2013年にスタートした「HOMME PLISSÉ ISSEY MIYAKE(オム プリッセ イッセイ ミヤケ)」は、イッセイ ミヤケを代表する技法のひとつである、縫製してプリーツをかける「製品プリーツ」を基本に、普遍的で新しい日常着を提案するブランドだ。10年目の節目にあたる2023年の年始には、三角形をはじめとするシンプルな図形を基に、複合的なフォルムを構築した秋冬コレクション「Upon A Simplex(アポン・ア・シンプレクス)」を発表。インスピレーションの源となったのは、思想家のみならず、建築家、発明家、デザイナーとして異彩を放つバックミンスター・フラーだった。
開発にあたって、オム プリッセ イッセイ ミヤケのデザインチームは、フラーの構造研究の第一人者である慶應義塾大学環境情報学部の鳴川肇准教授を訪ねた。ここでは鳴川とデザインチームのメンバーに聞いたコレクション誕生までの経緯を、2回にわたり紹介する。
直線的幾何学図形への興味
オム プリッセ イッセイ ミヤケ(以下オム プリッセ)は、複数名から成るデザインチームとして、メンバー全員が企画立案から服づくりに携わる。シーズンごとに衣服以外のモノや有機体の構造をリサーチし、アイデアを練るところから、コレクションづくりを始動させてきた。
2022年秋冬コレクション「A WORK OF ARC (ア・ワーク・オブ・アーク)」では、テントの湾曲したフォルムや構造に着想を得て、新たな立体造形に取り組んだ。続く23年春夏コレクション「Flowers and Vases(フラワー・アンド・ヴェイシィズ)」では、有機的でやわらかな花と無機質でかたい花器の関係性をモチーフに、衣服のデザインに落とし込んだ。
「アポン・ア・シンプレクスは、その延長線上に生まれたコレクションです。オム プリッセでは常に服づくりとは異なる視点からものづくりに取り組んできました。テーマに掲げるのは、私たち自身にとって未知なるもの、学んでみたいもの。円弧のシルエットや有機的曲線を活かしたコレクションを経て、対照的な直線的図形への興味が芽生えてきたんです」(デザインチーム)。
ア・ワーク・オブ・アーク制作時には、数種類のテントを解体しては組み立てるという作業を繰り返した。チームメンバーが手探りで構造を追究するその姿勢は、ものづくりのプロセス自体を大切にするイッセイ ミヤケならではのアプローチだ。アポン・ア・シンプレクスのコレクションづくりに関するリサーチも、当初は構造建築についての専門書を読むなど独学から始まったという。そこから自ずとバックミンスター・フラーという人物が浮かび上がった。
「調べていくなかで、幾何学的図形のなかでも三角形は強固な構造を可能にする、最もシンプルな基本単位であることがわかってきました。フラーの有名なジオデシック・ドームも、三角形の面を組み合わせ、最小の部材で最大の強度を目指してつくられた構造です。三角形を服づくりに採り入れ、立体的で動きのあるコレクションを制作できないだろうか。そんなイメージがチーム内に醸成されました。ただ、建築構造の専門用語は難しくてわからない(笑)。やはり私たちだけでは理解し咀嚼するには限界があることに気づかされ、フラーの構造にお詳しい鳴川肇先生に教えを請うことにしたんです」(デザインチーム)。
バックミンスター・フラーの哲学
慶應義塾大学環境情報学部の鳴川肇准教授は、建築からデザイン、ファインアート、透視図・地図図法まで多彩な領域を自由闊達に行き来する研究者だ。かといって広く浅く対象に向き合うのではなく、基盤となるのは常に幾何学からの発想だ。バックミンスター・フラーからも大きな影響を受けてきた。
「フラーという人は思想もさることながら、それを実践する幾何学的なアイデアが秀逸な天才でした。真に理想の形を探求した結果、すべての面が同じ大きさ、同じ形の図形から形成される『正多面体』にデザインモチーフを求めたのは、理に適った判断だったと思います」(鳴川)。
「ジオデシック・ドームは同じ大きさの正三角形20枚の面で形成した正二十面体が基本骨格。フラーは巨大なドーム構造を具現化する前に、正二十面体の表面に世界地図を投影した『ダイマクシオン・マップ』を考案しています。投影する際の歪みを抑えるため、球面を均等に小さな三角形格子に分割し正二十面体に転写しました。ジオデシック・ドームは、その地図図法に用いた三角格子を構造体に置換して発明されたんです」(鳴川)。
鳴川もまたこのダイマクシオン・マップにアイデアを得て、地球の球面を96分割し面積比を保ちながら正四面体に描き写した世界地図「オーサグラフ」を作成。2016年度のグッド・デザイン大賞を受賞している。幾何学のさまざまな要素を用い、ものづくりに活かす手立てには自信があった鳴川。だが、オム プリッセのデザインチームからの依頼には、嬉しく思う反面、戸惑いも覚えたという。
幾何学と身体の親和性
「身体は左右対称ですが、球体や立方体が持つ完璧な対称性や高度な単純性はありません。正直、フラーの幾何学を衣服に適応させるのは難しいテーマだな、と感じました」(鳴川)。
だが、よくよく歴史を振り返ってみると、幾何学と身体の親和性を紐づけようとした試みは決して少なくはない。著名な芸術家や建築家の仕事が思い出された。
「レオナルド・ダ・ヴィンチは、正方形と円に人間の身体が内接する姿を描いた『ウィトルウィウス的人体図』を遺しています。ル・コルビュジエも、モジュロールという寸法システムを使い、身体スケールと建築スケールの相関関係を黄金比に求めました。衣服のデザインについては私の専門外なので具体的なアドバイスはできないかもしれない。とはいえ、フラーの構造哲学のエッセンスを上手にお伝えできれば、デザインチームのノウハウとクリエイティビティの力で、彼らにしかつくりだせないコレクションが生み出せるのでは。直感的にそう感じました」(鳴川)。
フラーの考案した構造は多岐にわたるが、ジオデシック構造を軽量化の観点で改善、進化させた構造に、テンセグリティ(tensegrity)構造がある。テンセグリティとは、tension(張力)と integrity(統合)という単語を合成したフラー独自の造語だ。鳴川の研究室の天井にも、その構造を用いた巨大な模型がシャンデリアのように吊り下げられており、端整な美しさを放っていた。
「天井の模型は270本の木棒と丈夫な釣り糸からできています。一般的な多面体とは異なり、木棒(圧縮材)同士は互いに接触していません。釣り糸(張力材)の張力によってしっかりと結ばれ固定されることで、バランスよく成立しています。ジオデシック構造は圧縮に耐えるパイプなどの圧縮材のみでできていました。そこにワイヤーや釣り糸などの張力材を組み合わせることで、フラーは、ジオデシック構造より軽量な仕組みを編み出したのです。圧縮材と張力材のバランスさえ取れれば、球形である必要はなく、いろいろな形にも応用できる。弾力性も生まれます。フラーは直径3kmのテンセグリティ球体を宙に浮かせるという壮大なビジョンまで持っていたんです」(鳴川)。
後編では、鳴川がデザインチームに対して実施したワークショップの内容とともに、フラーの構造哲学を採り入れたコレクションについてお伝えする。