『Your Private Sky: The Art of Design Science』
R. バックミンスター・フラー 著(ラース・ミュラー・パブリッシャーズ )
評者 韓 亜由美(ステュディオ ハン デザイン主宰)
「今も色褪せない、20世紀の思想家」
「われわれは皆『宇宙船地球号』の乗組員なのだ」。この言葉によって地球の現状と人類の行く末を的確に表現した、20世紀の巨人の名を知らないクリエイターはいないだろう。1960年代に「私たちには、すでに地球上の人類が争うことなく豊かに暮らしていけるだけの、物質的充足を保証し得る技術の蓄積がある」と説いた彼。しかし、一体どれほどの人が彼のヴィジョンや実像を理解したのか?その答えは、テロと戦争で幕を開けた21世紀を見れば明らかだ。
建築家、科学者、技術者、数学者、発明家、哲学者、そのどれを冠しても収まり切らなかった天才。彼の存在自体が、包括的で統合的な宇宙であった。そのスケールゆえに、一般にはその全体像が理解されることなく、時に断片的に矮小化され、一面的な評価を受けてきたのだろう。この本はそんな彼の一生を年代順に追い、壮大かつ広範にわたる活動の軌跡を、写真やスケッチなどの豊富な図版と、彼の言葉を軸に描き出したものだ。フラー入門者にもリピーターにとっても、魅力的な愛蔵版である。ただ、イージーではないので覚悟してほしい。彼の思想の成り立ちと輪郭、その実現のための夥しい実験の記録という密度の濃さから、とても簡単に読みこなせる代物ではない。その代わり、何度も手に取り、行きつ戻りつ、立ち止まり、まるで彼の書斎を訪れ、彼のアイデアのかけらを探索するような親密な楽しみ方ができる。
かく言う私もフラーのメッセージ(のさわり)に出会うまでは、都市を丸ごと空調するシステムの提唱である、ニューヨークのミッド・マンハッタンをすっぽり覆う透明の皮膜ドーム「ドーム・オーバー・マンハッタン・プロジェクト」(1950年)や、エデンの園を到達点とした、モントリオール万博の巨大球体パヴィリオン「ジオデジック・ドーム」(1967年)のイメージから、誇大妄想、あるいはユートピア志向の科学者という認識程度しかなかった。
遅れてきた現実が彼の先見性をひとつひとつ実証して見せたのと同じように、私にとっても、実際にデザインの現場に身を置き、ライフサイクルの長いパブリック・スペースを対象とし、また人の親になったりと人生を重ねるうちに、彼の終始一貫した強い信念と、しなやかな思想に次第に触発されてきた。
私がこの10年間、主にデザインの対象としてきたのはランドスケープ(地平の景)やシースケープ(水辺の景)といった公共的インフラストラクチュアに関わる構造物だった。例えば、近年取り組んでいる計画に第2東名豊田ジャンクションと周辺エリアの景観デザイン・活用化計画がある。それらは個々の単体で完結するものではなく、延びや広がりといった空間的性格を持ち、常にダイナミック——動的な存在である。こういった一般的な建築物のあり方とは対照的な、いわば図ではなく地をデザインするという行為は、環境問題・情報公開・地域との共生・持続的発展性……と、私たちを取り巻く外の世界をまるごと考えるプロセスだった。フラーの言葉を借りれば、果てしなく「包括的で総合的」な作業なのだ。
デザイン・サイエンス革命を目指したフラーにとって、クライアントは宇宙である。「宇宙の要求を感じて行動できるか」「人類はこの惑星上に存続するにふさわしいものかどうか決定される最終審査の段階にいる」。デザインという言葉を歴史的に初めて、「嗜好の問題」ではなく、環境問題やエネルギー危機など地球規模の今日的な課題を前提に使い、政治の欺瞞を暴いたフラー。彼は本質的な意味で「デザイン・フォー・オール」を実践していたのではないか。
「生命圏/バイオ・スフィア」「持続可能性/サスティナビリティ」「再生的」「エコロジー」「量産住宅」は1927年の彼の最初の著書で初めて使用された。実際、ユニットバスやミストシャワー、90年代末に伊東豊雄や難波和彦が取り組んだミニマルなアルミの量産仕様の住宅プロトタイプなどは、彼が半世紀以上前にエコロジカル、かつ合理的なコスト(!)で具現化している。いやはや、フラーを知れば知るほど、デザイナーは打ちのめされることを覚悟しなければならない。(AXIS 105号 2003年7・8月より)
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