「かわいい」論 (ちくま新書)
『「かわいい」論』 四方田犬彦 著(ちくま新書 714円)
評者 佐藤オオキ(nendo代表、デザイナー)
「安易に発してはならない言葉の深さ」
「このデザイン、カワイイですね」とデザイナーに何の気なしに言ってムッとされたことがある。そのときは、あれ? 何か誤解されちゃったかな、という程度であったが、今でもあのときの後味の悪さが残っていたりする。
思い返してみると、ここ最近、建築やデザインを見て「かわいい」と感じることがしばしばある。また、建築家が自作を語る際にこの言葉を用いる機会が増えた気がする。このような主観的な言葉を学生の頃に口にしようものならば教室からつまみ出されていただろう。しかし、そういった「かわいい」デザイン群を俯瞰すると、それらが海外メディアなどから少なからず評価されていることに気づく。そんなこともあり、多分、必要以上にこの言葉に敏感になっている自分がいる。仕舞いには、日本デザインの最終兵器が「かわいい」に内在しているんじゃないか、とさえ思えてくるからオソロシイ……。
というわけで、四方田犬彦著『「かわいい」論』を紹介したい。
本書は、11世紀初頭の枕草子に「うつくしきもの」と形容されて以来、市場規模が2兆円とも言われる文化商品となり、グローバルなイデオロギーにまでなった「かわいい」美学の変遷を比較文化論や心理学的考察によって、これでもかこれでもかと多角的にアプローチしていく。大人になりきれていない「未熟な存在」を否定的に見る西洋文化と比べて、中高生を対象にした市場が形成されている日本の独自性に触れつつ、この言葉の守備範囲の広さと、厳密に該当する外国語がないことを丁寧に実証する。確かに「かわいいおじいさん」という使われ方を挙げられてしまうと「cute」や「pretty」では網羅しきれないというのも頷ける。
さらに本書では、学生を対象としたアンケート調査結果と考察なども緻密に記されているが、そのなかでも興味深かったのは、「かわいい」の反対語は?という問い。これまで類語と思われていた「美しい」がそれであるとし、逆に反対語と考えられていた「醜い」とは隣り合わせであり、互いに牽引し合う関係にあるという。これは「きもかわ」という合成語によって両者の美学的基礎付けができる、らしい。ここまでくると少し置いていかれそうになるが、マーテン・バースやスタジオ・ジョブ、ハイメ・アジョンといった世界の若手デザイナーを見ていると「きもかわいいデザイン」と解釈できなくもない。下手をしたら、今後、クレイ・ファニチャーを見るたびにアンガールズを思い出してしまうかもしれない。
幼少時代の思い出などに象徴される「ノスタルジア」も「かわいい」に密接に関連するとある。これには、すでに誰もが知っていることを気づかせる深澤直人氏の「行為と相即するデザイン」という考えに通ずる部分があるし、また、さまざまなものを抽象化する盆栽や俳句、ウォークマンに代表される日本の「縮み文化」にも言及するが、これらはまさに海外から見た日本の「ミニマリズム」とイコールである。
最後はジェンダー間の比較、さらに世代ごとの両義性に至るわけだが、検証すればするほど、まるで鰻のようにツルリと捉えることが最後までできない。つまり、1つだけ確かなこととして、気安く人様のデザインに「かわいい」などと言ってはいけないのである。(AXIS135号より)