「ビルマのフォトグラファー」展が開催されている
ミャンマー・ヤンゴンのセクレタリアットはこんなところでした。


現在展覧会は国内外問わず数多く行われています。あまりにも多すぎて、面白そうだと思いつつ見過ごしてしまったり、行ってはみたもののその後あまり記憶に残っていないものもままあることです。しかし、ごくたまに展覧会そのものがエポックメーキング的役割を果たすのではないかと思う影響の大きなものに出遭うことがあります。ヤンゴンを旅していてたまたま入った写真展はそうしたもののひとつでした。

▲ここがエントランス。入り口の位置を間違えると炎天下を延々と歩くはめになる。ゲートがあるのは1ヵ所で、テンピュー通りに面している。

セクレタリアット=旧イギリス総督府=暗殺現場

2018年2月18日から3月11日まで開催された「ビルマのフォトグラファー」の展示会場は、The Secretariat(セクレタリアット)。直訳すれば事務局という意味ですが、ここは、植民地時代のイギリス総督府の跡地です。またアウンサンスーチーの父親、アウンサンが6人の閣僚とともに暗殺された現場としても有名です。

ビルマからミャンマーへ、またラングーンからヤンゴンへと名前を変えた行政の中心であったセクレタリアットは、ダウンタウンの大通りマハバンドゥーラ通りの北側、1ブロック全体6.5haという広さ。1800年代後期に巨額の費用をかけて建てられたヴィクトリア様式の歴史的建造物です。建物が竣工したのは1900年頃。それからずっと、独立後も政府の行政機関として使われてきましたが、ミャンマーの首都が2006年にネピドーに移った後は、もぬけの殻になっていました。

▲展示されていた写真の中でも人気が高かった1枚。背景幕は富士山のよう。ヨーロッパの風景とともに日本の風景も人気があったようだ。

▲272ページに及ぶ図版。画像が豊富に収められている。
Photo by Makoto Fujii

インターネットに書かれた数年前の旅行記などを読むと、廃墟となっていて怖いというような記述も見られます。確かに暗殺現場で、天井高く崩れ落ちそうな壁に取り囲まれた空間は、夜、ひとりで行くのは遠慮したいと思わせる雰囲気が漂っています。

▲南国の戸外の強い光とコントラストをなす暗い室内。暗室にいるような気分になり、写真を見る雰囲気が盛り上がる。

街の真ん中に取り残された巨大な建物を、このまま荒れ果てたままにしておくのではなく、ホテルかミュージアムにしようとする計画が起こり、結局ヤンゴン市の恒久的な文化施設へと生まれ変わることが決まりました。この展覧会はその最初のステップでもあります。

旧総督府は、現在修復工事中ということもあって、普段は建物の中には入ることができません。毎年アウンサンが暗殺された6月19日だけ一部が一般公開されているそう。しかし、この写真展の期間中は工事現場の足場をくぐり抜け、たくさんの人がに中に入って行きます。

敷地内には廃材が置かれたまま。窓にガラスはなくトイレも工事現場用の簡易トイレがひとつ置かれているだけ。展覧会を開く場所としてはかなり風変わりです。しかしヤンゴンの空気と光をじかに感じることができる歴史建造物の中での展覧会は、空調が効いた近代建築の室内で、計算されたスポットライトが当たった展示よりもなぜかより深い印象を残します。

▲修復工事中なので、がれきの山がところどころにある。どこで見ることができるのか不安になるが、人の流れについていくと展覧会場にすぐたどり着く。

▲建物1階で、名前と住所を記入する。入場料は無料だった。

▲入口の螺旋階段からすでに写真が展示されていた。ヴィクトリアン建築らしいレースのような装飾に圧倒される。

宝石箱をひっくり返したかのような展示方法

さて、展示を見てみましょう。この展覧会で面白いのは、ミャンマーという国で撮られた写真をテーマを絞り込まずに網羅しているところにあります。プライベートなアマチュア作品から写真スタジオで撮ったプロの作品まで。モティーフも、植民地時代のヨーロッパ人にとって旅情を誘うエキゾチックな美人から、サフラン革命時(2007年反政府デモ)のむごたらしい報道写真、人気俳優のブロマイドとあらゆるジャンルの写真が程よい数量展示されているのです。

▲日曜日の午後だったためか、かなりの数の入場者数。旅行客はもちろんヤンゴン市民の関心も高い。

証明写真から、現代の芸術写真までがランダムに並んでいるので、次に何が展示されているのか予想できず、展示を見る人にとって、宝石箱をひっくり返したような楽しさがあります。また写真というメディアの持つ役割も総合的に捉えることができるのです。

展示の方法もバラエティーに富んでいます。螺旋階段のエントランスを入ってすぐの展示室では、誰かの家の応接間に入りこんだかのように、古いフレームに入れた写真が、人の視線より低く、すぐ触れることができる位置に飾ってあります。またそこには、写真だけでなく100年を超えて立っている壁の存在も展示に大きく寄与しています。

▲リビングルームに飾ってある額絵のように、間近に写真を見ることができる。

回廊部分にはポジスライドやステレオスコープ、古いポストカードなどが並んでいて、それらを見るだけで、写真技術の歴史を辿ることになります。またどういうわけか写真を切り抜いた実物大の人物写真が壁に貼られていて、斬新な展示方法となっています。

▲Photo by Kazuko Nishibayashi

斬新といえばもうひとつ。ビニールシートにプリントした大判の写真を天井から吊るし、床に置いた割れたレンガの重りで押さえるというダイナミックな展示方法もありました。「なんなんだ、これは」と戸惑いましたが、この方法だと、古い写真を大きく引き伸ばしても画像の荒さが気になりません。またいちばん奥にある最後の部屋は、素朴な写真スタジオまで設置されていました。

▲ミャンマーでカラー写真が現像できるようになったのは遅く1988年になってから。それまではフィルムをタイに送っていたため、時間がかかり、高価なものだった。古い写真は、白黒写真に色をつけたものも多い。

▲展覧会内に設置された人気のフォトスタジオ。ポーズをとるのも慣れている。

ミャンマーの人が写真を写すのが好きなのか、それとも写真が好きな人が展覧会に集まっているからでしょうか、スマートフォンで自分たちを撮影する人たちの姿がそこかしこに見られます。

ミャンマーのあつい写真熱

ミャンマーの写真の歴史は150年ほど前から始まります。植民地支配者が最初のカメラを持って入って来たのです。

展覧会の冊子によると、これは自身も写真家である Lucas Birk氏が、ミャンマーの写真の植民地時代とその後の包括的なアーカイブを作ろうと2013年に始めたものです。ドイツの国際文化交流機関ゲーテ・インスティトゥートの出資を受け、各地の古物商やフォトスタジオを回って集めた1890年から1995年までの写真は、現在およそ1万枚。そのほとんどがデジタライズされたアーカイブとなっています。

ウエブサイトは立ち上げたばかりで、コンテンツはこれから充実させるようですが、ミャンマー・フォトアーカイブのURLはこちらです。

▲植民地時代の写真。ヨーロッパの人々へのビルマの異国情緒溢れるアピールとなった。今でも人気が高い。
Photo by Makoto Fujii

この展覧会を見渡すと、ミャンマーならではの特徴というものが見えてきます。ノスタルジックな植民地時代の写真の他、庶民の間で、結婚式や卒業写真などの記念写真も盛んに撮られていたことがよくわかります。

すべての国民に身分証明書をつくることが義務付けられた、60年代の古い証明写真も展示されていました。証明写真だけでなく、学生たちの間で写真を交換することが流行り、人々は地方も含め、写真スタジオによく通ったようです。とりわけヤンゴン大学周辺の写真スタジオは繁盛したといいます。個人のカメラがあまり普及しなかったため、却って写真スタジオの存在が、身近だったのでしょう。

ミャンマーの人たちの写真に対する熱意は、ひじょうに高く、陳列された小さな写真を、長い時間見入る人が多いのもこの展覧会の特徴でした。

▲知り合いでも見つけたのだろうか?とても熱心に長い時間写真を覗き込んでいた。

▲「こんなふうに撮れたよ」とスマートフォンの画面を見せ合うティーンエイジャーたち。
Photo by Kazuko Nishibayashi

写真、それは記憶を記録するもっとも有効なメディアです。槌音が響くヤンゴンの街で、この国では今後どんな写真が撮られるのだろうかと、スマートフォンを繰る若者たちを見て思いをはせました。(文/AXIS 辻村亮子)End

▲展覧会で販売されていた図録。テキストがビルマ語なので何が書いてあるのかわからないのがもどかしい。英語版が追って出版される予定らしい。
Photo by Makoto Fujii

▲Photo by Kazuko Nishibayashi