深澤直人(デザイナー)書評:
今和次郎 著『今和次郎集〈第9巻〉造形論』

『今和次郎集〈第9巻〉造形論』
今 和次郎 著
(ドメス出版 5,040円)

評者 深澤直人(デザイナー)

「造形感情について」

もしあなたがデザイナーならば、いや、そうでなくても、あなたがいつも悶々と考えて答えを得られないことが、この本によって少しはクリアになるかもしれない。はたまた再び混沌の海に放り出されるかもしれない。

人は、あらゆる人々が確固として「よい」、あるいは「美しい」と感じる造形がこの世に存在するかのように思い込んでいるふしがあり、それを「普遍」という言葉が表しているかのように誤解していることは事実であろう。

「造形感情」という言葉を私は初めて聞いた。形と感情の関係を表す言葉である。「人びとの感情は、そのときどきの心理的条件によって、また外界の条件によって決定される。(中略)造形といえば視覚の世界のこと、しかも人間のつくった環境のことであろうが、人造環境と自然環境との違いは、前者には人間の欲求がその基礎としてひそんでいる場合だといわなければならない。そしてそのような人造環境とわれわれの感情との関係もなみ大抵の交感ではないことを思うことができるであろう」(文中より)。

著者の今 和次郎は芸大を出て早稲田の教授となった考現学の開祖である。「造形感情」については1952年に単行本が出版されている。この書で興味深いのは、造形感情のなかの装飾についての考察である。現代、いまだにデザインが装飾であると思い込んでいる人は少なくないと思う。装飾であるということも間違いではないが、それだけでもない。単純で機能的なデザインを美と定義するがゆえに、装飾の本来の意味を理解しようとするデザインの客観的視点が衰えていることも事実である。

この書で「造形感情」を考察するためのケーススタディーとしての文章があり、その登場人物としてサダニイという農民が何度も登場する。サダニイは素朴な人々の代表的モデルである。仕事を始めるとそれに熱中する農民の英雄的存在である。サダニイは肥柄杓(大小便を汲み取る柄の長いひしゃく)を使用経験をもとに最良の機能的かたちとしてつくり上げて周りから羨まれるが、その姿は愛煙家のパイプづくりの心理にも、また今日の建築設計や機械設計者(現代のエンジニア)の態度などの近代工作精神にまで染み込んでいると分析している。それを「限定された意味の用と美との間然することのない合致、その一体化」と言っている。

興味深いのは彼らにも集中的、求心的な活動とは全く違う方向に放散的な心境を喜ぶ本能があると説いていることである。それは祭りだとか、縁日の賑わいだとかのような、ふだんの感覚とは全く違った感覚に接触したがることであり、偶然が与えるすべてをただ肯定的に受け取る素質が単純素朴な心の状態の人々にはあると言っている。「装飾」とは消耗的な行動から開放されるそれらを総称する媒体であり、レクリエーションであり、理性では考えられないナンセンスなもので固定的な意味はないが、集中的活動から解放してくれるものとして認めないわけにはいかないと言っている。その考察は日光東照宮と伊勢神宮、桂離宮の違いへと変化していく。「装飾」による集団的心理の原理と文化レベルの差異を読み進むと面白い。

著者は言う。「一定の標準的な固定した感情というものを予定し、いろいろに動くはずの造形美を、そのような固定した物差で計るようないたってナンセンスな講義を、40年前に聞かされた被害者の一人が私自身でもあるのである。ではいまではどうかというと、依然として変わっていないのである」。今から50年余り前の言葉である。現在はどうなのだろうか。変わったのだろうか。(AXIS 115号 2005年5・6月より)

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