スプリンターバイクと聞いて、読者の皆さんは、どんな自転車を想像するだろうか?
スプリンターは短距離走者を意味するので、最新の素材とテクノロジーを駆使してつくられたロードやレーサータイプの製品を思い浮かべるのが順当なところかもしれない。速度記録に挑戦するためにつくられたと言われれば、なおさらそういう自転車だと思われるだろう。
しかし、このスプリンターの綴りは”splinter”。「添え木」あるいは「とげ」という意味で、短距離走者の”sprinter”とは、一字違いでも大きな差がある。そして、その名が示すように、この自転車はすべてのパーツが木材でできている。
これまでも、フレームやタイヤを支えるフォークが木製、あるいは竹製というオーガニックな自転車は存在した。だが、ギアやチェーン、ハブなどには金属パーツも使われており、オール木製というわけではなかった。
「スプリンターバイク」をつくったイギリス人のマイケル・トンプソンという人物は工芸家であり、ハブの軸やタイヤに至るまで木材でできた自転車という独自のカテゴリーで世界最高速度記録を打ち立てるべく、牛のようにも見えるレコードブレーカーを完成させたのである。
この実現にあたり、大きなブレークスルーとなったのは、サドル下に位置してデザイン上の特徴にもなっている大径ギアだ。強大な脚力に耐えるチェーンを小さな木製パーツをつなぎ合わせてつくるのは現実的ではないが、可能な限り直径を大きくとってギア比を確保した大径ギアにより、試算では31kgの車体を時速31マイル(時速49.6km)で走らせることが可能という。
ショックを吸収できない木製タイヤのため、記録走行のためには極限まで凹凸のない走路を見つける必要があり、現在は、そのためのコースを物色中で、実際の記録樹立はもう少し先の話になりそうだ。
その成り立ちから、スプリンターバイクは日常的に長期に渡って利用する自転車にはなり得ないが、常識的な素材にとらわれずに機能を満たす構造を考えることが、デザインの可能性を拡げた1つの例と言えるだろう。
大谷和利/テクノロジーライター、東京・原宿にあるセレクトショップ「AssistOn」のアドバイザーであり、自称路上写真家。デザイン、電子機器、自転車、写真に関する執筆のほか、商品企画のコンサルティングも行う。近著は『iPodをつくった男 スティーブ・ジョブズの現場介入型ビジネス』『iPhoneをつくった会社 ケータイ業界を揺るがすアップル社の企業文化』『43のキーワードで読み解く ジョブズ流仕事術:意外とマネできる!ビジネス極意』(以上、アスキー新書)、『Macintosh名機図鑑』『iPhoneカメラ200%活用術』(以上、エイ出版社)、『iPhoneカメラライフ』(BNN新社)など。