『藤井保の仕事と周辺 FUJII FILMS』
藤井 保 著(六耀社 2,800円)
評者 深澤直人(デザイナー)
「結局は自分の見たいものを見ている」
何と表現したらよいのかわからないが、あえて言うと「藤井 保の写真には輪郭がない」という感じだろうか。そこにある「もの」あるいは「こと」でもいいが、それと「背景」とされるものが溶けてしまって、その二元の境目となる輪郭がないのだ。その「もの・こと」を撮っているのか、あるいはそれを除いた背景に目がいっているのかがわからない。世界が、触れるもの=「固まり」と、触れないもの(厳密に言えば触れるのかもしれないが)=「空気」でできているとすれば、その空気、あるいは触れないものと一緒に触れるものを撮っているという感じがする。双方が境界を越えて染み込んでいく感じがするのだ。層を撮っているのではないだろうか。
原 研哉さんのアートディレクションによる無印良品の一連の仕事のなかに、私のデザインしたCDプレーヤーを藤井さんに撮ってもらったものがあるのだが、そのポスターを見たときには本当に驚いてしまった。私が見ていた、あるいは思い描いていたものとはまったく違うのだ。まず目に入ったのは、私の作品ではなく背景の、いや全体を覆う柔らかなグレーの色。CDプレーヤーが何かに包まれていて、触れられない空気と光の感触が写っている感じがする。空間に溶けた自分のデザインを見たときにとても感動した。
この本の最初に書かれている氏の言葉、「結局は自分の見たいものを見ている」を読んで、人の見る世界を知ることがこんなに感動を呼び起こすものかと思ってしまう。人の目を通して、この場合は藤井 保の目を通して世界を見ることが感動であるならば、それこそがアートの根源のような気がする。
藤井保は広告写真を撮っているから、その写真は氏の作品と言えるものばかりではない。一緒に広告をつくり込むアートディレクターやグラフィックデザイナーの思いやイメージが氏の写真に刷り込まれている。デザイナーはこのとき、藤井 保の目に自分の目を重ね合わせて作品を生み出すのだろうか。創造者たちはその多層なレンズを通して、予想もつかない美を見ているに違いない。
この本は藤井 保の作品集ではなく仕事を紹介したものだから、氏が撮影に際して思ったことなども綴られている。撮影の技術的な話も出てくる。ロケ日誌は氏の写真のように柔らかく美しい。マグライトのロケ日誌に出てくる一説がいい。
「1月22日(土)久しぶりにゆっくりと眠る。朝の光の中でジャコメッティーの『見る人』を読む。“太陽の光でないもうひとつの光、つまり人間の内部にある光、もしくは岩石の中にある光、樹木の中に潜んでいる光”という言葉に出合う。何かこの撮影への暗示のようでもあり嬉しくなる……」。確かにマグライトの写真は素晴らしい。
私は、藤井 保は風景しか撮っていないと思う。そこにある「もの」を撮ることが目的であっても、風景しか撮っていないと思う。(AXIS 108号 2004年1・2月より)
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