AXISの特集「ブレークスルー・イン・プロダクトデザイン」の取材でヘルマン・ヴァイツァネッガーのアトリエをベルリン・クロイツベルク地区に訪問した帰り、コレクターの間で話題のコンテンポラリーデザインギャラリー「ヘルムリンダークネヒト」(HLEMRINDERKNECHT)に立寄りました。アートギャラリーが集まるベルリンのミッテ地区リーニエン通りに、昨年9月マルティ・ギシェの個展「椅子と花火」でオープンしました。アートとデザインの境界線を綱渡りするクリエイション、コンセプチュアルなコンテンポラリーデザインを発信しています。
訪れたときはギャラリー内に静謐な空気が流れ、チューリヒを拠点に活動するデザイナー、フレデリック・ディデレイによる心の奥に語りかけてくるような「メメント・モリ」展が開かれていました。メメント・モリは「死を想え」と訳され、人間とは死すべきものということを忘れざるべし、と思い起こさせてくれる言葉です。
ディデレイは「快楽主義とは無縁の本質的なことに取り組みたかった」と、死、無常、追憶といった今までデザイナーが積極的に関与することがなかった禁断のテーマを掲げました。「生前は生活空間や身に着けるものなどに対して常に美を求めていた人間が、息絶えた瞬間から美とはかけ離れたものに納められてしまう」ことに疑問を投げかけます。装飾の豪華さでなく美しさが鎮魂歌に代わるようなデザイン。私も先日ドイツに来て初めて身内の葬儀を経験し、その際に「これから選んで下さい」と葬儀屋から手渡されたカタログにある骨壺や棺のデザインの悪趣味さにぞっとして、こんなものに入れられないように自分のときは北海かバルト海への海葬にしてもらう手配を進めていたばかりでした。ので、実は内心「待ってました!」と叫びたくなったのでした。
展示用の台は白い棺にも感じられます。その中央に開かれた状態と閉じられた状態で置かれていたのが、それは美しい幾何学的なフォルムの骨壺です。限定8ピース。宝石をカットしたような胡桃材の多面体の容器。遺灰を入れるための卵形の手吹きガラスのボールが中に収まっています。ただしドイツでは遺灰を家で保管することは許可されていないので、この骨壺を家に置きたいなら亡くなった人の形見を入れることになるでしょうか。実際にこの骨壺を自分の最期のために購入した方は自分が生きている間はガラスの遺灰入れを花瓶にして使うつもりだそうです。
「ガラスソープバブル」(上の写真)は、危なげにバランスをとる吹きガラスのシャボン玉オブジェで、33ピースの限定製作。バロック時代に多く描かれ、避けられぬ死や快楽の空しさを寓意したヴァニタス静物画に、人生のはかなさを隠喩してフワフワと浮かぶシャボン玉が描かれているのに着目してデザイン。直径が10〜15cm。ピンク、グレー、ブルー、無色とガラスの色合いを選べます。生命の始まりに生きる滋養を与えてくれる母の乳房も連想させます。
カットされ研磨されたこのガラスの追憶オブジェクト。外側は黒のガラス、内側の透明なガラス球体はガラスが冷却されるプロセスで生成された気泡と故人を偲ばせる断片として本物の遺骨や遺灰の一部が入っています。この「Reliquiar(遺物匣)」は売り物ではなくコンセプトとして展示され、希望があれば個々にカスタムメードとなります。
ヘルムリンダークネヒトというギャラリーの名前ですが、兜やヘルメットを意味する「ヘルム」と牛の世話をする従僕とでもいう意味合いの「リンダークネヒト」という、ギャラリストふたりの名字を組み合わせたもの。かなり過激に響いてくる名前なので、いったいどんなスタイルのギャラリストかと思っていたら、予想に反して、落ち着いた優しい雰囲気のペトラ・ヘルムさん(上の写真右)とマルティン・リンダークネヒトさん(同左)が現れました。後ろの壁に掛かるのは小さな「ヴァニタス・ミラー」で、抽象的な頭蓋骨のパターンが鏡にサンドブラストされています。鏡をのぞくと自分の顔と頭蓋骨がオーバーラップします。
現在は6月までベルリンのデュオ「オスコ+ダイヒマン」の初個展「機能的な損傷ーースチールパイプ家具のファミリーにおける故意のねじれ、凹み、曲げの美」が開かれていますが、これについては次週レポートします。(文・写真/小町英恵)
この連載コラム「クリエイティブ・ドイチュラント」では、ハノーファー在住の文化ジャーナリスト&フォトグラファー、小町英恵さんに分野を限らずデザイン、建築、工芸、アートなど、さまざまな話題を提供いただきます。