深澤直人(デザイナー)書評:
佐々木正人 著『知覚はおわらない—アフォーダンスへの招待』

『知覚はおわらない—アフォーダンスへの招待』
佐々木正人 著(青土社 2,520円)

評者 深澤直人(デザイナー)

「知っているのに気づいていないこと」

なぜアーティストやデザイナーはアフォーダンスに興味を持つのだろう。それは、環境が人に提供する価値や意味を、彼らが体感によって自覚し、誰よりも強く認識しているからに違いない。その「提供されるもの」がアフォーダンスである。きっと、この本の著者で生態心理学者の佐々木正人氏にとっては、環境に埋め込まれた価値と、それを見出した人間との関係から生まれる行為を、さまざまな実験によって探り出すことそのものがアートに匹敵する喜びなのだ。膝から下を事故で失った人がプールで泳ぐと、最初はバタ足をしようとして、やがて全身が魚のように動きはじめる話や、目を閉じてコップに注がれる水がいっぱいになるのを音の変化によって知ることの事例は、身体が環境と一体化する瞬間の驚きと共感を与えてくれる。それはまさに芸術やデザインの感動に合致する。

第2章の「光に触れる意識 ジェームズ・タレルに聞く」でタレル氏は佐々木氏の質問に対し、「私が知覚を考察するアーティストであることは確かです。なぜなら、この知覚というのは自分たちが気づいてない不思議な贈り物だからです。あなたが話してくれた何人かの人たちのように、知覚に障害をもたない限り、自分たちが何を手にしているのか気づかないのですから、私は崇高な歓喜、知覚することの味わい深い喜びに興味があるのです」と言っている。私はこの「知っているのに気づいていないこと」に気づくことの喜びがデザインの価値であると思っている。

第3章の「マイクロスリップと演技 平田オリザとの対話」で佐々木氏は平田氏の「佐々木さんにとってのアフォーダンスとは、ひとことで言うと何ですか」という質問に対し、「謎ですね」と答えているのが面白い。また、別の質問に「アフォーダンスの話というのは、ある程度『見る目』がないといけませんが、人間がやっていることならば何でもおもしろいはずなんです」とも言っている。

私は過去に何回か佐々木氏と対談する機会をいただいたが、氏は私の、アフォーダンスを感動的に感情で受け止める姿勢に対しては常にクールであったように思う。情緒や哲学や宗教的なものとアフォーダンスの混同も避けておられた。あくまでも環境に備わる「価値」や「意味」は観察者の演繹なしに、直接知覚され、意味は心という孤立した領域にあるわけではなく、環境にあるということを教えていただいた。環境と人間は常に等価であるという認識によって知覚が無限になることを知った。「知覚はおわらない」ことを知った。

最近、毎朝の満員電車の中で、男女を問わずこれほど多くの他人同士の身体の凹凸が隙間なく接触する経験が他にあるだろうかと思う。なぜ、このような状況で秩序と均衡が保たれているのだろうと思うと可笑しくなる。他人と自分の境界線を健全に保持するために、触れ合う力の度合いを列車と人の全体の自然な動きに委ねないと、とんでもない誤解を生むことになる。人は接触した身体同士の動きのどこまでが、自分の意思の現われない限界か、その微妙な点を知っている。これこそ自己の身体を環境化することに他ならない。こんな毎日の体験の中でアフォーダンスのことを考える。環境は無限の価値を内包している。したがって、その価値を知覚できる限りデザインや芸術の限界はあり得ない。この本に巡り会い、著者の言う「自分の考えを超えること」のリアルな世界をぜひ体験していただきたい。

それにしても「知覚はおわらない」というこの本のタイトルを、私は感動と共に「かっこいい」と情緒的に受け止めてしまう。(AXIS 95号/2002年1・2月より)

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