深澤直人(デザイナー)書評:
ギャラリー・間 企画・編集『アンジェロ・マンジャロッティ』

『アンジェロ・マンジャロッティ』
ギャラリー・間 企画・編集 (TOTO出版 2,520円)

評者 深澤直人(デザイナー)

「時間と“練り”がつくる形」

薄曇りの日曜日の午後、ソファに半分寝そべるように、オットマンに足を投げ出して、そしてゆっくりこの文章を読んだ。まるで老人の昔話を聞くように静かに読んだ。

老人の語りは生い立ちに始まり、コルビュジエやマックス・ビルとの出会い、ミースと知り合い強く影響された話などへと続いていく。「ミースからは強い影響を受けました。ミースのようにデザインすることは私にとってわりと簡単なものでしたし。ただ、私の中では、ミースはとてもすばらしいけど、彼は彼で、私は私だ、と」など、読み進むなかにハッとする部分が幾つか登場したり、「やっぱりそうなんだ」と妙に納得したりもした。建築の工法にこだわったことや、素材への理解が形を成していくこと、職人との関係、デザインの技術やスケッチの話、そして日本に影響され、深く関わっていく話など、本というよりも、短い語りのなかに凝縮した創造の日々と経験が詰められていた。

「実際、建築家、デザイナーはこのように、時代に制約されながら、それにかなった仕事をしていくことしかできません」。デザインの過程での発見や開発の必要性とその限界を説く言葉の重みに指導者としての姿を見る思いがする。現にマックス・ビルはデザイン学校をマンジャロッティと運営する気持ちがあって、マンジャロッティは「教師になる恐怖」から、その誘いを断って現場の仕事にのめり込みながらも、建築家と教師との選択を常に持っていたようだ。

私が思い描くマンジャロッティの代表的な作品は、重力を利用した締め付けジョイントのテーブルシリーズ「エロス」である。構造がリーズナブルな形を導き出す氏の作品には、独特な彫刻的形態の要素が溶け込んでいるように思う。そういえば最近の建築に彫刻的形態の要素を溶け込ませたものは少ない。表現が的確ではないかもしれないが、建物の形に“灰汁”のようなものがない。造形の灰汁は作者が意図せぬ癖のようでもあり、自らが抜け出せない形への愛着の要素のようなものでもある。その形が意図的に発せられるものでなければ、それは「らしさ」を醸し出す芸術的要素へと昇華される。

ミースに影響されつつ独自の表現を求め、ヘンリー・ムーアの作風にも影響されたのではないかと思えるふしも語りから読み取れる。練り込まれた形は明らかに思考のなかだけでは完結せず、手によってあるいはスケッチによって物体化していったに違いない。それは造形の「練り」である。形体から解放されても意味まで到達せず、単純という形式に捕らえられた薄っぺらな建築が林立する現代においては、「練り」込まれた建築やデザインは鮮烈な光を放って見える。素材の力(分子の力)を感じ取ったマンジャロッティは大理石、いや、すべての鉱物の硬さではなく粘りを知っているような気がする。分子の視覚できない弾力の、ミクロの増幅の幅から形を導き出していったように見えるのだ。

「時間と練りがつくる形が再び帰ってくる予感がするのだ。マンジャロッティの展覧会がギャラリー・間で開催されたことは単に出来事ではなく、地震の前に鳥が一斉に飛び立ち、動物がざわめくような前兆なのだ……」と思ったとき、私は眠ってしまっていた。(AXIS 113号 2005年1・2月より)

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