「KENCHIKU | ARCHITECTURE 2011」が目指すものとは何か

10月20日から11月10日までパリのエコール・スペシャル・ダルシテクチュール(Ecole Speciale d’Architecture)で、日本とフランスの若手建築家12組が会し、展覧会やトークセッションを繰り広げる「KENCHIKU | ARCHITECTURE 2011」が開かれる。その主催者であるRADに、企画の主旨と、日仏の参加建築家を3回にわたって紹介してもらう。


これからの建築家、を問い直す試み

フランスはル・コルビュジエに始まり、ジャン・ヌーベルやドミニク・ペローといった世界的に影響力を持つ建築家を数多く輩出してきたが、近年、オランダ、スイス、スペイン等が才能豊かな若手建築家の話題をさまざまに提供しているのに比して、鳴りを潜めている感を拭えない。

もちろん、ラカトン&ヴァッサル、ペリフェリック、R&Sie といった注目すべき建築家の名前を思い浮かべることはできるかもしれない。ただ、それらも「フランスの」と形容し得る動向とは言い難いのが実情ではないだろうか。しかし、ここにきて徐々にではあるが、同じ方向性を見つめる新しい才能が輝きを放ちつつある。彼らは建築家の役割を、建設という行為に閉じることなく、独自の実践を通じて更新しようと試みているように感じられる。

今年10 月20日〜11月10日にかけてパリで開催する「KENCHIKU | ARCHITECTURE 2011」では、フランスの都市や建築から日本は何を学び、逆に日本の都市や建築はフランスの都市に何を与えることができるのかを、シンプルに問い、考えていきたい。個別の具体な対話から“これからの建築家という職能を問い直す”ことを、本プロジェクトのさらなる狙いとしている。

ここでは、フランスの建築家たちを紹介する前に、彼らの背景にある都市の変遷について触れておきたい(大阪産業大学准教授・松本 裕氏の講義「建築/都市における制度と自由……フランスの都市政策から」を参考にさせていただいた)。

▲2011年6月、パリにて若手建築家へのヒアリング風景


vol.1 都市改造からグラン・パリーーフランスにおける都市計画の変遷

▲Photo by timonysuede


パリという都市を巡る制度の変遷

現在のパリにおける都市の状況を語るうえで欠かせないのが、大小さまざまな規模で行われている再開発だ。20 世紀半ばには近代建築が掲げた理論のもと、この歴史都市にも高層ビルや合理的な団地が建設されつつあった。ところがそれらは、例えば京都においても同様の議論がみられたように、歴史的な景観を破壊するという理由によって批判の対象となり、1967 年には現在のフランスの基本となる都市計画が制定されることとなった。

そこで求められたことは、都市のストックを生かしつつ、都市居住という考え方のもと、周辺地域との関連性を保つこと、であった。こうした方向調整を経たパリの再開発は、70 年代から90 年代にいたるまで実際に都市をかたちづくっていく。同時に、80 年代からはルーブル美術館のガラス・ピラミッドに代表される「グラン・プロジェ」が実施され、国家規模でモニュメンタルな建築が都市に埋め込まれていった。

そして、現在では、近代主義的な都市計画の批判としてかたちづくられた都市が、もう一度見直される時期にきている。その代表的なものが、これから30 年のパリの方向性を定めるために取り組まれるプロジェクト「グラン・パリ」である。これは「グラン・プロジェ」と同じく国家規模で進められ、世界的に活躍する建築家たちがさまざまな提案を行っている。


計画され変化するパリ、自生的に変わる日本

パリは連綿と続く都市計画の歴史を持ち、同時に都市の拡張を繰り返してきた。もともとはシテ島を中心とする小さな集落から始まり、幾度かの城壁の拡張を経て、世界随一の都市へと成長した。

ナポレオン3 世の時代には「パリ改造」として有名なジョルジュ・オスマンによる大規模な都市整備が実施され、それまでの中世的な不衛生で過密化した都市が、バロック的な一大スペクタクル空間へと変貌。その後も近代的な都市が目指され、その近年の一例が「グラン・プロジェ」である。また都市の拡張という点で言えば、新凱旋門を擁する「ラ・デファンス」地区の開発にもつながっている。

自らの歴史を保存するだけでなく、ある意図のもとに計画され、変化しているのがパリという都市である。そして、変化は権力的な象徴として実施されている。これは明確な方向性や計画を持たず、半ば自生的に変化する日本の都市とは対照的に見える。もちろんそれは日本における権力の「弱さ」をそのまま意味するものではないのだが。

▲現在のパリの地図


現実的であれ、夢想的であれ

パリの都市計画が国家主導であるとはいえ、その過程には必ず建築家たちによる「建築コンクール」が行われ、決定前には市民へプランが公開され、公聴会等が実施されている。

しかし、コンクールで優勝しても、必ずしもその案が実現されるわけではない。むしろ全く異なる案が実現することも珍しくない。建築家は社会に対して実務的な役割を担うより先に、 都市のあるべき姿をあぶり出し、その可能性を探る存在として位置づけられているようだ。ゆえにコンクールでは現実的な提案であれ、いくぶん夢想的なものであれ、等しく尊重される。どのような提案も都市に対するアイデアとして重要な価値を持っており、そのなかから実際の計画が生み出されていく。


京都議定書、モビリティ、郊外化に向けて

パリは現在でもさらなる計画に向けて動きを止めていない。 才能豊かな若い建築家たちの活躍が顕在化しつつあるのは、まさにこうした状況においてである。京都議定書、モビリティ、郊外化という諸問題の対応に向け、パリがこれからどのように進んでいくのかが模索されている。こうした流れに関与する若き建築家たちのアイデアを次回では紹介していきたい。(文・写真/RAD)

▲パリ遠景



RAD(Research for Architectural Domain)/2008年に川勝真一と榊原充大が設立した、京都を拠点とする建築リサーチ組織。日本での建築センターの設立を目指し、建てることのみに限定せず建築を眺め、建築的思考が社会に果たし得る役割の幅広さを考えている。拠点とする「radlab.」で開く建築展覧会「rep- radlab.exhibition project」の企画運営、レクチャーやインタビュープログラムの企画実施をはじめ、空間構成や編集作業等を行う。