『コンピュータと認知を理解する―人工知能の限界と新しい設計理念』
テリー・ウィノグラド、フェルナンド・フローレス 著/平賀 譲 訳
(産業図書 2,625円)
評者 須永 剛司(多摩美術大学美術学部情報デザイン学科教授)
「情報化時代のデザインを考える、新たな礎として」
この本を手にしたのは1989年初夏、カリフォルニア大バークレイ校の本屋だった。情報とコンピュータに焦点を当てる新たなデザイン領域の開拓を考えていた僕の目にそのタイトルが飛び込んだ。Understanding、Computers、Cognition。どの単語も見逃せない光を放っている。手に取った青い表紙に決定的な言葉があった。A New Foundation for Design。そう、必要なのはデザインのための新たな礎だ。以来、この書物は情報デザイン領域、いや次世代デザインの相を築いてみようとする僕の仕事を支えている。
読むと、その底に流れている著者たちの思い、「インタラクションの学問」をつくるという意志を受け取ることができる。そこに、この学問がデザインの1つの大事な基礎になると僕は確信を持つ。人間の言語活動を拡張するシステムであるコンピュータとネットワークを、人間のための本物の道具と環境にするためには、科学技術知の枠組みを基盤とするのではない、もう1つの枠組みが必要となる。それが、生活し言葉を使い行動する人間、そして人々がつくる社会が変化し生きている現実を把握し、それらを設計に結びつける行為と知の枠組みだ。
「インタラクション」とは、日本語の「やりとり」や「かかわり合い」に最も近い。そこには3つの重要な論点がある。(1)インタラクションとはこの世界の中で2つ以上の存在が相互にかかわり合う「ダンス」のようなもの。それらから1つだけを取り出してみても、本来の意味が失われてしまうこと。(2)最終的な設計対象となる事物だけでなく、ユーザーに代表される人間もまたデザインの対象問題となる。つまり、生み出される人為的な物事と人々が織り成す未知の活動、それこそがデザインの真の問題領域であること。(3)そしてさらに、デザイナーが描こうとするその活動に、デザイナー自身もまた参加できること。あるいはその活動を動かす人々自身が、その活動を開花させていく次のデザイナーとなること。
著者らは、デザインとは「理解と創造のインタラクション」だと述べる。そして、「新しい技術が人間の活動を変え」、そこに新しい活動の用語がつくり出されると指摘する。科学技術が実現する新しい道具と環境に「デザイン」が不可欠となるのは、それら道具環境によって人間の活動が変容し、新たな形が生まれ、社会がそこに人々への適合と豊かな質を必要とするからだ。
携帯電話を使い始めた僕たちは、すでに「ケータイ語」をつくり、使っている。「渋谷でお昼頃!」そして「いまどこ?」がそれだ。それで、必ず会える。モバイル技術に支えられた情報で結びつくことを前提として、人々の活動とその用語が構築されている。新しい道具は人々の「約束」と「会い方」を変えたのだ。「車内でのご利用はご遠慮ください」というアナウンスにあるような、さまざまな問題をはらむこの新しい活動は、誰が責任をもってデザインしているのだろう。そこに生まれる人々の経験の「質」を誰がどのように保証するのだろうか。これらの問いに答えることが、今、デザイン分野の社会的な責任であることは言うまでもない。
本書は3部構成、全体で12の章で構成される。その第1部、1〜6章には、新たなデザイン論の枠組み、生物学、解釈学、そして現象学の分野から導かれた人間の思考と言語に対する理論的なオリエンテーションが示される。第2部の7〜10章では、コンピュータ技術を支えている合理主義的伝統に基づいた人工知能への批判が展開される。第3部の11〜12章は、人間の仕事に着目し、マネジメントという観点から意志決定論への批判と、道具としてのコンピュータによるデザインへの可能性が述べられる。
出版当初「人工知能批判の書」と評されたこの書物が、今もう1つの光を放っている。デザインの基礎論、つまり生活と言語と社会を理解する枠組みと、そこから導かれる設計論の原則が示されている。科学技術知の枠組みによる組み立てが困難であった「デザイン」の実践について、それがぴったり入る新たな知の枠組みを本書に見出すことができるはずだ。(AXIS 110号 2004年5・6月より)
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