『急に売れ始めるにはワケがある』
マルコム・グラッドウェル 著/高橋 啓 訳
評者 大澤隆男(日立製作所 デザイン本部 本部長)
「小さな変化が大きな流れを生み出すために」
日本では夫婦と子供ふたりの標準世帯が減り、ひとり暮らしの個世帯が最も多くなり、生活の価値観も多彩になっている。市場では、従来のボリュームゾーンの商品が売れなくなり、こだわりの高額商品や100円ショップなどの低価格商品が売れる一方、ウェブの進化と普及によってロングテールのビジネスモデルが形成され、消費者は自分の好きな商品を検索し、手に入れられるようになった。大きなトレンドは細胞分裂を起こしたかのように見えなくなり、毛細血管のように細くて小さな無数の流れが今日のトレンドになってきた。企業は、ニッチ戦略によって確実な流れをとらえようと懸命だが、それはなかなか見つからない。しかし、何かのきっかけで小さな流れが大きくなって、突然私たちの前に現れることがある。
本書は、『ティッピング・ポイント:いかにして「小さな変化」が「大きな変化」を生み出すか』(飛鳥新社刊)の文庫版である。著者はアイデアや流行、もしくは社会的行動が敷居を越えて一気に流れ出し、野火のように広がる劇的瞬間のことを「ティッピング・ポイント」と名づけた。Tipとは「傾く」という意で、本書はこの小さな変化が、爆発的な感染症のように急激に拡散して大きな結果をもたらすさまざまな事象を概観する。ヒット商品、人気番組、ベストセラーはもとより、アメリカ独立革命の成功、HIVや梅毒の感染、若者の自殺や喫煙の流行、ニューヨークでの犯罪の蔓延と抑制といったような事象を紹介し、一般的な視点とは違った側面からこれらの事象を分析し、感染、伝播の構造をあぶり出す。数多くの関連研究を引用しながら展開する斬新な発想と鋭い洞察は、知的好奇心を刺激する。
著者は、伝染病が、病原菌を運ぶ人、病原菌そのもの、病原菌が作用する環境の3要因の関数で広がるように、自分たちが温めている発想、製品を市場で意図的に感染させることはできないだろうかと考えた。そしてティッピング・ポイントは、まずは媒体者、物事に通じている人、セールスマンなど少数の人たちの口コミによって決定的にもたらされるとともにメッセージ自体に記憶に粘りつくような情報の構成や表現が求められるとし、最後に情報を受け取る人間の行動に変化をもたらす背景や集団の影響に言及する。
現在、グローバルな競争が激化し、製品のコモディティー化が進むなかで、企業は消費者が求めるサービスやその良さを魅力的に伝えるブランドづくりに膨大な努力と予算を費やしている。しかし、ティッピング・ポイントを形成するコツを掴んで、変革の強い信念をもって小さな変化を起こせば、ドミノ倒しのように、より良い方向に動き出すかもしれない。だが、今や企業には媒介者など優れた目利きは少ない。企画・設計・製造・販売などの関連部署がそれぞれの役割に閉じ込もって傍観者意識にとらわれていれば、強力な推進力は損なわれ、大きな成果を生み出すことはできない。本書はプロジェクトを成功に導くビジネス書としても多くの示唆を与えてくれる。 (AXIS 134号/2008年8月より)