『The Unknown Craftsman』
柳 宗悦 著(Kodansha America)
評者 竹原あき子(デザイナー、和光大学教授)
「外から見て気づく日本の美」
海外の図書館で「日本では気がつかなかった日本」に関する書籍と出会う。もちろん現地の言語に翻訳されているものだが。最初に偶然パリで見つけたのは写真でしか知らなかった戦前の日本文化紹介のグラフ雑誌『NIPPON』(4カ国語版)。そのグラフィックデザインのレベルの高さに驚いた。ドイツのウルム造形大学の図書館ではポルトガルで出版された「南蛮屏風」の研究書に魅了され、つい最近パリの図書館で出会ったのが『The Unknown Craftsman』。
「無銘の工芸家」あるいは「無名の工芸家」というタイトルの柳 宗悦の著作。柳との半世紀に及ぶ友情の証として、英国の陶芸家、バーナード・リーチが編集し、陶芸家の浜田庄司が「柳とリーチ」と題した前文を書いている。内容は1927年から52年までの柳が書き残した膨大な量の文章から選ばれた、「日本の美」を中心とするエッセイで構成される11章。それぞれのエッセイは、もちろん『柳宗悦全集』(筑摩書房)など日本語で読める内容であろうが、翻訳書にのみ掲載されているリーチのイントロダクションがことさら興味深い。
柳の生い立ちやふたりの出会いを語りつつ、英国人リーチは明治政府が技術と軍隊をドイツで、船舶と金融を英国で、芸術をフランスで学ばせるために若者を留学させたことを、日本と同じ島国である英国の15世紀と比較しながら、これほどのエネルギーと決意を持ってヨーロッパ文明を学んだ国家は他にない、と断言する。54年にチャールズ・イームズ宅を訪れた浜田は、柳とリーチが同席する場で、柳が命名した「民芸」を育んだ「無銘の工芸家」が、どのように現代に生きるべきかという記者の問いに、「イームズこそ道標になる。なぜなら彼は工業と伝統を同時に手中にしながら、新しいアイデアに満ちた創造を楽しんでいるから」と答え、それにリーチも頷く。さらに、現代の工芸家が伝統的な工芸家と異なる生き方をすべきか、という問いに、柳、リーチ、浜田の3名は、デンマークの家具の制作者を例に、工芸家というより、新たにデザイナーという職人であるべきだろう、という結論に至る。自ら製作技術がある工芸家、つまり手作業(伝統)と機械生産(モダン)との橋渡しをする新たなデザイナーの誕生を願っているのだ。
序章の最後、リーチは柳の葬儀について描写している。「千人を越す人々が民芸館での葬儀に参列した。そこで、すでに90歳になった偉大な禅師、鈴木大拙は、親友であり師でもあった彼の思い出を語りながら、静寂と悲しみの中で、呟いた。『老人が死ぬ、それは当然のこと、だが若者が自らの生を全うせずに去るとは……』と悲しみを隠さなかった」と、いつまでも若々しく、探求心の塊であった柳の人物像を雄弁に描いてみせた。
遠く離れて初めて日本が見えることがある。翻訳書も同様に思いがけないアングルで日本文化の本質を知らせてくれる。ヨーロッパの文明を学び、吸収しながら近代化した日本が、伝統とどのような関係を結んでモダンに至ったのかを「日本の美」をキーワードにしながら解き明かした書である。(AXIS 108号 2004年1・2月より)
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