前回の「民藝の話」の続きの話を書こうと思ったら、日本民藝協会から雑誌「民藝」2月号「日本民藝館展とその周辺(仮)」特集への寄稿依頼を受けた。せっかくなので、このページと「民藝」2月号の内容とを読み比べていただいた方が面白かろうと思い、民藝の話・後編は新年に持ち越そうと思う。
今回の投稿は、遅ればせながらではあるが、今年で生誕100年にあたる1920年生まれの工業デザイナー 秋岡芳夫氏に関して記したい。
おこがましくも、私の略歴には必ず「共立女子大学で秋岡芳夫先生に教わったこと」と書き入れている。そこには、「影響を受ける」と記し、「師事した」と書いたことはない。実際に先生の授業を受けたが、先生のノートを取るのに精一杯で、その意味を理解し次に発展させるための経験がなさすぎた。社会人になってしばらくしてやっと授業で教わったことを重ね合わせ、どうにか先生の授業の深さが理解できるようになったのだった。
とはいえ、直接この授業を受けることができた経験は、もちろん私にとっては一生の宝物だ。ゼミでは学外に出て、秋岡先生が作られたスペース、モノ・モノや、クラフト商品を扱う売り場(当時は丸善にクラフト・センター・ジャパン、松屋にクラフトマンハウス、西武にJC(ジャパン・クリエイティブ)があった)、江戸鍛冶の左久作さん、そして秋岡芳夫邸に併設されたどま工房などに、連れて行っていただいた。どま工房でには階段箪笥、薬箪笥が実際に使われていた。
秋岡先生は1983年(昭和58)年から1987年(昭和62年)まで日本民藝館展の審査員もされている。民藝の同志、陶芸家の河井寛次郎の記念館で実際に階段箪笥で二階に登った時は感激した。日本民藝館では(確か2018年の「書物工芸」の展示だと思ったが)、展示に使うキャプションなどの小さなものの整理に薬箪笥が使われていた。
授業で直接、民藝の講義はなかったと思うが、先生は「民藝」というジャンルで分けず、「腕のいい職人が作ったものがいい道具」という考えが、民藝の考えにも通じていた、ということだろう。
その中で、私が一番心ひかれたのは「大野村の裏作工芸」だった。今では、「コミュニティデザイン」という言葉があるが、秋岡芳夫とグループ モノ・モノは1970年代から「コミュニティ生産方式(里もの生産方式)」として、地域の人材・素材・歴史・立地を生かした街づくりを目指し、そして実際に、クラフトの町を作り上げてしまったのだ。
岩手県九戸郡大野村(現在の洋野町)は、これといって産業のない村で、村人の多くは大工として夏になると出稼ぎに行くという特異な村だった。そこで、かねてより<里山工芸>を構想していた秋岡研究室(東北工業大学工業意匠学科第3生産技術研究室)は希望者に木工ろくろの技術を学んでもらい、地元材で学校給食器を作る計画を立てた。村の子供たちは、小学校に入ると、地元の親父たちが作ったその木の椀・皿で給食を食べる。そして、卒業の時、卒業の記念としてこれらの食器を持ち帰る。こうしていけば、新入生が入るたびに、モノは売れていくし、子供たちは、木に親しめる。そしてこの器が全国に売れていけば、手に職を得た村人たちは、もう出稼ぎに行かなくて済む。この素晴らしいストーリーに、私は多いに興奮した。憧れ続けた大野村には、卒業10年後に取材というかたちで訪ね、実際に学校給食で器が使われている現場も見ることもできた。
だが、ずっと心に引っかかっていることがある。給食食器では、決められた温度と時間での高温消毒に耐えられる器でなければならない。大野村の給食食器はポリウレタン系プレポリマーを含浸させることでこの課題をクリアした。この塗装をすると、木の経年変化はほぼ感じられない。このお椀、実は、1984年(昭和59年)の日本民藝館展で日本民藝協会賞に輝き、そのことが物議を醸している。かくいう私も、この点に関してはずっとモヤモヤとした感覚を抱き続けている。経年変化の(少)ないものが、民藝として、認められていいのか?と。秋岡先生は「木は反る、あばれる、生きている。だから好き」という文字を好んで書いていた。このプレポリマーはその動きを全て封じ込めているのではないだろうか?と。
「でもこれからは白木の盆を150年使い込んでも、拭きこんでも、エアコンの部屋じゃあ見事な色艶にはならないでしょう。やはり炉端で燻らせながら使いこまないと……白木の器を美しく仕上げるのにはしかるべき歳月と環境が大切なのです。(中略)白木の器たちは今過剰な冷暖房、狂ったエアコンの部屋の中で音をたてて壊れ続けています。(中略)僕らに『この部屋、人間にも住むのに不適』と警告するように」。(木のある生活 TBSブリタニカ)と、言い切っている。ならば、と、登場させたのが、プレポリマーだったのか?と、今回、改めて著作を読み直して、思ったのだった。
切り立ての木の断面の木目はみずみずしく美しい。だが、そのままうつわとして使おうとすれば、汁を吸い、汚れ、腐りやすくなっていく。オイル塗装は定期的なメンテナンスが必要だ。漆は色がつき、木目が見えなくなる。拭き漆でも色は変わる。木を切った状態の色と木目をそのまま楽しむために、ウレタン塗装は最適だ。最近は、石油製品を嫌い、値段は高くてもガラス塗装を使う人も増えている。
秋岡先生は同時に漆椀のことについてこう書いている。「1ケ600円のうるし椀は大体2年ではげる。1,000円は3年。5,000円の本堅地の布着せの上物だと15年の保証付。だからどれも一回の使用料は1円、だったらいい器の方が食事が楽しいですよ」と。(割り箸から車まで:昭和46年)50年近く前の話だから、それぞれ2〜3倍の価格になっているが計算は変わらない。
木目は見えなくなるが、美しい経年変化を遂げる漆椀。経年変化は見られないが、木目を常に楽しめるプレポリマー塗装の白木椀。どちらがいいとは言わず、両方の<理由>を幾度も著作に書かれている。「僕はちゃんと説明したからね。選ぶのは君達だよ」。秋岡先生は、本を通して、誰が何を選ぶのか、今も空の上で楽しまれているに違いない。
2018年に取材をさせていただいた、城谷耕生さんの展覧会が、長崎県美術館で開催されています。
城谷さんは12月13日に逝去されました。心よりご冥福をお祈りいたします。