REPORT | 建築
2018.10.02 11:39
京都大学の学生寮のひとつである吉田寮は今、存続をかけて大きく揺れている。築105年という建築的意義や「市民と考える吉田寮再生100年プロジェクト」の活動経緯は前編にまとめたが、後編では退去期限1週間前に実施されたシンポジウムの様子を中心にレポートする。
退去期限1週間前に開催された再生提案シンポジウム
吉田寮からの退去期限が残り1週間に迫った2018年9月23日(日)、寮近くの京都大学人間環境学研究科棟地下大講義室を会場に「市民と考える吉田寮再生100年プレゼン&シンポジウム」が開催された。当日は160人ほどの一般参加者が集い、テレビ2社、新聞4社、ウェブメディア1社、ドキュメンタリー1者と、さまざまなメディアが集まるなど、社会的関心の高さが現れた。
大講義室の前のホワイエでは午前中にポスターセッションが行われ、提案作品を前に、提案者らは参加者やコメンテーターに向けてプレゼンテーションを行った。26題は期せずしてバラエティに富んだ立場からの提案となった。建築設計に携わる者や建築保存の研究者だけでなく、美大出身者や写真家、編集者、建築保存団体のスタッフ、東京朝鮮中高級学校の教員、近所の地蔵盆会計チーム、博物館のボランティア、商社マン、主婦、地域住民、そして建築を学ぶ学生。なお、今回の応募案26題中、建築学生によるものは4題あり、それはコメンテーターで建築家の魚谷繁礼氏(都市居住推進研究会)が非常勤を務める京都建築専門学校の池井ゼミから3題、京都大学建築学科在籍の寮生からが1題だった。
寮生が議論の表に立たないことによる意思表明
進行を務めた実行委員3者が企画主旨を説明した後、現役寮生から吉田寮の現状が説明された。コメンテーターを代表して尾池和夫氏(京都造形芸術大学学長・元京都大学総長)が挨拶、会場に吉田寮生が少ないことを指摘した。指摘の通り会場に来ていた吉田寮生は15人ほどで、吉田寮への市民の関心の高さが強く感じられた。
建設的な議論を進行するため、一般参加者には事前にコメントシートを配布し、集約した論点から対話を展開していったが、その中で「なぜコメンテーターに吉田寮生がいないのか?」という企画自体へのコメントが会場から寄せられた。
それに対して実行委員は、今回の企画はあくまで地域に開かれた吉田寮にするためにはどうしたらいいのかを、幅広く市民と一緒に考えたいという意図があり、あえて寮生を入れなかったという明確な返答がされた。寮生という当事者性を伴う発言が、時に場の空気を支配することを避ける、吉田寮で生活してきたからこその実感の伴う賢明な判断であり意思表明だった。
吉田寮は一大学を超えて地域や京都が誇る継承すべき文化遺産
シンポジウムを通して終始、さまざまな専門領域のコメンテーターから多くの重要な視点が示されたが、その中の一部を抜粋して紹介したい。
当日は欠席だった大場修氏(京都府立大学教授)は、吉田寮の再生は一大学施設の問題にとどまらず、地域や京都が誇るべき重要な文化遺産であることを強調したコメントを寄せた。
石田潤一郎氏(京都工芸繊維大学名誉教授)は、文化財にする前提で評価できるものとして、文化財的価値を損なわない再生や改修方法の重要性を指摘した。「古い建物を保存するうえでどの程度まで改修が許されるのか?」という会場からの質問に対しては、大事なところは残し、何かあったときに元に戻せる「可逆性」の視点が肝であると返答した。
岩井清氏(岩井木材株式会社代表取締役・木材アドバイザー)は、吉田寮に使用されている部材に着目し、木の文化の町・京都において、技術的にも資源的にも今では手に入れることの難しい材が使われていることを述べ、建築のみならず木材や林業の視点からも貴重であることをもっと広くアピールするべきだと主張した。
髙田光雄氏(京都美術工芸大学教授)は、吉田寮の2つの評価軸として、安全と文化を対立的に捉えてきた経緯を指摘し、安全と文化を同じベクトルに向けられるような提案が求められると述べた。
今回のシンポジウムに唯一京都大学の教員としてコメンテーターで参加した中嶋節子氏(京都大学教授)は、吉田寮への関心はあるものの大学の中でも開かれたイメージを持たれていないと率直に指摘し、吉田寮の立地を活かして大学にも地域にも開かれるようなインターフェースのような存在となることを期待すると述べた。また、建築史・都市史を専門とする立場から、キャンパス内の施設が新しく更新されていくなかで、得体の知れない魅力が独特の文化を育んできた京都大学の伝統を蓄積していく記憶の宿る箱としての吉田寮のあり方も大事であるとした。
数々のリノベーションを手がけている馬場正尊氏(Open A 代表取締役、東京R不動産 ディレクター)は、吉田寮を技術的にどう改修できるのか、構造補強と防火の視点をポイントに、新しい方法でエレガントに構造補強する案や、建物の面影を残しながら安全性能を高め、歴史の蓄積した建物を再生することが可能な提案を評価した。今回のコンペ案の中にはブラッシュアップすることで実現も大いに可能なものもあると述べた。また、国も文化財保護法の改正に動き、建築審査会の制度を変えていく時代にあって、現代の解釈や技術によって文化遺産の新たな価値を創出する試みが、アカデミズムの現場にも求められるのではないかという指摘があった。
元寮生でもある広原盛明氏(京都府立大学元学長)は、自らの学生時代はもっと清潔で建物を大事にしていたという記憶を引き合いに、現在は建物内で土足だったり、建物への直接的な落書きに対して「住まい手が建物の歴史や文化に対してもっとリスペクトをすべき」と、今の吉田寮生に向けて叱咤激励のエールを送った。
吉田寮の存続をめぐる、再生と継承を探る場のあり方
それまでの議論を踏まえ、最後の休憩時には、コメンテーターだけでなく会場の来場者全員に投票権が与えられた。これも全会一致を筋とする吉田寮スタイルと言えるだろう。尾池氏から「虚心坦懐で投票すべし」という号令とともに参加者は再度、各提案を吟味して投票を行った。
結果は以下の通り。
【再生デザイン部門】
1位:⑪番「細入夏加(株式会社鎌倉設計工房)」案(コメンテーター9票、一般25票:計34票)
2位:⑤番「南田町会計チーム」案(コメンテーター5票、一般24票:計29票)
3位:⑩番「宮原真美子(佐賀大学)、前田昌弘(京都大学)、佐野友厚(庭友)、源五郎丸未来(佐賀大学)」案(コメンテーター7票、一般9票:計16票)
【継承プログラム部門】
1位:⑩番「中尾芳治」案(コメンテーター11票、一般23票:計34票)
2位:⑬番「北條順子」案(コメンテーター2票、一般30票:計32票)
3位:⑤番「リカお母さん」案(コメンテーター11票、一般14票:計25票)
なお、本稿では便宜上順位をつけているが、当日は実行委員より、順位をつけて表彰することは企画主旨に合わないと「1番目に賛同を集めた提案」「2番目に……」と表現されていたことを書き添えておきたい。
提案作品26題の個々に関しては、「市民と考える吉田寮再生100年プロジェクト」のサイトなどで公開される予定だ。
堅実的な設計案から大胆なアイデアまでバランスよく多様な提案が出たが、結果的には、技術的に実現可能な提案が多くの賛同を得た。コメンテーターの投票では順位が低かったものが議論の過程で浮上し、最終的に上位に食い込むこともあった。そのような結果が示すのは、吉田寮外の市民の「本当に再生が可能なのか?」という疑問が、「技術的にも実際に再生することが可能なんだ」と氷解した反応の表れと言えるだろう。
今回のシンポジウムはあくまでアイデアコンペだが、提案作品の中にはブラッシュアップをすれば実際に実現可能な改修やアイデアもあるという馬場氏のコメントのように、吉田寮という場の文化と建築を、具体的かつ現実的に継承できることの可能性が大いに示され、そのことが寮生だけでなく幅広く市民に共有されたという点できわめて意義深い場だったと言える。また、多彩なコメンテーターによる専門的見地からも吉田寮の再生と継承の道筋が示され、叱咤激励のエールも含めて吉田寮の存続に向けて心強い後押しとなったことも大きな意味がある。決して表に出てこなかった吉田寮生も今回のコンペやシンポジウムを受け止め、自身の中で反芻し、吉田寮の存続に資する効果的なアクションに移ることを期待したい。
表彰を終えて吉田寮食堂に移動し、実行委員や寮生らが提案者やコメンテーターらとともに懇談する姿は、吉田寮の存続をめぐって、当事者も非当事者も一体となって皆で考え意見を交わし、より建設的な筋道を立てていこうとするクリエイティブな場として、理想のあり方のように思えた。
シンポジウムから1週間後の9月30日が大学から通告された退去期限とされているが、吉田寮という文化の受け皿に大学も市民も今一度思いを致し、寮生のみならず大学にとっても地域にとっても大切な場を再生し、継承していくためにはどうしたらいいか、当事者も非当事者も分け隔てなく考え、意見を交わし、吉田寮継承への筋道を探ることを地道に続けていくべきではないか。
今回のシンポジウムのようにクリエイティブな対話の場が今後も生まれることを期待している。
*本レポートの前編はこちらまで。