ドイツ工作連盟のアーカイブが眠るデザイン史ミュージアムの新拠点
モノの博物館

2024年、モノの博物館はそれまで19年間展示されていたクロイツベルクから旧東ベルリン、ミッテ地区に場所を移した。家賃や不動産価格が高騰するなか、賃貸契約の延長ができなかったことがその理由であり、現在のベルリンが抱える問題を象徴するような出来事だった。アール・デコの工場跡の建物内から、ライプチヒ通りに面した博物館は外からも覗くことができるガラス張りの造りになっている。11月に展示がスタートしたアーカイブのキャビネットにはカテゴリー別のプロダクトが並ぶ。

ドイツ工作連盟の歩み

1907年に「芸術と産業、職人技術の協力により工芸の品位を高める」という目的でミュンヘンで設立されたドイツ工作連盟。当時のドイツ貿易省の美術工芸部トップであった建築家、ヘルマン・ムテジウスは、19世紀末のイギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動に感化され、アーティスト、デザイナー、建築家、企業家を集めて連盟を創設した。質の高い製品を作るための協調を目的としたが、1914年に開催されたケルンでの連盟博覧会後、合理性を求めるムテジウスと個性を重んじる連盟の中心メンバー、アンリ·ヴァン·デ·ヴェルデのあいだで意見の相違が生じ、ヴァン·デ·ヴェルデは退会。生産性と機能性を重んじるデザインがより主流となっていく。1933年にナチス政権により連盟は閉鎖されるが、戦後の1950年には活動を再開。旧西ドイツ時代、連盟は企画展をさまざまな都市で行い、アーカイブは幾度の引越しを繰り返しながらも、社会的な観点から独自のデザイン選びを貫いている。東西統一後は旧東ドイツのプロダクトもコレクションに加わった。