ドイツからのこの連載コラムをスタートさせるにあたって、何事も最初が肝心と構えすぎてか、なかなか第1回のテーマが決まりませんでした。そこで、コンピュータの前でうなっているよりは、ビールでも飲んで景気つけよう、と近所のスーパーに出かけました。ドイツでは、ビールはコーラやミネラルウォーターと並んで清涼飲料水売り場にあります。スーパーに行くと、入ってすぐの棚に“新入荷”のサインが。あっ、これだ!! 去年から噂には聞いていたものの、やっと私の住むハノーファーにもポルシェデザインが開発した「フェルティンス」(Veltins)のビールケースがお目見えしました。
フェルティンスビールは、実は今まで一度も買う気にも飲む気にならなかったのです。しかし、経済不況で予算を削減する企業が大半のなか、「だからこそ、今敢えて」と巨額な投資で新たに開発し、ドイツビール業界をあっと言わせたのが、このビールケースとこれまた新登場のボトル。今回はそれらのデザインに惹かれて買ってしまいました。ケースを持ち上げると、指と腕の筋肉に伝わる感触が心地いい。
という次第でビール王国ドイツより、まずはビールケースの話から始めたいと思います。
185年の伝統を持つブリュワリーの名は「C.&A.フェルティンス」(C.&A.Veltins)。経営は代々フェルティン家に受け継がれて今は5代目。サッカーファンにはブンデスリーガの強豪「FCシャルケ04」のメインスポンサーとして、またその本拠地ゲルゼンキルヒェンのスタジアム「フェルティンス・アリーナ」の名前が知られているでしょう。ノルトライン=ヴェストファーレン州ザウアーラント地方の豊かな自然の中に最先端の設備を誇る醸造工場があります。周辺の山々から湧き出る清水がひじょうに軟らかいこともビールのクオリティーに大きく影響しています。本社工場のあるグレーフェンシュタインは人口1,000人ほど、フェルティンスの従業員が570人ということですから、まさにビールの町です。
さて、2009年4月に導入されたビールケースですが、フェルティンスの歴史を振り返っても、1つのプロダクトの開発にこれほどの投資(3,550万ユーロ)をしたことはありませんでした。ブランドの個性を明確に視覚化し、他とは違う機能美でアピールするビールケースのデザインが求められたのです。開発に2年が費やされ、シェラー・アルカ・システム社(Schoeller Arca Systems)で昨年末までに約400万箱が生産されました。「3コンポーネント射出成形」という新テクノロジーを採用。本体はリサイクル可能で傷が付きにくく、ぶつけても丈夫なポリエチレン製。ブランド名や必要な情報は立体的なレリーフ構造になりました。従来のビールケースではロゴはインモールドラベルの成形でしたが、緑色を吹き付けた下部がリブのある表面構造だったので、インモールドではロゴを加えるのは不可能だったのです。
お店に積み重なっている他の角ばったビールケースと比べても、角のアールの半径がとても大きく、グリップ部分の開きも広くなってエレガント。シンボルカラーの深緑とアルミニウムシルバーの2色使いも今までのビールケースにはなかったものです。瓶を入れて持ち上げたときにずしっとくる手の感触もキーポイントですが、グリップは最終工程で吹き付けされる表面処理で滑りがなく、握り具合も文句なし。
もちろんケースは再使用可能。だから、返却するときに戻ってきますが、まずは保証金を払います。ドイツではビール瓶代が8セントにケース代が1ユーロ50セント、つまり20本入り1ケースを買うと計3ユーロ10セントがビール代に加算されます。ケースは非売品なので、それだけを購入することはできません。キッチンの隅に置いても様になるので、返却しなければこんなに安いポルシェデザインのプロダクトってどこにもないですよね。
2009年の夏、新しいケース導入の宣伝広告では、3カ月に渡ってエッセン、ヴッパータール、レクリングハウゼン、デュッセルドルフの街中で楽しいサプライズを走らせました。連節バス計12台のおしりの部分を巨大なビールケースのフィルムでラッピング。ビールケースが街を走り回りました。さらにヴッパータールでは街の名物であるモノレールをラッピングし、道行く人々の注目を集めました。
次回はフェルティンスの新しいビール瓶についてお伝えします。(文/小町英恵)
この連載コラム「クリエイティブ・ドイチュラント」では、ハノーファー在住の文化ジャーナリスト&フォトグラファー、小町英恵さんに分野を限らずデザイン、建築、工芸、アートなど、さまざまな話題を提供いただきます。