたもん。日本はもっとそういうところ開けたほうがいいよ。

脇田
何をやるかも大事ですけれど、どこに身を置くかって結構大事なんですよね。1960年代後半のユタ大学は奇跡的に凄くて、7年ちょっとの間にコンピュータ文明を代表するビジョナリーが次々と生まれた。ジョン・ワーノック、エドウィン・キャットマル、アラン・ケイ、ジム・クラーク。環境自体こそが人を育てる土壌だと思うんです。XDの存在は、非常にリベラルで、SFCの中でも自由にしているペリメータにあたるところだと思うんですよね。これからは1990年代のSFCが面白かったのと同じように、2012~17年頃のSFCは凄かったね って言われるようにしていきたい。だから、僕が外から引っ張ってくる人は少なくとも自分よりは面白いと思う人、自分よりも凄いなと思う人です。

▲脇田玲准教授による新刊『Access to Materials -デザイン/アート/建築のためのマテリアルコンピューティング入門』

三日坊主に悩む人へ

岩竹
楽しくないことは続けられないじゃない。3日坊主なんてつまんないからだよ。学生さんには好きなことを見つけてほしいよね。それがあれば生きていけるよねぇ。僕は生まれたときは高度経済成長期の始まりで、何も娯楽はなかったけれど、家にステレオだけはあった。子どもの頃から音楽が染み付いて、作曲も自然と始めちゃったから、僕にとって「つくる」っていうのは特別なことではない。今でもずっとその延長だよ。

脇田
私はSFCで学んでいたとき、迷える学生でした。経済学の授業を取ったり、社会学やコミュニケーション論を勉強してみたり。いろいろ試しながら悩んだときに、3次元CADに触れて、そこではじめて自分のやりたいことに出会った気がした。そこからは何も考えていないんです。好きなことばっかりやっていて、とにかくそれをベストにできる環境にいようと思っています。楽しいことが積み重なって今がある。好きなことやっていたら三日坊主どころか、三日徹夜する。好きで好きでたまらない、っていうものを学生にも持ってほしいですよね。そして、死ぬまで好きなことだけやればいいと思いますよ。

岩竹
あとはエネルギーね。僕のまわりの成功している人はみんな、すごいエネルギーに溢れている。かなわないなって思う。特別に賢くなくてもエネルギーがあれば、なんとかなるよ。

*さらに詳しい内容については、x-DESIGNのこれまでの研究活動と所属する10名の教員それぞれの思想的背景をまとめた書籍『x‐DESIGN―未来をプロトタイピングするために』(慶應義塾出版会)をご覧ください。

*第4回に続きます。