『experiences in visual thinking』
ロバート・M・マッキム 著
(PWSパブリッシング・US$ 60.95 )
評者 石井 裕(マサチューセッツ工科大学メディアラボ 副所長・教授)
「視ること、描くことは、考えることと一体である」
視ること、描くことは、考えることと一体である―これが「視考」の基本コンセプトである。
私が初めて「視考」の技術体系に触れたのは、1989年に米国テキサスのオースティンで開催されたヒューマン・インターフェースに関する国際会議 CHI(Computer-Human Interaction)での、ビル・ヴァープランク(当時IDEO)による講演であった。テーマは「グラフィカル・インターフェースデザインのための視考の技術」。ヴァープランクは、グラフィカル・ユーザー・インターフェース(GUI)の元祖となった伝説的コンピュータ、ゼロックス・スター・ワークステーションのインターフェースデザイン・チームに属し、彼のチームは70年代後半に、アイコンやユニバーサル・キー、プロパティ・シート、複合文書処理インターフェースなど、いくつもの革新的アイデアを生み出し、商品化を実現した。そして、その後を追った商品群、アップル・ライザ、アップル・マッキントッシュ、マイクロソフト・ウインドウズへの連鎖的影響を通して、コンピューティングの世界を大きく変えた。その革新的デザインの背景に、「視考」という方法論があることをその講演で知り、ひじょうに大きな刺激を受けた。
その理由は3つ。1つは、私自身、自己流の「視考」技術を、子供の頃の「お絵描き」から始まって、実践的に自分のコンセプトデザインの仕事に活用してきたため、その技術を磨くことに強い関心があったこと。2つ目は、それが単なる「お絵かきの技法」ではなく、「思考の技術」として、体系立ててスタンフォード大学を中心に実践的な研究・教育がなされてきたという事実を知ったこと。3つ目は、私自身、この「視考」を距離を超えてグループで行うためのメディア、チームワーク・ステーションおよびクリア・ボードの研究開発を、当時NTTの研究所で進めていたこと。
講演直後の私の質問に答えて、ヴァープランクがベストの教科書として教えてくれたのが、ロバート・マッキム 著『experiences in visual thinking』である。この本は、スタンフォード大学の授業でも広く使われ、視考のバイブルになっていることを、ヴァープランクから教えられた。結論から言うと、文句なく名著。考えること、表現することに関心のあるデザイナーすべてに、この1冊を心から推薦する。
この本の中で、特に重要と感じたメッセージは以下の通り。視考とは、視ること、考えること、描くことが一体化した創造活動。視考は、ラフで高速なフリーハンド・スケッチであり、パワー・ポイントを使った、フォーマルでかつ時間のかかるグラフィックス・コミュニケーションとは根本的に異なる。内なるアイデアを外化するために、どのような表現メディア(例えば、数式、言語、スケッチ、モデル)を選択するかがひじょうに大切な判断ポイント。なぜならそれぞれの表現メディアは、特有な情報操作のためのオペレーターを内蔵しており、それが思考空間を強く制約するからだ。頭の中にあるアイデアを、高速にスケッチブックにダンプし、それを発展させ、人に伝えるために、視考の技術はひじょうに強力である。特に抽象度の高いコンセプトやそれらの論理的関係を議論するときに、威力を発揮する。高品質なコンセプトをたくさん創出し、それを素早く人に伝えるための技術として、視考は、デザイナーの必須科目だと言える。
と同時に、この視考を十分支援できるデジタル・ツールがいまだ発明されていないことは、ひじょうに遺憾である。依然、フリップチャートとカラーペンを超える、デジタル・ツールには出会ってはいない。いつか、自分で紙を超えるデジタル視考支援メディアを、新しい紙をもとにつくり上げたいというのが、私の長年の夢である。(AXIS94号より)