『複雑な世界、単純な法則』
マーク・ブキャナン 著/阪本芳久 訳 (草思社 2,310円)
評者 田川欣哉(デザインエンジニア)
「全体を1つのネットワーク構造として眺めてみれば」
今年の夏、「風鈴」という涼しげな響きの展示を、建築家の伊東豊雄さんと一緒に手がけた。最初のミーティングで伊東さんは、自らの建築に対する姿勢をこう語った。「建築は川の流れに杭を差すような行為。しかし私は、杭そのものよりも、その杭の後ろに生じる渦のほうにこそ興味を感じる」。この話をきっかけに私たちは会話のなかに引き込まれていった。電柱を巧みにかわして飛ぶ鳥の群れ、同期して明滅するホタルの大群、樹木の幹と枝が成すフラクタルな関係。それらに共通するのは、一見複雑な現象が、実はごく単純な法則から生み出されているということだ。個からなる全体、近傍との関係性。複雑で美しい数々の現象。そして「風鈴」というコンセプトが生まれた。
暗闇のなかで淡く明滅する数百個のガラス製の「風鈴」。ホタルを彷彿とさせる1つ1つの風鈴は、人の気配を察知すると、ほのかに光りそして涼しげに音を鳴らす。隣り合う風鈴たちは互いにメッシュ状にネットワークされていて、「人が来たよ」と近くの風鈴にメッセージを伝えていく。そのメッセージを聞いた風鈴たちは、自らも発光しながら、さらにその隣の風鈴に「どうやら隣に人がいるらしいよ」と伝えていく。1つ1つの振る舞いは単純なのだが、風鈴たちを少し離れた場所から眺めてみると、そこには多数の光と音が織りなす、複雑で美しい模様の伝搬が見て取れる。そういうコンセプトであった。
今回紹介する『複雑な世界、単純な法則』は、この作品の下敷きにもなった本である。「知り合いをたどっていくと、6人目までで世界中の誰とでも繋がってしまう」という話を聞いたことがあるだろうか。このような現象を現代の科学者たちは「スモールワールド現象」と呼び、研究対象として取り組んでいる。本書の前半では、この現象の法則性が、それを発見した科学者たちの活躍とともに描かれている。
例えば、人間関係のなかにも、近い知り合いと遠い知り合いというものがある。世界を狭くしているのは、どうやら、この遠い知り合いの効用であるらしい。近い知り合いでクラスター化されたグループが、遠い知り合いを介して、別のグループへとブリッジされる。この結果、世界は一気に「狭く」なってしまうのだ。強い繋がりよりも、弱い繋がりのほうが重要だという主張は面白く、これを科学者たちは「弱い絆の強さ」と絶妙に言い回している。
これだけでも充分に楽しめる内容なのだが、さらに後半部分で興味を引くのは、例えば、コオロギの合唱、神経系の働き、空港の混雑なども、同様の現象として解釈できるという点だ。1つ1つの構成要素に着目するのではなく、全体を1つのネットワーク構造として眺めてみることで、そこにシンプルな法則性が浮かび上がってくるのだ。
著者のマーク・ブキャナンは科学論文集「ネイチャー」の元編集者である。最先端の理論を身近な例を引きながら、一般の読者にもわかりやすく解説している。皆さんも「複雑」の裏側を少しだけ覗いてみませんか?(AXIS 136号/2008年12月より)