REPORT | アート
2012.04.06 13:00
韓国人アーティスト、イ・ブルの個展が森美術館で開催されている。新作を含む45作品を通じて、初期から現在に及び約20年の軌跡を追うものだ。
▲左:モンスター[黒]1998/2011、右:サルガッソー(部分)1998
無数のスパンコールやビーズ、ワイヤーなどで飾り立て、不気味に膨れ上がった怪物のような立体がいくつも吊り下がる。過剰な装飾ゆえに実態を掴みにくく、美しいとも醜いとも言い難い不安定な感覚のなかに来場者は立たされる。
イ・ブルは1964年生まれ。パク・チョンヒ軍事独裁政権下に育ち、87年の民主化宣言を経て、急速な近代化とともに人々の生活や価値観が激変する様を目の当たりにした。腐敗していく権力や、渦巻く人間の欲望心理がトラウマのように作家の心を支配し、その後の制作を通じて理想の社会を模索する原動力となり続けていると語っている。80年代にアーティストとしての活動を開始。怪物のような異形のコスチュームを身につけては街頭に出て、パフォーマンスを通じて人々に直接刺激を与えようと試みた。90年代に入ると、コスチュームを彫刻(ソフトスカルプチャー)として発展させていくに至る。
▲手前:断食芸人 2004、奥:モンスター・ドローイング 1998
その名を世界的に知らしめたのはニューヨーク近代美術館での展覧会だ。生の魚の上にスパンコールなどで装飾した作品「壮麗な輝き」(1997年)は、ある権力の輝かしい時代が終わり、腐敗して異臭を放つ様を表現したもの。しかし、魚の腐敗臭がひどくなり、数日後には撤去されてしまったという。
その後もイ・ブルは、頭部や片足のない「サイボーグ」シリーズや、植物や機械の一部を置き換えて構成した「アナグラム」シリーズなど、美と醜悪が綯い交ぜ(ないまぜ)になった作品を発表し、人間にとっての完璧や理想とは何かを問いかけている。
▲サイボーグ[赤]/サイボーグ[青]1997-98
▲展示風景:森美術館、東京、2012(サイボーグ[赤]/サイボーグ[青]の写真以外、すべて同様)
近年は「ユートピア」も作家にとって重要なテーマの1つだ。「ユートピアと幻想風景」と題したセクションでは、展示室内の床全面に鏡面パネルを張り巡らせ、その上に近代の建築家ブルーノ・タウトが提唱したユートピア「アルプスの建築」(1919年)からインスピレーションを得た作品など、都市や建築模型のような立体のシリーズを発表。鏡の効果によって作品の浮遊感が演出され、人間にとって決して手の届かない、永遠の夢として提示されるようだ。
▲手前:私の大きな物語:石へのすすり泣き 2006、奥:ブルーノ・タウトに倣って(物事の甘きを自覚せよ) 2007
▲上:星の建築 4(部分)、下:天と地 2007
「天と地」という立体作品では、山脈を周囲に巡らせた浴槽のなかに黒い水を溜め、映り込みによって黒と白、2つの山脈が向かい合う情景をつくり出した。イ・ブルによるとこの池は、中国と北朝鮮の国境地帯にある白頭山(ペクトゥサン)頂上にあるカルデラ湖「天池(チョンジ)」をモチーフにしているという。
「私からあなたへ、私たちだけに」という本展タイトルについて、イ・ブルは「美術家として社会や大きなものに対して理想やコンセプトを強制的に訴えかけていくというよりは、もっとパーソナルな関係のなかで、個人の感情に直接触れていきたいという気持ちを表している」と話す。政治史や社会史といった大きなメッセージを取り上げながらも、小さな秘密をわかち合う者同士のような感覚を共有したいという。
小さなビーズを1つずつ結んでいくような細かい作業の積み重ねが、やがて大きな理想につながっていくと信じているようにも映る。個人のつながりや共感をベースにした活動が注目される昨今。ひとりひとりの耳元にささやくような、親密なコミュニケーションのなかで創作していきたいというイ・ブルのスタンスは、同時代性と呼べるものかもしれない。(文・写真/今村玲子)
▲作家のスタジオ風景を再現した展示
「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」
会 期:2012年2月4日(土)〜5月27日(日)
会期中無休
会 場:森美術館(六本木ヒルズ森タワー53階)
開催時間:10:00〜22:00(火曜日のみ17:00まで)
入 館 料:一般1,500円、高校・大学生1,000円、4歳〜中学生500円
今村玲子/アート・デザインライター。出版社を経て2005年よりフリーランスとしてデザインとアートに関する執筆活動を開始。趣味はギャラリー巡り。自身のブログはこちらへ