フォルクスワーゲンのテーマパーク & 自動車デリバリーセンター「アウトシュタット(自動車の街)」がオープン10周年を迎えました。入場者数も当初の期待を遥かに上回り、すでに2,000万人を突破するというサクセスストーリー。5月最後の週末に満10歳の誕生日を祝うスペシャルプログラムが組まれ、2日間にわたって世界各国から集まった300人の芸人やミュージシャン、クリエイターたちが25ヘクタールのパークを舞台にパフォーマンスを繰り広げました。
深夜にはフランスのクリエイター集団、プラスティシエン・ヴォランが子供の夢から生まれたような空想の動物や魚、惑星をフワフワと浮遊させ、観衆を幻想の世界へ誘いました。
運河の岸ではフランスのアーティスト、ミシェル・モリアが“炎のオルガン” スカルプチャーで真夜中のサウンドパフォーマンス。
今では自動車ブランドの観光アトラクション施設はあって当たり前の感覚ですが、振り返ってみると、フォルクスワーゲンのイメージはエンターテインメントとはあまりにもかけ離れていました。当初はアウトシュタットがこれほど世代も階層も問わず人々を惹き付けると予測した人はあまりいなかったはず。もともとこの敷地はミッテルランド運河に面したフォルクスワーゲン工場の港に属す貯炭場で、黒い石炭の山に覆われていたのです。アウトシュタット建設構想は1995年にまで遡ります。本工場の古い発電所を背景に広がるうら寂しいインダストリー休閑地を目の前に、ピエヒ会長が「新車を受け取りにくるカスタマーにとって忘れられない体験を提供する施設をつくれないものか……」とアイデアを巡らしたことに端を発します。
アウトシュタットCEOのオットー・フェルディナンド・ヴァックス氏(上の写真左)とクリエイティブディレクターのマリア・シュナイダー氏(同中央)の尽力なしに、アウトシュタットのビジョンは実現しなかったでしょう。“モビリティ”という概念を核にしてカスタマーとコミュニケーションする。「主役はカスタマーとその体験であり、プロダクトは総合演出の中に組み込まれるいわば脇役」というコンセプトは、社内で皆から歓迎されたわけではありませんでした。アウトシュタットの今はこのふたりが精魂込めて育て上げたのです。(上の写真右は後述する文化フェスティバルの芸術監督、ベルント・カウフマン氏。)
ビジターの約40%はライバルブランドのカスタマーだそうで、フォルクスワーゲン車に対する直接的な興味の有無に関わらず、集客力の基盤となっているのがアート、デザイン、コンテンポラリーダンスといったクリエイションの力。その時々に応じて、トップアーティストや、注目の建築家、デザイナーとのコラボレーションで施設内の展示だけでなく、飲食施設までもがリニューアルされていきます。
2003年に実験的にスタートした国際ダンスフェスティバル「モヴィメントス」も大きな反響を得て年々規模が拡大。ダンスだけでなくクラシック、ジャズ、ポップ、文学、シアターのプログラムが加わり1カ月以上に渡る総合的な文化フェスティバル「モヴィメントス祝祭週間」へと成長しました。今やヨーロッパの5月の文化カレンダーになくてはならない存在。今年は「勇気と謙虚」がメインテーマで、このフェスティバルの期間だけ煉瓦造りの巨大な火力発電所がスペクタクルな祝祭劇場に変身します。
発電所の中は1941年の建設から操業停止になるまでの半世紀の間動いていたオリジナルの機械装置が今もそのまま残っています。まるで映画「メトロポリス」のセットに入っていくかのようです。ライティングはコンピュータプログラムで色調が変化します。
アフターショーにはニーダーザクセン州の田舎にいるのを忘れてしまうヒップなラウンジ&バーでダンサーやコレオグラファーを囲んでのパーティーです。私の住むハノーファーにはなかなか来ることがない国際的なダンスカンパニーが招待されるので、私もこのシアターに何度も足を運びました。
ポップコンサートも見逃せないのですが、特にこの発電所でドイツのテクノポップの元祖、クラフトワーク(Kraftwerk=発電所)が行ったライブは伝説になっています。
アウトシュタットではオープンから10年の間に、建築物やランドスケープを利用し、自動車・モビリティといったテーマを掘り下げ、独特のアートワークを実現してきました。ランボルギーニとアウディのパビリオンを結び運河に架かる橋はオラファー・エリアソンの空間スカルプチャー「香りのトンネル」です。季節によって花は変わりますが、これは日本でニオイアラセイトウ(匂紫羅欄花)とかウォールフラワーと呼ばれる花。本来は自然界で虫を誘うための香りですが、ゆっくりと回転するトンネルは人間も魔法にかかってしまいそうなインテンシブな香りに満たされていました。
元ベントレーのパビリオンが2008年に「プレミアム・クラブハウス」としてリニューアルされました。ベルリンのアーティスト、オラフ・ニコライはスーパースポーツカー、ブガッティ・ヴェイロン16.4.の車体表面をミラー仕上げにし、ダイナミックな鏡張りの楕円空間にインスタレーションしました。見学者の姿も車体に歪んで映り込み、この世界に1台しかないヴェイロンの一部と化します。
ベルリンのアーティスト、アンセルム・レイレのライトオブジェは蛍光管を使い、空間に光の絵の具でドローイングしたかのようです。
カーテンウォールはケルンのメディア芸術大学で教鞭をとるアーティスト、ペーター・ツィンマーマンの作品。アンセルム・レイレの蛍光管のインスタレーションをもとにデジタルなパターンをつくり出し、ケルンの工房で手織りで33mのテキスタイル絵画を制作したものだそうです。
自動車ミュージアム「ツァイトハウス」のガラスのファサードには、ネジや点火プラグといった自動車パーツの切り絵を組み合わせ、ギリシャ神話の半人半馬のケンタウルス族の賢者ケイロンの姿が形づくられています。これは、ドイツの画家・舞台美術家ヘンリク・シュラートの作品です。
ミュージアムの中では、3次元の影絵のように動く繊細なモビール・インスタレーションに目を奪われます。よく見るとこれもすべててのエレメントは自動車パーツのシルエットになっています。
自動車ミュージアムの「ツァイトハウス(タイムハウス)」はオーストリアのアーティスト、ペーター・コーグラー(AXIS 110号「アングル」で空間インスタレーションを紹介)とのコラボレーションで全く新しいスタイルのエキシビションになりました。チューブから出した黒と白の絵の具をぐじゅぐじゅに混ぜたようなオーガニックなパターンが壁面を覆い、空間のところどころにパーティション機能も果たす無定形のスカルプチャーが配されています。
ダイナミックに流れる線や面は、磨き上げられた車体の光反射に着目してコンピュータで加工・修正を施していきました。デジタル印刷で壁画ではありません。
いったい何が壁に貼られているのか調べてみると、ネッシェンというドイツメーカーの特殊なテキスタイルだそう。モンタージュ作業だけで3カ月かかり、作業後には、どんな微細なミスもないよう、2000平方メートルにおよぶ面をすべてルーペでチェックしたそうです。
「レベルグリーン」はアウトシュタットで最新のプロジェクト。環境、社会、経済の3つの異なる側面から“サスティナビリティ”について、子供も大人も楽しみながら考える体験型エキシビションです。当然ながらカーボンニュートラルなマテリアル、あるいはリサイクルされたマテリアルが使われています。
ベルリンの建築事務所「J. マイヤー H.アークテクテン」がエキシビションの空間デザインを、インタラクティブな展示内容はベルリンのニューメディア・クリエイター集団「アート+コム」が担当しました。ドイツでお馴染みのグリーンの矢印が循環するリサイクマークがデザインの起点になっています。
空間に植物が根を張り巡らすかのように、グリーンの帯が複雑に入り組んでいます。
「グリーンレベル」の下の階にはニューヨークのハニ・ラシッドとリズ・アン・クーチュールのユニット「アシンプトート」がデザインしたエキシビションコーナーがあります。
車体の成形プロセスや風洞実験からインスパイアされたという、メタリックかつ空間にうねるように介入するエレメントに好奇心をそそられます。
ところで、ドイツで初めて本格的な日本の手打ち蕎麦や手打ちうどんを提供するジャパニーズヌードルレストラン「庵アン」が2006年にアウトシュタットにできたときも、ベルリンならまだしも、ヴォルフスブルクで蕎麦屋ですから誰もが驚きました。今はもう帰国されていますが、蕎麦マイスターとして招聘されたのが経済学者の小黒正夫教授。旭川大学を定年退職されてアウトシュタットへ。当初は純和風のレストランを想像していたそうで、このポップな店内にはびっくりしたようです。店舗デザインはチューリッヒの「ホソヤ・シェーファーアーキテクト」。
アクリスガラスのセルにプリントされたグラフィックワークは複数の日本の若手アーティストに声をかけてプロジェクトに参加してもらったもの。テラスではコンスタンティン・グルチッチのチェアワンに座ってラーメンをズズーッといただけます。
(文・写真/小町英恵)
この連載コラム「クリエイティブ・ドイチュラント」では、ハノーファー在住の文化ジャーナリスト&フォトグラファー、小町英恵さんに分野を限らずデザイン、建築、工芸、アートなど、さまざまな話題を提供いただきます。