深澤直人(デザイナー)書評:池谷裕二、糸井重里 著『海馬 脳は疲れない 』

『海馬 脳は疲れない』
池谷裕二、糸井重里 著(新潮文庫 620円)

評者 深澤直人(デザイナー)

「アイデアはどうやって生成されるのか」

毎年何回かデザインワークショップを開催している。今回紹介する『海馬』はそれらのワークショップを通じて友人となった人たちの強い推薦によって読んだ本である。私は自分のデザインはきわめて感覚的だと思っている。しかし同時にその感覚を分析し論理立てることに強い興味がある。もちろん分析や打ち立てた論理が正しいか否かはそれほど責任を感じることではないし、それは趣味のようなものである。

ものを創り出す仕事に携わっている人たちは、少なからず自己のアイデアを起こす機能がどのように働いているか、どう考え、どう頭を使っているか、というようなことに興味を抱いているのではないかと想像している。この本はその興味にきわめて明解に応えてくれるものである。

「海馬」とは脳の中にある部位のことで、著者の池谷裕二氏は東大でこの「海馬」を研究している若手博士。この本はコピーライターの糸井重里氏との「海馬」を中心とした脳についての話を対話形式でまとめたものである。

この本は4章で構成されている。面白いのは各章の終わりに「章のまとめ」としてその章で交わした会話の内容からキーになる部分を抜き出して説明していることだ。そのキーワードに思わず引き込まれる。幾つか紹介すると、「『もの忘れがひどい』はカン違い/脳の本質は、ものとものとを結びつけること/30歳を過ぎてから頭はよくなる/脳は疲れない/脳は、わからないことがあるとウソをつく/脳に逆らうことが、クリエイティブ/やりはじめないと、やる気は出ない/寝ることで記憶が整理される/失恋や失敗が人をかしこくする/生命の危機が脳をはたらかせる/受け手がコミュニケーションを磨く/センスは学べる/やりすぎてしまった人が天才/予想以上に脳は使い尽くせる/言ってしまったことが未来を決める/他人とつながっている中で出た仮説には、意味がある」などである。

この本を読んでいると、「頭がいい」ということが「お勉強ができる」とか「いろんな難しいことを知っている」とかいう概念の構造で成り立っているのが顕著な国、日本の姿が見えてきたりもする。「頭がいい」とはいったいどんなことなんだろう?「海馬」は記憶を司る部分で、文中には「海馬」に送り込まれる「情報」という言葉が何度も出てくるが、この場合の「情報」という言葉の概念をメディアで配送されているようなものと誤解すると理解が難しい。ここでの「情報」とは身体の感覚によって得られるものを含んでいる。池谷氏は言う。

「脳には意識するしないに関わらず、すごくたくさんの情報が入ってきます。見ているものはたくさんありますよね? 聞こえている音とか座ったイスの感触だとか、ありとあらゆる情報が脳に常に入ってきます。(中略)しかし、その情報のほとんどはそのまま捨てられてしまいます。なぜかというと、情報が整理されないまま、脳が今受けている情報をすべて記憶してしまうとしたら、数分で容量一杯になってしまうからです。(中略)さらされている膨大な情報の中から、海馬は必要な情報だけを選び抜いています。結局、残された情報のほうが少ない。海馬の役割は、情報の『ふるい』です」。

デザイナーやアーティストはその「ふるい」の目の細かさが違うのか、あるいは「ふるい」の目の形が違うのか。確かに人が無意識に捨ててしまうたぐいの情報の記憶が自分にとっては大切な気がする。この本を読んでいると頭のよさの概念が変わってくる。生きるということと頭のよさの関わりが見えてくる。この本を推薦してくれたデザイン好きの皆さんに感謝します。(AXIS 103号 2003年5・6月より)

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