柴田文江(デザイナー)書評:
野矢茂樹 著『はじめて考えるときのように』

『はじめて考えるときのように』
野矢茂樹 著(PHP文庫 650円)

評者 柴田文江(デザイナー)

「デザインとは耳を澄ますこと」

当たり前だけれど、デザインするときに私はよく考える。たぶんほとんどのデザイナーがよく考えると思うけれど……。「イメージが沸いた」「デザインが見えた」「空からアイデアが降ってきた」とかその表現はさまざまだが、そこに至るまでにデザイナーは必ず考えている。どのように考えるか、やり方はいろいろだ。「考える」はなにも事務所の椅子に座って黙々とスケッチをしていることだとは限らない。

『はじめて考えるときのように』の著者、野矢茂樹氏はこの本のなかで「考える」についてこのように言っている。

「『考える』っていうのは、耳を澄ますこと。研ぎ澄ますこと。だから、考えている間中、その人は考えていない人と同じように行動していていい。いろんなことをして、いろんなものを見て、いろんなことを感じて、いろんな思いがよぎる。ただ違うのは一点、「あ、これだ!」という声にその人は耳を澄ましている」。

著者は哲学者であり、本書は哲学の本だが、私は本書の言うところの「考える」を「デザイン」という言葉に置き換えて読んでいた。それは私がこの本もまた「あ、これだ!」を見つけるために無意識に読んでいたからなのだろう。軽快な文章と、面白い例を交えて、わかりやすく「考える」について書かれたこの本で、私は自分のしている「考える」のやり方に気づくことができた。「問題そのものを問う」というやり方だ。

「問題はそれが問題になる背景を持っている。そして背景が異なれば、問題の意味も変わってくるし、問題が問題じゃなくなることもある。だから、なぜこれが問題なのかと問うことで、その問題の背景を明るみに出していく。そして多くの場合、問題の意味がはっきりしたとき答えも見えているだろう」(本文より)。

デザインに限らず、私たちが抱える問題は私たちと同じ現実の世界にある。私たちの常識や生活の基準をつくっているのも現実の世界。だからといって現実べったりに展開していても答えは見つからない。言葉を使って想像の世界をさまよったり、可能性を広げるべくスケッチをしたり、あらゆる手を尽くし、いろいろな道を試してみる。そしてまた現実の世界に身を置き、今までの自分の基準とは違う新しい基準を探す。そうこうしている状態こそ「考える」であり「デザイン」である。考えて考えて神経をビンビンにチューニングし、問いへの緊張を切らさずにいる、そんな状態であれば散歩をしていても、映画を見ていても、お風呂に入っていても耳を澄ましていられる。アルキメデスが風呂場で叫んだのと同じあの言葉「ヘウレーカ!(あ、これだ!)」に……。(AXIS 114号 2005年3・4月より)

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