『日本のスイッチ』
慶應義塾大学 佐藤 雅彦研究室 著/佐藤 雅彦 監修(毎日新聞社 1,050円)
評者 深澤直人(デザイナー)
「みんなの本音を知っている」
佐藤雅彦さんはみんなが思っている本音みたいなものを知っている人だ。いや、本音だけではない。誰もが一度は、あるいは頻繁に「どうして?」とか「あれ〜???」とか「え〜!?」とか「まただ」と思ったり感じたりしたことが手に取るようにわかっている。日本、いや世界、あるいは人間全体を覆っている半透明の薄皮の中にあるものが、きっとはっきりと見えるのだろう。佐藤さんはそれを「今まで見えていなかった日常」と言っている。
険しい登山道を登っているとみんなが必ずつかまった木の枝がつるつるに磨かれていることがよくある。その枝をつかんだときに、そのつかみ易さとともに、何か安心感とか、何かを共有しているという喜びや快感を得た感じがする。多くの枝や岩の中から人々が選んだ機能が共通のものであったという偶然、いや必然が快感に繋がるのかもしれない。この枝が「今まで見えていなかった日常」なのかもしれない。
この本には、質問とその結果に引き寄せられる誘惑がある。『日本のスイッチ』を読む人は口を揃えて言うだろう。「なんだ、やっぱりそうじゃん」と。『日本のスイッチ』は携帯電話のサイトに出された質問に答える形式で誰もが参加できる「社会的装置」だ。その質問には、例えば「松井のニュースを見終わってヤンキースの勝敗。おぼえている21%/おぼえてない78%」とか、「電車の座席、座りたいのは。真ん中8%/両端92%」というような大衆的なものと、そのときの世相を反映した「今、私のアメリカへの評価は戦前よりも。上がっている21%/下がっている79%」といったものが混在している。これらの質問は毎週新しく変わっていく。
この質問ができるということは、きっと佐藤さんは答えを知っているということだ。そしてそれに参加する人たちもその二択の比がなんとなくわかる感じがする。身体的心というか動物的心を知っている。
この本を読んで、この質問を知ったならば、きっと人々の同じような本音に触れる質問が誰にでもできるような気がするに違いない。「私にもこんな質問ができる」とか「みんなこんなふうに思っているはずだから、こんな質問をしてみれば面白い」というふうに。しかし、誰もが自分にもできそうだと思えるような現象を最初に発案した人が天才なのである。
この本を読めば、きっと国中がこの質問に答えたくなり、自分も質問したくなるに違いない。自分の名を明かさず、本音を共有するこのプラットフォームは人々の暗黙の思いの繋がりを露出させる。これは質問のつぼによってなされたシステムであって、時代に歩調を合わせた興味深いデータベースにもなり得るだろうが、それは人の気付きによって価値となったりならなかったりするだろう。
人間は考えにオプションや選択肢を持ちたがるから、たくさんの可能性の中から自分の意思を決定しようとして、あるいはいろんな人の考えを参考に取り入れようとして自分の本音みたいなものがわからなくなってしまうものだ。
答えがわかるという不思議な現象。自分を客観的に映し出してしまう鏡のようなもの。日本の本音をあぶり出すこのスイッチに思わず触りたくなってしまう。(AXIS 111号 2004年9・10月より)
「書評・創造への繋がり」の今までの掲載分はこちら。