ドイツ西部の街、レムゴーからハーメルンへ向かう国道沿いの小高い丘に、まるで幻想文学から抜け出したかのような家が建っています。1889年から20年以上をかけてこの家のファサードから家具まで、隅から隅までをトータルデザインしたのがカール・ユンカー(1850〜1912)です。この「ユンカーハウス」は家全体が1つの総合芸術作品だと言えます。かつては“幽霊屋敷”や“狂人の奇想建築”など陰口をたたかれ、嘲笑された建築でした。そのユンカーハウスへは裏玄関口から入ります。
家と連結して裏手には小さなミュージアムが2004年に開設されました。レムゴー在住の建築家ラインハルト・シュヴァーケンベルクの設計で、表通りからはその存在が全く視界に入らないよう配慮されています。ガラスのキューブはインフォメーションセンター、窓がなく緑青色を帯びた銅板のキューブが展示室です。
ミュージアムでは、街の広場の噴水のデザイン案をはじめ、実現することのなかった幻想建築のモデルやどんなスタイルにもはまらないユンカーの創作家具、絵画、レリーフの数々を鑑賞できます。家具だけでも約100点が残されています。木彫りのアプリケーションは家具にボコボコと瘤や軟骨が出ているようでもあります。コレクターがいなかったことが幸いして、デニス・ホッパーのコレクションのように遺族が金目当てで売却することもなく、作品群が散り散りにならずにすみました。
ユンカーは誰にも理解されず、評価されずとも、芸術と生活の融合という自らのビジョンをひたすら追い続けた前世紀末の孤高の芸術家でした。彼は街の料理屋で昼ごはんを食べるために家を出るだけで、あとはひたすらこの家で創作に励みました。今では「レムゴーの小ガウディ」や「表現主義建築の先駆者」とも言われますが、当時は狂人扱いでした。
ユンカーはある幼友達にこう呟いたことがあるそうです。「私は新しいスタイルを発見しよう。でもリヒャルト・ワーグナーの音楽のように、私のことはそうすぐには理解してもらえないだろう。それは50年後か、もしかしたら100年後になるかもしれないけれど、きっといつの日か私の存在の価値を認めて貰える日が来るだろう」。その予言どおり、ユンカーの死後1920年代には精神障害者の造形美術というレッテルを貼られ、建築を分析した精神科医が妄想症痴呆との診断まで下すほどでした。国際的にもユンカーが再評価されるようになり、ユンカーハウスや作品の修復が始まったのは20世紀末になってのこと。照明会社のツムトーベル・スタッフ(レムゴー工場で最先端のLED製品を生産)の財団が1998年にユンカーの業績を再検証するシンポジウムを開催したのが大きな契機となりました。
ユンカーは幼くして親兄弟を結核で失って孤児となり、祖父の庇護を受け育ちました。家庭を持つこともなかったのに、ユンカーハウスには夫婦の寝室や子供部屋もあり、南の窓際にはゆりかごまで用意されています。現実には一晩たりとも使われることがなかった部屋。家族愛への憧れが息づく部屋です。自分には生涯叶わない夢と自覚しつつもひたすら彫刻刀や絵筆を動かしていたのでしょう。
ユンカーハウスの木彫洞窟には無数の小枝やトゲのようなエレメントが張り巡らされ、独自のオルガニズムでインテリアそのものが生成しているかのようで、芸術家自身の神経網に入り込むような身体感があります。ユンカーはミュンヘンの芸術アカデミーで絵画を学んだのですが、それ以前は指物師の修業をしていました。家の平面図は正方形(1辺9m46cm)で、1階にアトリエや厨房、2階に居間やサロン、夫婦の寝室、子供部屋が配されました。ユンカー自身は寝泊まりに屋根裏部屋を利用していました。時折訪れる見学希望者には25ペニヒの入場料でユンカー自らガイド役を務めていたそうです。
ユンカーは自分のことを芸術家ではなく「建築画家」と称していました。壁や天井で木彫を施していない面には聖書や古代神話をテーマにした象徴的な絵画で埋まっています。
厠のデザインも感動ものです。
家具や壁の木彫表面はユンカーが考案したシステマチックな塗装プロセスを経て、独特のトーンを獲得しました。まず赤、緑、青、黄土色のいづれかが地色として塗られ、ワニスの中間膜の上に光沢のある金属パウダーが塗られました。青の地色には銀色のアルミニウムパウダー、赤の地色には銅パウダー、緑と黄土色の上には金色の真鍮パウダーというコンビネーション。しかし、メタルパウダーの効果で空間がキラキラし過ぎないよう、さらにフィニッシュとして緑、グレー、黒といった色を微妙に重ねていました。オリジナルの状態ではアンティークの錦織の帯の輝きを放っていたかもしれません。木造で火災の危険もあり、無理なのはわかっていますが、一度日没後に蝋燭の炎の光だけでユンカーハウスを体験できればと思います。(文・写真/小町英恵)
この連載コラム「クリエイティブ・ドイチュラント」では、ハノーファー在住の文化ジャーナリスト&フォトグラファー、小町英恵さんに分野を限らずデザイン、建築、工芸、アートなど、さまざまな話題を提供いただきます。