和田精二(湘南工科大学教授)書評:
塩野七生 著『海の都の物語——ヴェネツィア共和国の一千年』

『海の都の物語——ヴェネツィア共和国の一千年』
塩野七生 著(新潮文庫 1〜6巻 各420円)

評者 和田精二(湘南工科大学教授)

「武器は頭の中にある。悩みながら戦うデザイナーへの示唆」

ビジネス戦争という言葉で比喩されるように、経済の世界における競争は、本質的に戦争と同じ範疇の営みと解釈される。そのため、「勝つシステムが良いシステムである」という論理が貫徹することになる。その世界にデザインも構造的に組み込まれているため、同じ文脈で貫徹させなければうまく機能していかない。ところが、「デザイナーはユーザーの視点から人間本位の製品づくりに努める」という使命もあり、両者の共存が必要となってくる。例えて言えば、片手に聖典、片手に剣という中世の騎士のようなものである。長期間、企業内のデザイン組織で仕事をしてきて感じることは、デザインの分野もこうした二面性がなかなか強い職業だということである。デザイナーはそうした状況に陥るたびに悩んだり、建前と本音を使い分けたり、曖昧に矛盾を先送りしたりすることが多いが、そうせざるを得ないのも事実であろう。デザイナーの武器はデザイナーの頭の中にある。そんな悩みながら戦うデザイナーのこれからを考えている。

そうした視点から、こよなく示唆に富んでいる物語として思い浮かぶのが、1,000年にわたるヴェネツィア興亡の歴史を扱った本書である。本書の面白さは、人口も土地面積も極めて少ないヴェネツィアが、土地が資産だった封建制度の時代に、資産は頭脳にあると思った人間だけが集まり、興隆を極めていった史実に、企業内でマイナーな存在であるデザインの組織をオーバーラップさせていけることにある。小さいながらも安定した地盤を築き、2世紀にわたる黄金時代の後、さらに2世紀の間それを維持しながら衰えの速度を弱め、その間に魅力的な文化をつくり上げたことは偉大である。ヴェネツィアの強さは国全体が一丸となり得る人口の少なさと国土の狭さという制限によるところが大きい。とすれば多くの教訓が本書から引き出せると考えられるが、この著者は歴史を語っても、今日への教訓は明示的に語らないことを原則としているため、読者自らが本書より教訓を引き出すことになる。

この大河物語は上巻でヴェネツィアの興隆の歴史を、下巻で衰退下降の歴史を扱っている。日本のデザイナーはこれから低価格で高品質の中国製品と市場で激しい競争をしていくことになる。そうした時代のデザインの最大の課題は付加価値の高い製品づくりをすること、すなわちデザイナーひとりあたりの生産性を上げることにある。中世ルネッサンス時代のヴェネツィア(人口10万〜20万)のひとりあたりの生産性は極めて高く、人口1,600 万のオスマントルコと国家歳入でほぼ同額という凄さであった。この個人あたりの生産性の高さは、自給できるものは魚と塩しかない小国の知恵と意志の結晶と言える。

ヴェネツィアから近代ヨーロッパの人々が学んだことは、政治や経済の原型ともいうべきものだけでなく、ヨーロッパ初の銀行の創業、聖地巡礼に着眼した国ぐるみの観光事業、ヨーロッパ随一の出版件数、近代的地図・海図の販売、ヨーロッパ初の特許制度の確立、同じくヨーロッパ初の公衆劇場の設置等々さまざまな分野にわたっている。優れた情報収集によって先端技術を取り入れながら、ハード、ソフトの両事業をマキャベリも指摘したように現実主義的性向で起こしていった。平時だけでなく有事の際もヴェネツィアの知恵と意志と勇気はいかんなく発揮された。16世紀にオスマントルコと戦ったレパントの海戦で勝利したものの、失ったものも大きく、やがて穏やかな下降線をたどった後、領土型のヨーロッパ近代国家に歴史の主導権を渡すことになった。

注目したいのは当時の海戦はガレー船と称された櫂をあやつる漕ぎ手によって進む船を駆使した接近戦であったが、奴隷に漕がせたイスラム諸国と違い、ヴェネツィアは国民自らが漕ぎ手を務めるとともに戦闘員にもなったことである。このあたりにも国家として一丸となることのできたヴェネツィアの強さの理由がうかがえる。ヴェネツィアの滅亡は地中海型国家から大西洋型国家への時代の流れの中で、盛者必衰の運命を感じさせる。1,000年という長大な時間を生きたヴェネツィアから多くの教訓を引き出すことのできる本書は、どっぷりと塩野ワールドに取りつかれることになった最初の本として、極めて思い出が深いのである。(AXIS 96号/2002年3・4月より)

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