美術館はいま。
動くアート:ポンピドゥー・センターの予告。

クリストは記念碑を布に包んでアートと呼んだ。自ら資金を工面して。パリの凱旋門もポンヌフもポリプロピレンの衣をまとい、それまでにない不思議な魅力を発揮して市民をうならせた。ポンピドゥー・センターをLEDの光りで包むのも、クリストの行為を思わせたが、まさかナイキの広告でとは思わなかった。快挙だ。ナイキの支援でポンピドゥー・センターは巨大な無限に変化するアートに変身した。2025年の修理閉館の前に。

広さ13,000㎡、東京ドー厶のグラウンドのおよそ半分の面積5,400㎡のファサードの壁にピンクから淡いブルー、そして紫から黄色にと色の波が形を変えながら押し寄せ、文字が、スポーツ選手の巨大な姿が、円盤が舞い、流れる。偶然通りかかったとしても、だれもが足を止める。それが美術館だったら驚きはなおさらだ。しかも開館した1977年当時の建設反対運動に走り回ったパリ68年学生運動の闘士が目にすると、あまりのことに膝が震えるだろう。

美術館は「ボーブール」という地名で呼ばれてきた。ボーブールはかつてエミール・ゾラがその小説で「パリの胃袋」と呼んだ中央市場(レ・アル)の駐車場だった。レ・アルは、ロンドンで鉄とグラスでできたクリスタル・パレスが完成した1年後、1852年に工事が始まった。当時の建築家ヴィクトール・バルタールはイギリスに対抗して鉄とガラスの構造で、フランスの建築技術の見せ場を造ろうとしたのだ。しかし戦後、大規模な改修が必要になったレ・アルは、その一部をパリ郊外へ移築することで決着する。そしてポンピドゥー・センターの建築コンペが開催された1971年にレ・アルは取り壊された。

美術館建設は1960年代後半にマルロー文化大臣がアメリカからフランスにアートの先端を取り戻そうと計画され、ル・コルビュジエに設計依頼したが、彼の死と、続く68年の学生運動でド・ゴール政権が倒れ,計画は頓挫した。続くジュルジュ・ポンピドゥー首相が、ガラスと鉄でできたこの美術館をつくったが、「配管設備のノートルダム」あるいは「文化工場」と揶揄され、ジャン・ボードリヤールは著書『ボーブール効果』で「文化のハイパーマーケット」と批判さえした。

ジャン・プルーヴェが審査委員長を務めたコンペで選ばれた若き建築家、レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャース設計の館は配管がむき出しとなり不評だったが、館内の空間は展示ごとに壁が移動できる柔軟な空間となり、ファサードは金属の構造パイプと階段状のエスカレーターが,館のシンボルとなってリズムをつくり、登っても下っても眼下にパリの景色が楽しめる絶景スポットになった。

このエスカレーター側のファサード5,400㎡にLEDカーテンをつけ、美術館をアートそのものに変身させた今回の仕掛けは簡単だ。LED電球の進化と平行してその支持体、電動ワイヤーにも透明ができたのだ。透明な電球に透明のシートだから、昼でも夜でも建物のファサードはシートで遮られることがない。しかも日中に青空の下でも楽しめるLEDスクリーンは、電力使用料も設備も夜間だけのプロジェクション・マッピングより経済効率は良い。壁を彫刻で飾った19世紀の宮殿から、20世紀には真っ白な壁やガラスに替ったポンピドゥー・センターは今、21世紀のLEDデジタル装飾を建築に贈る。

ポンピドゥー・センターの広大な面積のLEDシートの輝きは新鮮な驚きだが、実は10年も前からLEDにはさまざまな試みが続いていた。バスの番号,行き先表示、タクシー表示も次々とLEDの点字になっているのだが、それらが目立たなかったのは電球の背景、つまり支持体が黒だったからだろう。とはいえ薬局や眼鏡店、そして百貨店のウインドーなど、人件費節減の手段としてもさまざまな商店でLEDを利用する勢いは止まらない。

また今回のスクリーンはヨーロッパでも最大の面積を誇るというが、それより小規模ではあるものの、この試みの前に、神戸アシックスミュージアムでは、スポーツとそのモードの革新を目ざしたLEDスクリーンの動画は公開されていた。また2021年にはポンピドゥー・センターの横に建つフランス国立音響音楽研究所(IRCAM)のファサードに「Infinite Light Columns」(無限光柱)と名付けたLEDのインスタレーションが出現した。それぞれ9、12、20 、23 メートルの高さでリズミカルに変化を繰り返す4本のLEDの柱が建ったのである。コンスタンティン・ブランクーシの彫刻「無限柱」へのオマージュ、という。
アートやスポーツ、テクノロジーを融合させ、ユニークな視覚体験を提供することが目的だったが、生活を覆い始めたデジタル世界とは何かをも問いかける。

様々な試行錯誤を経て、ヨーロッパ最大のアートであるこのLEDの輝きは、今回Pixelight社の手によりポンピドゥー・センターで極まった。このプロジェクトは、長さ6〜20メートルの LITECOM PRO 15 OUT LED 4基をPixelight社の技術で設置することから始まった。大型の建築や記念碑に設置する透明のスクリーンだが、これにより電気使用料の大きさ、夜間のみの時間制限があるプロジェクションマッピングの不都合を超え、建物そのものがデジタル装置になる変換の時を迎えるだろう。ポンピドゥー・センターのLEDの衣はその予告にすぎない。

ナイキのサービスは他にもあった。ファサードのLEDのカーテンを背景に、「サイクロイド広場」を設置した。スケートボードとそのファッションを楽しむ仕掛けがそれだ。円弧の造形はフランス人アーティースト、ラファエル・ザルカによるものだが、これは宙に舞った選手の体の軌跡を追い求めた結果、生まれた造形だった。もちろんスケートボードだけではない、足の下に車がついている乗り物であれば、好きにサーフを楽しめる遊びの場だ。おそらくオリンピックに参加した選手が首から名札をつけて、すべりを披露するという催しも、かつてのボーブールの賑わいを彷彿とさせた。End