第2回
「SG50」から、その先へ

2015年に開かれたシンガポールの建国50周年を記念する一連の「SG50」イベントは、年末まで実施された「シンガポール・インサイドアウト」展、2016年3月までの「ザ・フューチャー・オブ・アス」展で幕を閉じる。シンガポール観光局主催の「インサイドアウト」展は、各分野のクリエイタ-が、それぞれの文脈で自国を解釈しながら展示、インスタレーションしたもので、北京、ロンドン、ニューヨークを巡回して最後にシンガポールへ凱旋した。後者の「ザ・フューチャー・オブ・アス」展は、各省庁や学術機関が所有するデータや未来予測をベースにしながら、子供も楽しめるマルチメディアの仕掛けを施した親しみやすい展覧会として、希望に満ちたこれからのシンガポールの50年を描き出した。

▲ 来場者で賑わう「フューチャー・オブ・アス」展

文/葛西玲子


世界遺産とナショナルギャラリーの開館

この忙しく特別な1年のなかで、シンガポールにとってとりわけ大きな意義を持ったのは、シンガポール植物園が同国初の世界遺産に選ばれたこと、そして11月末に開館した「ナショナルギャラリー」の存在だ。

国家のターニングポイントを迎えて、ヘリテージを守り、歴史を振り返る気運が高まってきたこの数年。開園から156年が経つ、熱帯の植栽に溢れる美しい植物園が世界遺産に選ばれたことは、国の誇りと国民の大きな自信につながったはずだ。さらに、常に前を向きながら新しさを志向してきたシンガポールにとって、トレンドに流されることなくタイムレスなものに価値を見出す良いきっかけになったと言えるのではないだろうか。

▲ 手入れの行き届いたシンガポール植物園は、長い間市民の憩いの場として愛されている


ナショナルギャラリーは、文字通り“国家の威信をかけた”スケールで、東南アジアにおける近現代のアートの殿堂となっている。これまでのアート、デザイン展のほぼすべてが一過性の“イベント”だったのに対し、綿密にキュレーションされて体系づけられた作品をいつでも観ることのできるギャラリーの誕生は、大きな意味があるに違いない。

▲ 旧最高裁判所とシティ・ホールという威厳のある保存建築物をアトリウムでつないだ、新しいアートの殿堂「ナショナルギャラリー」


2015年も続々と誕生した建築物

前回レポートで世界のスターアーキテクトと地元建築家による建物が林立していることを紹介したが、2015年も次々と新たな建物が誕生した。

12月には総合メディア企業であるメディアコープの新社屋が、先端実験都市「ワン・ノース」に移転。劇場を併設したスペースシップを思わせる躯体は、設計コンペで選ばれた槇 文彦氏によるものだ。長年使われてきた郊外の古びた社屋から最新テクノロジーを擁したメディアハブへ。移転を機に、新たなメディアの発信拠点としてどのような展開を見せるのか期待される。

英国のトマス・ヘザウイック氏がナンヤン工科大学内に設計した「ラーニング・ハブ」は、ニョキニョキとした有機体のような形状が目を引く建物だ。従来の教師と学生という教室のヒエラルキーを否定するところから考えられた空間だという。

▲ 槇 文彦氏の設計による「メディアコープ」新社屋

▲ トマス・ヘザウイック氏が設計したナンヤン工科大学内の「ラーニング・ハブ」


数年遅れでオープンした「スポーツハブ」は、総事業費1,100億円を投じた大型の総合スポーツレジャー施設。設計を手がけたのはアラップである。開閉式ドームの310メートルの屋根は世界最長を誇り、1989年に完成した丹下健三氏設計の「インドア・スタジアム」との調和を図ったという。この施設は設計やオペレーションに懸念が残るようで、今後の運営が気になるところだ。

伊東豊雄氏にとって初めての高層オフィスビル「キャピタグリーン」も、2015年にセントラルビジネス街に登場した。空に伸びていく木をイメージしたというデザインで、ビル頂部の鮮やかな赤いウインドキャッチャーが、無機質になりがちなオフィスビル群の中でひときわ目を引いている。

▲「スポーツハブ」。開閉式のドームを覆う大屋根は、直径310メートルと世界最長 ©Arup

▲ チャイナタウンから臨む、伊東豊雄氏設計のオフィスビル「キャピタグリーン」。写真中央に見える赤い花のような頂部が特徴


1つ目のキーワードは「コレクティブ」

この数年顕著に見られるのが、グループで活動するデザインユニットや、イベントやアクティビティを組織する若手のコレクティブだ。デザインやアート関連の教育機関の増加、「ナショナル・デザイン・センター」の創設やデザインウィークなどを通じて、デザイナーにさまざまな発表の機会が増えたことにより、人々にとってプロダクトデザインという分野が身近なものになっている。シンガポール国立大学(NUS)にインダストリアルデザイン学科が設立されたのが1999年だが、卒業生たちが活動の場を広げていることは見逃せない。

デザイナーのエドウィン・ロウ氏は、まさにこの学科の申し子のひとりと言えるかもしれない。インダストリアルデザイン修士課程の2期生である彼は、デザイングッズを扱うショップ「スーパーママ」を主宰。販売するのはシンガポールのデザインと日本の伝統産業をマッチングさせたテーブルウェアなど、自らプロデュースしたものの数々だ。

情報機器や家電などのデザインに関心を持っていた学生時代の彼は、政府のデザインアドバイザーとして複数回にわたって来星した喜多俊之氏によるNUSでのワークショップに参加。大阪と京都に滞在したことで開眼したという。喜多氏から学んだのは、伝統工芸をいかに現代に受け継いでいくかという視点。やがて海外にビジネスチャンスを求めていた有田焼商社のキハラと出会い、シンガポールの若手デザイナーが同国のモチーフをグラフィック化し、有田で生産するテーブルウェアシリーズ「シンガポール・アイコンズ」を誕生させた。これにはHDB(公団住宅)や5ドル紙幣に描かれるテンブスの樹といった図案が藍色で焼き付けられ、2013年には気の利いたギフトとしてたちまち評判になった。

ロウ本人もデザインはするが、これまでに同国の100人の若手デザイナーを起用し、日本各地のメーカーとともに家具から靴下まで精力的にコラボレーションするプロデュース手腕が高く評価されている。スーパーママが5周年を迎える3月には、家具を販売するフラッグシップストアをオープン、7月にはデザインギャラリーも立ち上げるなど、超多忙な毎日を送っている。

▲ スーパーママのエドウィン・ロウ氏がプロデュースした、シンガポールのアイコンを表現したプレート


4人のメンバーから成るデザインコレクティブ「アウトオブストック」のふたりのシンガポール人も、NUSインダストリアルデザイン学科の卒業生だ。そのふたりとスペイン人、アルゼンチン人が、デザインコンペのために6日間滞在したストックホルムで出会ったことをきっかけにユニットを組んだ。シンガポールの家具メーカーであるスキャンティーク、フォンダリーなどとコラボレーションしたり、日常的な素材を再解釈したプロダクトの数々をデザインフェアで発表して高い評価を得ている。南ドイツの古いガラス工場に滞在して制作したフラワーベース「青の重さ」は、2013年秋の東京でも展示されたポエティックな作品だ。また、昨年のミラノデザインウィークでは通常、自動車やバイクの排気フィルターとして使われるセラミック材を転用した香りのディフューザーを発表した。

郊外の住宅地にある古いテラスハウスを改装して作業場を設けた彼らのスタジオからは、手仕事を楽しむ様子がうかがえる。4人が常に協働作業をしているわけではなく、シンガポールを拠点にバルセロナとブエノスアイレスをスカイプでつなぐという制作態勢が、彼らの柔軟な着眼点とコラボレーションを可能にしていると感じられた。

▲ アウトオブストックがミラノデザインウィークで発表した香りのディフューザー「アウラ・トロピカーレ」


「グリーン」というトレンドの先へ

高温多湿というシンガポールの土壌を考えるとき、外に開かれた屋外エリア、ランドスケープのデザインが重要であることは言うまでもない。昨今の「サスティナビリティ」「グリーン」ブームはシンガポールでも数年前から合言葉のようになっているが、実際の“グリーン度”は測りかねるのが実情だ。

しかし、ヴァーティカル・ランドスケープ(水平方向に対して垂直方向に展開するランドスケープのこと。例えば高層ビルでの緑化など)やエディブル・ランドスケープ(食べられる植物で構成する景観)の実践のほか、Nパークス(国立公園局)による公園をつないで遊歩道を増やす「パークコネクター」の整備、バイク専用レーンの設置などを通じて、人々のグリーンに対する意識は変わりつつある。今後は建物の設計ではなく、外構のデザインが主体になるプロジェクトも増えていくはずだ。

人間が自然を支配するのではなく、デザインを通じて都市のなかに生物多様性をつくり出していくことを提案し、都市の再野生化を命題とするサラダ・ドレッシングを主宰するランドスケープデザイナー、チャン・フアイヤン氏。彼はシンガポールの集合住宅や近隣国のリゾートのトロピカルなランドスケープを数多く手がけているが、最近はアマン東京のロビー階にある室内庭園、カリブ海の島やドバイの別荘など、さまざまな気候風土のもとでのプロジェクトが増えている。また、ジャングルに棲息する生態系の圧倒的な驚異と魅力を都会の人々に体験してもらおうと、昨夏はボルネオ島のジャングルに仮設タワーを組み、樹の上で映画を観るユニークなイベント「ツリートップシネマ」を実施した。時代の先端をいく彼のビジョンにも注目したい。

▲ サラダ・ドレッシングがボルネオ島サバ州のジャングルで主催したイベント「ツリートップシネマ」


「ポップアップ」と「アルティザン」

シンガポールでも、昨今、「ポップアップ」のテンポラリーなショップやカフェが頻繁にお目見えしている。特に、食や小物、アクセサリーなどといったものの手づくり志向が増し、本物を追求する人々も登場している。新聞ではローカルメイドの「アルティザン」食品やプロダクトを紹介する特集を組み、アルティザンという言葉がトレンドキーワードのようになった後には、巷に氾濫する“似非アルティザン”を問う記事が書かれたから面白い。

そのなかでデザインコレクティブ「キーパーズ」は、シンガポール発のファッション、ジュエリー、ライフスタイル雑貨を集めて期間限定のショップやイベントを主催し、人々や観光客が同国のブランドを知る良いきっかけとなった。仕掛け人は広告代理店のディレクターを辞めてジュエリーデザイナーに転身したキャロライン・カン氏。彼は若手デザイナーたちの発表の場を広げようと精力的に活動中だ。

▲ キーパーズがナショナル・デザイン・センターで開催した期間限定のポップアップストア


一過性でなくタイムレスなものへ

ビジネスであれデザイン活動であれ、シンガポールで常に驚かされるのは、スピード感であり、見方を変えれば、それは一過性とも言える。前述のロウ氏も、筆者がビジネス展開の速さに感心すると「ほんとうに、早すぎる!」と苦笑し、若きセレブパティシエのジャニス・ウォン氏は、くるくると忙しく駆け回りながら、「常に新しいことをつくり出していかないと飽きられるし、誰もやっていないことを創作していくのが私の使命」と言う。

伊東豊雄氏がクライアントに、「緑でビル(キャピタグリーン)を覆いたい」と提案した際、面白いアイデアだと即座に同意を得られたことについて、「そこがシンガポールのいいところ。メンテナンスなどを気にする日本ではこうはいかない」と語っていたのも記憶に新しい。 

そのスピード感や新しいものへの貪欲さが活気を生み出し小気味よくもあるのだが、一過性のトレンドで終わらないタイムレスなものへの価値を見出しつつあるのが今日のシンガポール。祝祭的な2015年が終わり、これから真価を問われる時期を迎えようとしている。

▲ ピエール・エルメやオリオール・バラゲの下で修業したパティシエ、ジャニス・ウォン氏の手がけるチョコレート。今春には東京にデザートバーをオープン予定だ



葛西玲子/東京生まれ。1995年に面出 薫率いるライティング プランナーズ アソシエーツ(LPA)に入社。照明探偵団事務局の責任者として文化イベントの企画運営などを担当。2000年よりシンガポールに出向し、現在LPA-S代表を務める。その傍ら、シンガポールをはじめとしたアジア各国の建築文化を中心としたレポートを各メディアに寄稿中。



*2015年のシンガポールデザインに関するレポート、および第1回は、こちらをご覧ください。