前回紹介したヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展のドイツ館。今回はそのエキシビションデザインを担当したコンスタンティン・グルチッチのインタビューをおおくりします。
まず正面玄関が閉鎖されているのに驚きました。左脇の勝手口から展示空間に入るのですが、どこか敷居が低くなった感じです。
正面の大きな扉を閉じたのは見学者の動線を変化させるためでした。何か挑発したいという意図があったわけではありません。普通なら正面から中央の大ホールに入って、それから左右両サイドの小さな空間へとデクレッシェンドして(だんだん弱く・小さくなって)進んでいきますよね。今回は、シンメトリックな建築が要求する“中央から”というオリエンテーションを回避しています。建物の左脇から小さな空間に入って、そこから中央ホールへと空間体験感覚がクレッシェンドして(だんだん強く・大きくなって)いきます。
中央の扉を閉じ、出入口を脇にシフトした結果、正面玄関前に屋根付きの広場が誕生しました。この空間をパビリオンのポータルとして扱うにはどうデザインするかがポイントになりました。正面扉のある壁から展示をスタートさせ、ヴェネチアの公園で使われている赤いベンチを配することで、屋外展示室に変えたのです。この建物はかつてナチスドイツがモニュメンタルに改築し、ナチス芸術家のアルノ・ブレーカーの彫刻を展示するなど、第三帝国の権力誇示の舞台となりました。そんな威嚇的な建築を見学者が憩えるパブリックスペースに変貌させることができたと思います。隣接する日本館で揺らされた感情の余韻を味わいながら、ベンチで一息ついてドイツ館への頭の切り換えができるかもしれません。
入口へと誘導する矢印のオリエンテーションデザインでは、黄色い電球を飾って、ドイツのどこか田舎のビヤガーデンに入っていくみたいな庶民性を感じます。
電球の矢印で、モニュメンタルなドイツ館の建築を切断したいという意図もありましたが、まずはエンターテインメント性を感じてもらえればいいと思います。夏の間だけでなくビエンナーレは11月まで開催される。だから秋になって暗くなってくると、より電球の効果が出るでしょう。秋には夏とはまた違う雰囲気で楽しんでもらいたい。電球矢印については、エキシビションを評価してくれた批評家でも、これだけは納得いかないと厳しい批判もありました。真剣な展示とのギャップが大きすぎるとか。でも僕たちはドグマチックな展示はしていません。スポットライトなど照明方法もいろいろ試しましたが、朗らかさとか愉快さが伝わるこの黄色い電球の光であるべきだと考えたのです。移動遊園地やサーカスに行く楽しい雰囲気が伝わってくれればと思います。
建築模型やドローイング、凝ったディスプレイもなく、iPadを手渡されることもない。展示作品は建築プロジェクトの写真、それも1つのプロジェクトに写真も1つのアングルのみ。
静謐ですっきりして心安まる空間にしようと最初から考えていました。エキシビションで展示する情報量も必要最低限に押さえた。なぜかというと、今回のエキシビションは単独で行われる企画ではなく、大規模な国際展の中に組み込まれているということを考慮したからです。
ある見学者はドイツ館に辿り着く前にビエンナーレ会場を歩き回ってくたくたになってるかもしれないし、ある見学者はこれからまだ数えきれない展示を回らねばとせかす気持ちでいるかもしれない。だから、展示物が多すぎて見学者の心身を疲労させないように、見学者にとって気持ちのいい空間、雰囲気を実現したかったのです。自分が過去何度もビエンナーレの見学者として経験したことも役に立ちました。
展示は見学者それぞれがそれぞれの関心度でテーマと取り組めるよう工夫されています。エンターテインメントのレベルから次のレベルは簡潔な説明テキスト、もっと知りたければその次は持ち帰り自由のニュースペーパーが用意され、さらに詳細なカタログでじっくりと深くテーマに入り込むこともできます。
建築写真展であって建築写真展でないというか、不思議な感じがします。
プロジェクトの写真が展示品なので、根本的には建築写真展です。しかし、いわゆる写真展にはしたくなかった。額入りの写真を壁に展示するのではなく、写真作品と認識されないように壁紙として印刷したのです。これは重要なディティールですが、壁紙写真が床の縁までパーフェクトにぴったりと貼られています。この拡大された壁紙写真の効果により、空間から次の空間への新たな眺めが誕生します。つまり、写真を写真と意識しなくなる。日本建築の引き戸を開けるとそこから切り取られた風景が見えるような感じです。壁紙写真の建築ランドスケープの中に実際に入り込むかのような錯覚が起こるかもしれません。空間と写真の関係から新たなリアリティが生成されれば面白いですね。
今回は展示と同時に、ドイツ館の建築の魅力を経験する機会でもあると思います。ドイツ館がこれほど展示会場としてパーフェクトに機能したことはなかったのではないでしょうか。
決して美しい場所とはいえないドイツ館。それをデザインで美しい場所に変容させたかった。パビリオンはとても厳格かつモニュメンタルで、歴史的にも問題がありますが、純粋な展示空間としては文句なく機能します。建築に潜在するドイツの歴史や否定的なオーラにとらわれることなく、また空間に反抗するのでもなく、あるがままの空間を利用するようにい努めました。日の差し具合で上部の光窓が壁や床に幾何学模様を描いてくれます。
展示空間の通路のエレメントには、ヴェネチアで高潮のときに、街の通りに仮設される臨時歩道(ギャングウェイ)をリユースしていますね。
このギャングウェイはヴェネチアでは「パッサレッレ」と呼ばれています。ヴェネチアだし、パッサレッレをアレンジするなんて、安易に閃いたアイデアだろうという印象を受けるかもしれませんが、二次元の写真に三次元の建築的なエレメントをうまく対峙させるにはどうしたらいいのか、ファニチャーかパーティションか、何を使えばいいのか、長い試行錯誤のなかでうまく結論が出せずに悩みました。今年の2月にパッサレッレが建築とダイアローグするか、4体をレンタルして、館内に置いてみたんです。その瞬間にこれだ!と思いました。ベンチにもなり、展示写真の説明箇所にもなる。いろいろ機能してくれます。
パッサレッレのレイアウトは写真のオーダーと関係があるのでしょうか。
それが写真の決まったオーダーやシステムは何もなくて、ポジションも恣意的というか。パッサレッレも各々の写真への通り道であることもあれば、ときには歩行を妨げるることもあったりします。見学者が自由な動線で行ったり戻ったり腰掛けたり、時間をかけて展示を楽しんでもらえるといいですね。
壁紙写真もヴェネチアで現地製作したのですか?
いえ、ドイツの専門会社で製作しました。というのも壁紙はミリメートルでもずれたりしたら終わりですから。ドイツでよく見る大きな安物のショッピングバッグに壁紙のロールを詰めて、8人の製作チーム全員でここまで運んだのです。なんとそれらショッピングバックの中身だけでドイツ館の展示品すべてでした。
かなり安上がりの展示みたいですね。
でも、パッサレッレもちゃんとレンタル料金を払っています。ヴェネチアではレンタル料よりも輸送料金が高くつきます。ボートで運んで1,000ユーロ、陸に上がってドイツ館まで1,000ユーロとか。ベンチは、こちらが新しいものを4脚購入して古いベンチと交換してもらったのです。新品とオンボロを交換したいなんて、変なドイツ人と思われたでしょうね。ヴェネチア市側はいちばん」オンボロなベンチをよこしました。こちらで修理しないといけないのもあったり。でもここで使うのにパーフェクトで、なんともいえない味が出ていると思います。
コンスタンティン・グルチッチがエキシビションデザインを担当すると発表されたとき、グルチッチが特別にデザインした椅子などが使われるのかと予想した人も多いと思います。ドイツ館のコンセプトからして、新しくモノをデザインしないというのはもっともでしょうが、ヴェネチア・ビエンナーレに参加するチャンスはそう簡単には獲得できるものではないのですから、これを機に自分でデザインしたものを使いたいとか、密かな願望はなかったのでしょうか?
それはなかったですね。今こうして腰掛けている赤いベンチにしても、ヴェネチアの街で使われ尽くしたもの。こんな美しいベンチをデザインすることは不可能です。このオンボロの赤いベンチほどドイツ館のテーマと展示空間の環境に溶け込むベンチはデザインできないのですから。ーーインタビューおわり
ドイツ館を出て、もう1度振り返ってみると黄色い電球の矢印からフェリーニの映画『道』のシーンが頭を過りました。自分は何の役にも立たないと失望するジェルソミーナ。そこに綱渡り曲芸人が現れ、その辺の道端の石ころであっても、創造されたものは何でも何かの役に立つんだと慰めます。ジェルソミーナは拾った石ころをじっと見つめ微笑みます。ドイツの街の戦後問題建築物がジェルソミーナの手の中のあの石ころに思われてきました。(インタビュー・文/小町英恵)
この連載コラム「クリエイティブ・ドイチュラント」では、ハノーファー在住の文化ジャーナリスト&フォトグラファー、小町英恵さんに分野を限らずデザイン、建築、工芸、アートなど、さまざまな話題を提供いただきます。今までの連載記事はこちら。